5-2 cause of friction

「俺たちは、九才ンときから母方の祖父じいさんに育てられた」

 いつもの寝惚けたようなその視線を、進行方向の通りに向けている良二。

「それが『たちばな不動産』の元オーナー。しかも、マジックはもともとその祖父じいさんから教わったことでだな」

 まるで夢物語でも語るかのような、良二からは聴いたことのない穏やかな口調に、若菜は静かに聞き入る。

「まず、なんでマジックなんかを祖父じいさんが俺らに教えてたかっつーと。……まぁ、九才の冬に、親がどっちも事故で死んだんだよ」

 足が止まる若菜。三歩、四歩と置いていかれてしまう。

 その背があまりにも寂しげで、若菜はどんな表情をして良二の話を聞き続ければいいのかが、わからなくなった。

「おい、置いてくぞ」

 立ち止まり、左半身を振り返る良二。控えめに歩み寄る若菜。申し訳なさを貼り付けたその顔面へ、良二は先手を打つ。

「あのな。別に俺は今更、親が居なくてどーだこーだとか思ってねーし、気に病んでるわけじゃねーかんな。そういう柄か?」

「いや、柄とかじゃなくて……」

「だったら、オマエは俺の話を『そーなんだ』程度で聞いとけ。それが、俺が一番求めてるリアクションだ」

 歩みを再開する良二。それに続く若菜。耳を、神経を、良二の語る話に注ぐ。

「父親も母親も、舞台中心にいろんなとこ飛ぶような芸人だった。マジシャンと軽業師。仲も良くて、夫婦漫談とかでも人気ンなって、最期の方はテレビとか出たりしてた」

 芸名は、と訊けなかった若菜。余計なおしゃべりで水を差さないよう口を引き結び、良二からそっと出てくる言葉を待つ。

「イギリス国内からどこだかに向かう途中のセスナ機が、海の上だかで墜ちたんだと。それで、二人とも戻ってこなかった」

 そんな体験を、幼い善一と良二はしてきたのだと、若菜は胸を詰まらせる。

「頻繁に地方に飛ぶ仕事の親だったから、近所に住んでた祖父じいさんにもともとよく預けられてた。だから、全然知らねぇとこに急に引き取られたとかじゃなくて。なんつーか……家だけが変わっただけみてぇな。そんな感じだったんだよ、俺たちの感覚としては」

 自らとは違う形の「親が居ない」。その寂しさは、想像以上であることのみが理解できる。

「メソメソしてた俺たちに残ったもんは、親から遺伝した能力くらいで。母親の身軽さは体育でスゲー役ン立ったし、手先の器用さも父親から継いでたみてぇだったから、特段何も困んなかった」

「そっか。YOSSYさんのアクロバットって、お母さんのそれなんですね」

「あー。アイツの動き見てると母親のこと思い出すって、祖父じいさんが結構言ってたくらいだからな。俺もある程度出来たけど、アクロバットはもうアイツのモンだから、俺はやらねんだよ」

 何でもないように言う、制約内容。二人にしかわからない意地が見てとれる。

「アイツがやることは俺はやらねぇ。逆に、俺がやることはアイツにはやらせねぇ。そーゆー約束を、親が死んですぐに、俺たちはしたんだ」

 だからマジックを、YOSSY the CLOWNは公ではやらない。若菜は自分がどうして良二の元へ送られたのかを初めてきちんと理解する。

「しょげて笑わなくなった俺に、祖父じいさんはマジックを見せた。どれもお遊び程度のレベルだったが、ガキの俺が楽しいと思ったのは、祖父じいさんのマジックを見てる時だけだった」

 『橘不動産』の角を右に曲がる。

「見てればだんだん自分でも出来るような気がして、俺は勝手に祖父じいさんのマジックをひとつやってみた。案外すんなり出来ちまって、そっから祖父じいさんは俺に教えるようになった」


        ♧


「それさァ。こうしてこう、で、合ってる?」

「マジかよ。コピーしたみてぇに出来るじゃねぇか」


        ♧


「俺が上手くなると、その度に祖父じいさんは笑った。それがガキの俺には、単純に嬉しかったんだ」

 祖父との思い出の断片を、これまでにないほど大切に語る良二。邪魔になりたくない若菜は、ただ良二の緩んだ横顔を見つめている。

「あの祖父じいさん、むっちゃくちゃ厳しいしつけしやがって。俺もアイツも何回ぶん殴られたかわかんねぇ。でも、誰よりも俺たちに優しい祖父じいさんだったから、俺は祖父じいさんに心労かけることだけはしたくなかった」

「だから柳田さんは、マジシャンにはならなかったんですか?」

 芸能の世界に身を置くことを、祖父への心労だとしていたのだろうか、と勘ぐる若菜。

「まぁ『それ』もあるけど……俺より先にアイツが芸人パフォーマーになっちまったから、俺は目指すの辞めたっつーか」

 首の後ろに右手をやる良二。

「言ったろ、アイツがやることは俺はやらねぇって」

 そういうことだ、と良二は遠くの赤提灯を眺める。

「兄弟だの双子だのなんて、クソほど厄介だ。別に言い合わせたわけじゃねーのに、進路決定まで同じ時期だった。マジシャンとしてマジでやってこうと思ったときにはもう遅かった。アイツは周りのこと無視して、勝手にフランス飛んでったんだからな」

 次第に低くなっていく声色。薄く怒気が紛れ込んでいる。

祖父じいさんは、勝手に外国に行ったアイツを、ずっと新聞やら何やらで見てた。死んでねぇか、ちゃんと生きてるか。それだけを確かめるために、微塵も読めねぇ新聞やら雑誌を、わざわざ取り寄せて」

「あ」

 そのためのスクラップブックか、と、点と点が線になる若菜。いぶかしむ良二へ、なんでもないですと首を振る。

「また飛行機で亡くすんじゃねぇか。また世界の遠くの知らねぇとこで死んで帰ってこねぇんじゃねぇかって、祖父じいさんは死ぬまで、アイツことで神経磨り減らしてたんだよ」

 急に襲われる、涙の気配。奥歯を噛み締め堪える若菜。

「あんなに誰かを心配させるくらいなら、その近くで適当に稼げたらそれでいい。マジックは趣味で充分だ。そう思ったから、俺は枝依ここに残ってる。どこに行く気も、有名になるつもりもない。自分のやりたいように勝手にやるだけじゃダメだっつーことが、あの時、嫌ほどわかったんだよ」

 良二が、目で見たもの、手の届く範囲のことしか行わないのは、傍に居続けている若菜がよくわかっていた。なるほどな、と鼻をスンと啜る。

「だからオマエが最初にウチに来たとき、あんだけ荷担したくねぇっつったんだ。芸事云々の話じゃねぇ、アイツと同じ人間を『俺が作る』のは御免だったから」

 不意に体を翻した良二。若菜を向き、立ち止まる。

 なにかと思えば、いつの間にか事務所へと辿り着いていた。事務所へ続く階段の入口で向かい合う二人。しかし「げ」と歪む良二。

「な、なんつー顔してんだオマエ……」

だんでぼだいでづなんでもないです

 口を山なりにひん曲げ、鼻筋にシワを作り、若菜は酷い渋面で良二を向いていた。若菜的には涙を堪えているわけだが、傍目から見ると画鋲を踏んだように見える。

ごべんだたいごめんなさい、柳田だんさんわだじにマジックおじえどぅの教えるのとぅらかったんでづね辛かったんですね?」

 ぶわ、と溢れたのは鼻水。自ら取り出したポケットティッシュでぐずぐずと拭う。

「や、ちげぇよ別に」

だっでだっておじえでだら教えてたら簡単に芸人にだっぢゃうなっちゃうじゃだいでづがないですかわだし

「思い上がってンじゃあねーよ、バァカ」

 ポスリ、弱々しいチョップが若菜のひたいに落とされる。

「俺が『芸を盗め』っつーのは、祖父じいさんの口癖と受け売りだ。逐一なんでも教えてもらおうとすんな、っていう祖父じいさんの姿勢から抜けられねんだよ」

う、だったんでづがすか

 ズビビとひとかみする鼻水。

「それに、だな」

 入口の方を向く良二。首の後ろへ左手をやって、耳をほんのりと染める。

「誰かとマジックやり始めると、ま、また、楽しくなっちまうと、思って、その」

ひぇ?」

「たっ、楽しくなっちまったら、ま、また余計な夢見ちまうかもしんねーしだな……ってんなことどーでもいんだよ、俺の夢とか、んなもんのことはよ」

 フラリ、階段へ向かって消えようとする良二。若菜はその背へ、「じゃあ」と鼻を啜って声をかける。

「じゃあ柳田さんは、もしかして最近、楽しかったり、してますか?」

「…………」

 ゆらあり、不穏に振り返る良二。細い双眸そうぼう、シワの多い高い鼻筋、眉の急角度。

わだじの練習にづぎあぶごと付き合うことで、柳田ざんさんだのじ楽しいって、おぼっでぐ思ってくれてたんづですね?」

「お、オマエな。泣くか鼻かむか喋るかのどれかにしろ、マジで」 

よがっだでづぅぶぶぶよかったですぅぅぅうれぢい嬉しい……」

 ポケットティッシュがカラになるまで鼻をかみ、涙を拭う若菜。

 そんな風にしてまで泣き喜ぶ若菜の心情が、良二にはわからなかった。わからなかったものの、なぜか目の前でチカチカと点灯する何かによって、再びひとつ、彼女の存在が良二の中で変化して。

ごでがらぼこれからもいっぢょ一緒マジッグマジックじばじょおでしましょうねやだぎだざん柳田さん

「わ、わかったから、それもうやめろ。あーあとコーヒーとか俺の分のやつよこせ」

 普段ならば泣き落としなど通用しない良二ですら、とてつもなく近くなった若菜の不意打ちともいえる涙には、さすがにギョッとなるようで。

 若菜は、自分の分の弁当を抜いたエコバッグを、ぬっと突き出し良二へ渡す。

わだじぼ私もざぶえじサムエニばげだいよぼ負けないように、れんじゅうぢばづがば練習しますから

「あーあーわーったわーった。落ち着け、んでもう帰れ、な? 寝た方がいんじゃねーか?」

 ズビズビグズグズとする若菜は、そのままかくんと頭を下げて、弁当を抱えて素直に自宅へ足を向けた。

「…………」

 その背を眺めつつ、やれやれ、な良二。

「夢、ねぇ」

 溜め息が溶けた秋空が、物憂げに、しかし優しく見えた。


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