section 2

2-1 calling suddenly

 フランス某所──サービスアパートメント一室。



 都市部のダウンタウンに近い立地に建つ、ホテルよりも安価な『サービスアパートメント』。長期滞在やファミリー向け宿泊施設の一種であるそこには、洗濯機やキッチンはもちろん、食器やカトラリー、必要最低限のアメニティまで揃っている。


 そんな『サービスアパートメント』にボクたち──ヨッシーとエニー、そしてボクことサムが泊まって、早くも五日が経とうとしていた。ヨッシーいわく、勝手知ったるフランスの某街を中心に、近郊諸国を廻ろうって算段らしい。

「ええ、はい。……ええそうです」

 夕飯ディナーの支度を全部終わらせたすぐ後に、ヨッシーのスマートフォンに一件の電話が入った。せっかく三人で着席したっていうのに、ヨッシーは電話応答しながら立ち上がる。

「あぁ、アッハハハッ、ええ、そうですね! so appreciate itありがとうございます

 楽しげな相槌あいづち。小さく刻まれる首肯。ヨッシーが『英語』で話しているところをみると、英語圏の人間からだろう。

「誰からだろう」

 ポツリ、思わず独り言が漏れてしまった、うう。ボクって、正体が不明なものはひととおり明かして、知っておきたい性分みたいだなぁ。

「ヨッシーより、目上の人、ってことはわかる」

 左隣のエニーの『独り言』。まっすぐにヨッシーを眺めたまま、膝にきちんと手を置いて待っている。

「ええ……ええはい、アハハ、そうなんですよ」

 なんだかエニー、すごくぐっとくるくらい、急に大人になってない? ボクなんか「目の前のチキンソテーを早く食べたい」とか考えてたのに!

 大体、ヨッシーがお肉を焼くの上手すぎるんだ。丁度いい焦げ目のチキンソテーが、ほんわりと芳ばしい薫りを立てて、唾液を誘発するわけ。うわあ、お腹空いた! チキンもパンも冷めちゃうよ、ヨッシー!

「あぁはい。ええ、お待ちください」

 カクカク頷きながら、ヨッシーはボクらに視線を合わせた。スマートフォンを一旦耳から離して、嬉しそうに微笑する。

「キミたちに電話なんだけど、話せる?」

「え?」

「だ、誰?」

施設長グランマ

「グ……」

施設長グランマ?」

 声のひきつるボクとエニー。そろりそろりと顔を見合わせて、……ああ、エニーの壊れそうな表情が痛い。

 ヨッシーに顔を向け直すと、笑みが静かに弱まっていって、『日本語で』こそこそと付け加えた。

「正直どっちでもいいと、俺は思う。代わらなくても代わってもいい。サムとエニーにだけ、選択権があるんだ」

 日本語でそんな風に言うってことは、電話の向こうの施設長グランマには聴かせたくないってことだ。

 でも、ボクは覚えてる。

 養護施設を退所するあの日に、ヨッシーと施設長グランマが交わしていた約束を。


        ♧


「定期的にこちらから電話をかけますこと、またそれには必ずお出になること。くれぐれもお忘れなきよう頼みますよ」

sure もちろん , 忘れません。必ず二人へ電話を変わることも」

「このことは、二人の心身の安全上、また新たな生活に馴染めているかの確認にもなりますわ。なので、これをひとつでも怠ることはなりません。そして無期限です。無期限に、ですからね」

「ええ、かしこまりました」


        ♧


 これは、ヨッシーが信用されているとかされていないとか、そういう次元の話じゃない。責務とか、必要だからとか、ボクは漠然としか察せないけど、たとえ感情的にこっち側が『イヤ』でも、やらなければいけない──乗り越えなければいけない壁のひとつだとひしひし感じる。

 呑み込む生唾。滲む冷や汗。

「…………」

「…………」

 左側から、エニーに不安気なまなざしを向けられていることは、重々わかっている。

 まばたきを数度重ねてから、ヨッシーと目を合わせた。

「ん」

 差し出してみたのは、ボクの左掌。ヨッシーは溜め息みたいな深い呼吸を鼻でいなして、優しく笑みを深める。

「大人すぎるよ、サム」

「今更だよ、ヨッシー」

 手渡されるスマートフォン。ボクは腹をくくったんだ。

 今更もう怖がることはない。だって目の前には、ヨッシーがいてくれるから。


 ボクとエニーにたくさんの深い愛を見せ続けてくれる、ヨッシー。

 ヨッシーが微笑みをくれれば、ボクはそれだけで奮い起つ。

 無理強いをしない。いつもたくさんの可能性をボクとエニーから見つけてくれる、キザで最高にカッコいい魔法使い。


 電話が終わったら、ヨッシーはきっとボクを抱き締めてくれる。「乗り越えたね」って、優しく頭を撫でてくれる。暖かいゴール地点が見えていれば、ボクは何だって乗り越えられる気がするんだ。


Hiもしもし , This is SAMUELサミュエルだけど

『おお、サミュエル。あなたなのですね、サミュエル!』

 耳に懐かしい、施設長グランマのアルトボイス。眉がきゅんと寄って、声を施設にいた頃のトーンに調える。

『いかがお過ごしですか、サミュエル? 不自由などありませんね?』

「うん。そこにいたときよりもずっと、楽しくやってるから」

『そ、そうですか……そうですわよね』

 やっぱりちょっと遠慮するような、引け目を感じる声色の施設長グランマ。いや、ボクも刺々しく言ってしまったけども。ヨッシーとエニーに見られていることもあって、ちょっと恥ずかしくなっちゃったから、なんとなく、その。

 ひとつ小さく咳払いをして、言葉を直す。

「あのね施設長グランマ。ヨッシーは、いつだってボクたちに、たくさんの幸せをくれるんだ」

 間を空けてから、施設長グランマは『そうですか』とかすれて返した。ボクは目の前のヨッシーと目を合わせられないまま、喉の奥で待機している言葉を吐き出していく。

「たとえば。広すぎてまだまだ知らない世界、ボクたちの『変』を優しく包んでくれる『変』な大人たち。服をゼロから創れること、手を繋ぐ温度、抱き締める腕の強さも、ミントやライムが美味しいってことも……」

 声が震える。泣いちゃいそうだ。

「あとね。ボクが笑えば、周りから笑顔が返ってくるんだ。全部全部、ヨッシーが教えてくれた。こんなの幸せ以外に、適当な言葉はないよね」

 言いきって、はあ、と震える溜め息が漏れ出て。

 電話の向こうで、施設長グランマが『えぇ、えぇ』と何度も何度も頷いているみたいだった。

『望む愛に、出会えているのですね』

「うん、そうだね。望み以上の、だけどね」

 スンと鼻を啜ったら、ちょっとだけ口角を上げられた。ボクが笑ったところ、いつか施設長グランマにも見せられるときがくるんだろうか。

 そんな風に考えを巡らせていた一秒二秒の合間に、左耳に当てていたスマートフォンをさらわれた。ビックリして顔を上げたら、そうしていたのは左隣のエニー。

「どっ、エニー?」

 目を白黒させるボクを一瞥いちべつしてから、スマートフォンに視線を落とす。

「エニー、無理しなく──」「いいの」

 ヨッシーのその日本語に、日本語で被せたエニー。俯けたまなざしが、不安定に揺らめいている。

「言いたいこと、エニーにもあるから」

 小声で呟いたエニーは、スマートフォンを右耳にあてがった。


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