section 4

4-1 CLOWN's real intention

 三日後──モスクワ 某国際空港。



「お待たせ、サム」

「エニー。あれ見て」

「うん?」

 サムがコソコソとアタシ──エニーへ耳打ちしてきた。トイレを済ませて、トイレ出入口で待ち合わせていたサムと合流して、すぐのこと。

 手を拭いたハンカチを鞄にしまいながら、「なんだろう」とサムの言う方へ顔を向ける。目線の先には、化粧水の広告ポスターをじっと睨み見ているヨッシーがいた。


 ヨッシーは、どこかの椅子に座って睨み見ているんじゃなくて、広告ポスターを目の前にした、至近距離に立っている。アタシたちに背中を向けているんだけど、『OliccoDEoliccO®️』の黒い立ち襟スタンドカラーコートのポケットにそれぞれ手を突っ込んだあの立ち姿は、とってもリョーちんに似てると思う。かわいいってこういうことかな、ちょっと微笑ましいの。


「何やってると思う?」

「さぁ? 広告ポスターを、見てるんじゃあないの?」

「そうかもだけど、かれこれ五分はああしてるんだ」

 ちょっとだけ眉間を詰めたアタシは、ヨッシーからサムへと視線を移す。

「サムは、アタシを待ちながら、五分間もここで、ヨッシーを見てたの?」

「いや、女性用トイレが混んでて、ボクのが早く終わることから、必然的にボクが待つことになるのはわかってたことだし。そうじゃなくてさァ」

 サムはこそこそ、と耳打ちを再開。誰に聞かれるわけじゃないのに。

「ボクらがトイレ行くって行ったときと、未だに同じ格好してるんだよ、ヨッシー」

「ええー?」

 そんなことってある? しかも、行き交う人だとかを見るでなく、化粧水のボトルとロシア語しか書いてないポスターを見続けてるなんて。……あれが欲しいのかな? なんて。

「スタチューやってるわけじゃ、ないよね?」

「あんなとこで?」

「変か、さすがに。普段のヨッシーじゃなさすぎるし」

「でしょ?! あんなヨッシー見たことないよね」

「真面目な推測すると、化粧水が欲しいから、あれをじっと見てるんじゃ、ないよね」

「プッ! そうだね」

「…………」

「…………」

「何かに、悩んでたりして」

 アタシの発言で、顔を見合わせる。

 ひと呼吸おいてから、サムがへにゃ、と口角を曲げた。

「『何か』?」

「わかってるくせに、サム」

「もちろんわかるけど」

 ほっぺたをボリポリする。サムの照れ隠し。

「あの二人、『恋人とかではない』んだよね?」

「まぁ、『まだ良き友人の一人』だとかなんとか、カッコつけてはいたけど?」

「好きならさっさと本人に言えばいいのに」

「顔見て、直接、言いたいんじゃない?」

「じゃ、明日のデートのときのこと考えてるのかな?」

「どこに行くか、とか、どこで言うかを、悩んでる?」

「基本的なことだけど、『付き合う』ってなにをするの?」

「…………」

「…………」

「デートを何回もできる? とか?」

「それだけ?」

「愛してるって、言い合うとか?」

「そんなのヨッシーにしたらいつものことじゃん」

「まぁ、アタシたちに、毎日、言ってくれてるけど」

「じゃあ違うか」

 ふぅ、と肩を落とすアタシとサム。だって、想像以上のことは、さすがにわからない。

「そもそも、あれからちゃんと連絡とってるのかな」

「さあ? ヨッシー、アタシたちの前で、スマホあんまり触らないし」

「まぁ、ボクたちと向き合うことを最優先してくれてるのは、めちゃくちゃ嬉しいんだけど」

 ゴニョゴニョしてたら、ほっぺたがぽっぽした。ヨッシーから向けられる愛情がわかると、やっぱり照れちゃう。

「せっかくなら、最高にハッピーなひとときにしてもらいたいなぁ」

「うん。デートの約束、とりつけただけで、あんなにドキドキしてるんだから、ヨッシーにも幸せ、噛みしめてもらいたいよね」

 見合うアタシとサム。意見の合致は当然のことなんだけど、それでもやっぱり口に出して耳で確かめ合うと、安心する。

「もしかしなくても、ボクらはついていかない方がいいやつだよね」

「もちろんでしょ。アタシたちが気を回してあげなきゃ、もやもや悩んでるヨッシーって、絶対に、タイミング掴み損ねちゃうよ」

 にんまり笑って、それからゆっくりと同時に、ヨッシーへ顔を向ける。


 ヨッシーは、だってまだ『若いお兄さん』なんだもん。同じ二五才のお兄さんたちと同じように、たまには遊んだりしたいんじゃあないのかな。

 アタシたちのことを一生懸命やってくれるの、とっても幸せ。でも、それはヨッシー自身のやりたいこととか、幸せとか、邪魔しちゃってないかなって、たまに思うこともあるの。

 そういうのも、アタシはヨッシーには大事にしていてもらいたい。

 父親ダディーであるヨッシーも、一人の若いお兄さんとしてのヨッシーも、どっちも幸せでいてほしい。それがちょっと前からの、アタシのお願いごとなんだ。


「ボクが袖を引くよ」

「アタシ、サムに続く」

 すたすたすた、と早歩き。足音を消して静かに近付いているけど、それでも普段のヨッシーなら、すぐに気が付いてしまうのに。今日は全然気が付かない。

 ヨッシーの背後から、コートの袖へ手を伸ばすサム。「せーの」でぎゅ、と引いて、揃って「ヨッシー」と呼んでみる。

「ふぉあっ」

 よっぽど集中してたのか、ヨッシーはそんな変な声を上げて、ビクッと肩を跳ねさせて、アタシとサムを振り返った。

「え、エニー、サム。いつからそこに?」

「三〇秒も経ってないくらいから」

 サムが答えると、ヨッシーはぎこちなく「そうなんだ」と相槌を返してきた。薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズの奥が、やっと少しだけ細まる。


 ヨッシーのこの悩んでるまなざしが、いろんな想いを『どうしよう』で染めているのがわかる。でも、何に対して『どうしよう』って思ってるのかは、大人の事情だってことしか正直なところ、わからない。だから今から言うことも、正解じゃないかもしれない。

 間違ってたら、謝ればいいだけ……だよね? アタシたちは単純に、ヨッシーの背中を支えたりちょっと押して上げたりを、してあげたいだけなの。


「ねぇヨッシー。『今から帰るよ』ってメッセージ、送って?」

「メッセージ? 誰に」

 薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズの奥の目を丸くしたヨッシーは、アタシとサムを交互に眺める。

「当然、蜜葉に」

「そ、当然当然」

 深くひとつずつ頷いて、サム、アタシの順で言ってみた。

「と、当然って、あのね」

 大してずれているわけでもないのに、ヨッシーはサングラスの位置を直すように、それに触れる。

「時差六時間あるんだよ? 今頃きっと勉強中だ。ほら、ここはもうすぐ一六時になるし」

「でもこの前なんて、向こう真夜中なのに電話してたじゃん」

 ピシッとヨッシーの笑顔に入る、ヒビの音。

 三秒経ってから、ストンとしゃがむヨッシー。

「どうしたの二人とも? 急に」

「だって。蜜葉のことで、悩んでるんでしょ?」

「スタチューでもないのに、化粧水の広告ポスター睨み付けて、固まって」

 ソロリソロリ、ヨッシーは背後のポスターを一瞥。

「まぁ、蜜葉ちゃんのこともあるけど、それだけじゃないっていうか」

「安心して。明日、アタシとサムは、リョーちんと若菜のとこで、留守番してる」

「そうそう。ディナー前に迎えに来てくれたらいいよ」

「長めのデートは、ちゃんと二人が、恋人になってから、いくらでもして?」

「ボクたち邪魔しないからさ。若菜とリョーちんにお土産渡したり、二人とたくさん喋ってきたいんだ」

 ね、と顔を見合わせたら、ヨッシーは繕っていた笑顔をちょっとだけ崩した。

「物わかり良すぎない?」

「今更でしょ」

 ヨッシーの手を握る、サム。

「ボクたちがそんななのは、最初からわかってたことのはずだよ」

「アタシたちね、ヨッシーには、父親ダディー以外でも、幸せになってもらいたいの」

 ヨッシーのほっぺたに、触れてみるアタシ。ひやっとしてる。明日のことで、やっぱり緊張してたのかな?

「キミたちがそんなに大人すぎると、俺のどうしようもなさが、際立つよ」

 「スゲー格好ワル……」と、ヨッシーは耳を染めて、折っている膝へ視線を落とした。

「そんなヨッシーも、アタシの大好きなヨッシーだから、いいのっ」

「そーそー。どんなヨッシーだって、ずっと大好きだよ」

 顔を上げたヨッシーは、眉尻が垂れ下がってきていて、父親ダディーの顔ではなくなっていた。

「それに、蜜葉ならボクたちも嬉しいよね」

「うん。蜜葉の気持ち、無視した感想だけどね」

 クスクス、とすると、ヨッシーも弱く笑んだ。

「蜜葉、真面目だから、ヨッシーから連絡来るの、じっと待ってると思う」

「そうかな」

「そうだよ。大人の事情はわかんないけど、恥ずかしがることないよ」

 スゥ、はぁで、きゅんと目を瞑るヨッシー。

「この場合、キミたちにするのはお詫びとお礼とどっちだと思う?」

 あ、いつものヨッシーの声色だ。なんとなく嬉しくなって、口角が上がって。

「これからも変な遠慮はしないって約束してくれるなら──」

「──サムもアタシも、それでどっちも、貰ったことになるよ」

 静かにぎゅう、と抱きしめられた、アタシとサム。

 あぁ、ヨッシーのいい匂いがする。心の底まで安心する、穏やかな匂い。

「蜜葉ちゃんにメッセージ送ったら、出発ゲートへ行こうか」

 そうだね、ヨッシー。

 大事な人の待つ、日本に帰ろう。

「きっと、大丈夫だよ」

「九時間半後には、きっと忘れられない思い出が、もうひとつ出来るよ」

 アタシとサムの囁きに、ヨッシーは「ハイ」と呟いて、アタシたちの肩口にひたいを埋めた。


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