section 2
2-1 calling suddenly
フランス某所──サービスアパートメント一室。
都市部のダウンタウンに近い立地に建つ、ホテルよりも安価な『サービスアパートメント』。長期滞在やファミリー向け宿泊施設の一種であるそこには、洗濯機やキッチンはもちろん、食器やカトラリー、必要最低限のアメニティまで揃っている。
そんな『サービスアパートメント』にボクたち──ヨッシーとエニー、そしてボクことサムが泊まって、早くも五日が経とうとしていた。ヨッシーいわく、勝手知ったるフランスの某街を中心に、近郊諸国を廻ろうって算段らしい。
「ええ、はい。……ええそうです」
「あぁ、アッハハハッ、ええ、そうですね!
楽しげな
「誰からだろう」
ポツリ、思わず独り言が漏れてしまった、うう。ボクって、正体が不明なものはひととおり明かして、知っておきたい性分みたいだなぁ。
「ヨッシーより、目上の人、ってことはわかる」
左隣のエニーの『独り言』。まっすぐにヨッシーを眺めたまま、膝にきちんと手を置いて待っている。
「ええ……ええはい、アハハ、そうなんですよ」
なんだかエニー、すごくぐっとくるくらい、急に大人になってない? ボクなんか「目の前のチキンソテーを早く食べたい」とか考えてたのに!
大体、ヨッシーがお肉を焼くの上手すぎるんだ。丁度いい焦げ目のチキンソテーが、ほんわりと芳ばしい薫りを立てて、唾液を誘発するわけ。うわあ、お腹空いた! チキンもパンも冷めちゃうよ、ヨッシー!
「あぁはい。ええ、お待ちください」
カクカク頷きながら、ヨッシーはボクらに視線を合わせた。スマートフォンを一旦耳から離して、嬉しそうに微笑する。
「キミたちに電話なんだけど、話せる?」
「え?」
「だ、誰?」
「
「グ……」
「
声のひきつるボクとエニー。そろりそろりと顔を見合わせて、……ああ、エニーの壊れそうな表情が痛い。
ヨッシーに顔を向け直すと、笑みが静かに弱まっていって、『日本語で』こそこそと付け加えた。
「正直どっちでもいいと、俺は思う。代わらなくても代わってもいい。サムとエニーにだけ、選択権があるんだ」
日本語でそんな風に言うってことは、電話の向こうの
でも、ボクは覚えてる。
養護施設を退所するあの日に、ヨッシーと
♧
「定期的にこちらから電話をかけますこと、またそれには必ずお出になること。くれぐれもお忘れなきよう頼みますよ」
「
「このことは、二人の心身の安全上、また新たな生活に馴染めているかの確認にもなりますわ。なので、これをひとつでも怠ることはなりません。そして無期限です。無期限に、ですからね」
「ええ、かしこまりました」
♧
これは、ヨッシーが信用されているとかされていないとか、そういう次元の話じゃない。責務とか、必要だからとか、ボクは漠然としか察せないけど、たとえ感情的にこっち側が『イヤ』でも、やらなければいけない──乗り越えなければいけない壁のひとつだとひしひし感じる。
呑み込む生唾。滲む冷や汗。
「…………」
「…………」
左側から、エニーに不安気なまなざしを向けられていることは、重々わかっている。
まばたきを数度重ねてから、ヨッシーと目を合わせた。
「ん」
差し出してみたのは、ボクの左掌。ヨッシーは溜め息みたいな深い呼吸を鼻でいなして、優しく笑みを深める。
「大人すぎるよ、サム」
「今更だよ、ヨッシー」
手渡されるスマートフォン。ボクは腹をくくったんだ。
今更もう怖がることはない。だって目の前には、ヨッシーがいてくれるから。
ボクとエニーにたくさんの深い愛を見せ続けてくれる、ヨッシー。
ヨッシーが微笑みをくれれば、ボクはそれだけで奮い起つ。
無理強いをしない。いつもたくさんの可能性をボクとエニーから見つけてくれる、キザで最高にカッコいい魔法使い。
電話が終わったら、ヨッシーはきっとボクを抱き締めてくれる。「乗り越えたね」って、優しく頭を撫でてくれる。暖かいゴール地点が見えていれば、ボクは何だって乗り越えられる気がするんだ。
「
『おお、サミュエル。あなたなのですね、サミュエル!』
耳に懐かしい、
『いかがお過ごしですか、サミュエル? 不自由などありませんね?』
「うん。そこにいたときよりもずっと、楽しくやってるから」
『そ、そうですか……そうですわよね』
やっぱりちょっと遠慮するような、引け目を感じる声色の
ひとつ小さく咳払いをして、言葉を直す。
「あのね
間を空けてから、
「たとえば。広すぎてまだまだ知らない世界、ボクたちの『変』を優しく包んでくれる『変』な大人たち。服をゼロから創れること、手を繋ぐ温度、抱き締める腕の強さも、ミントやライムが美味しいってことも……」
声が震える。泣いちゃいそうだ。
「あとね。ボクが笑えば、周りから笑顔が返ってくるんだ。全部全部、ヨッシーが教えてくれた。こんなの幸せ以外に、適当な言葉はないよね」
言いきって、はあ、と震える溜め息が漏れ出て。
電話の向こうで、
『望む愛に、出会えているのですね』
「うん、そうだね。望み以上の、だけどね」
スンと鼻を啜ったら、ちょっとだけ口角を上げられた。ボクが笑ったところ、いつか
そんな風に考えを巡らせていた一秒二秒の合間に、左耳に当てていたスマートフォンをさらわれた。ビックリして顔を上げたら、そうしていたのは左隣のエニー。
「どっ、エニー?」
目を白黒させるボクを
「エニー、無理しなく──」「いいの」
ヨッシーのその日本語に、日本語で被せたエニー。俯けたまなざしが、不安定に揺らめいている。
「言いたいこと、エニーにもあるから」
小声で呟いたエニーは、スマートフォンを右耳にあてがった。
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