section 3

3-1 completion news

 翌週日曜日──枝依えだより中央区、ターミナル駅北口側、某マンション。



 その高層マンションの最上階は、ワンフロアで一戸の造りになっている。一年弱というまだ浅い築年数と高層階であること、更に良好な立地のため、それなりの値段で分譲売りされていた。

 眺望と陽の入り具合を気に入ったのは、サム。なかなか買い手がつかないことに心を痛めたのは、エニー。そして、直感的に「この部屋と縁があった」と購入を決断したのは、柳田善一自身だった。

 

 この日、善一とサムとエニーの三人は、慣れ親しんだヨーロッパから日本へと拠点を移した。

 ダンボールやら家財道具のすべてが運び入れられた、三人の新しい住居。新たに買い入れたものは洗濯機くらいで、あとはすべてが見慣れた物で揃っている。なのに、どこかちぐはぐに見える景色に、三人は心がソワソワとしていた。

「ねぇ、ヨッシー。まず、これ開けない?」

 引っ越し業者が去ってから、一番にそうして小さな指を指し向けたエニー。言語はすっかり日本語を使用している。

「ん? どれどれ?」

 それは、幅の薄い長方形のダンボール。「なんだろう」と善一がそれを覗けば、送り主の名前にほわんと心が弾む。

「あぁこんなところにあったのか。いいね、開けよう」

 丁寧に、そっと解体していくダンボール。包まれていたものがあらわになると、サムが先に黄色く声を上げた。

「あっ、パン屋の風景画だ!」

「シュースケ・ゴトー?」

「そうだよ」

「この前、三人で選んだやつだよね」

 テレビ通話で絵画を買った善一。サムとエニーを紹介しつつ、絵画の説明を聞き、この一枚を購入するに至った。

 善一は、添えてあった直筆の説明書きに、目線を滑らせる。

「タイトルは『土曜の朝』、だって」

「きっと、彼が住んでるベルギーの通りの風景なんだね」

 輝くまなざしで、善一と絵画を交互に見るサム。優しく彼の頭を撫でながら、善一は目尻を細めた。


 緑豊かな街路樹から降る、穏やかな陽の光。

 買い求めに来た客の、ゆったりとした動き。

 早すぎず遅すぎずの、晴れた午前のいち風景。


秀介シュースケの見てる世界、お陽さまが暖かくてボクも好きだな」

「そうだね。今度それを伝えてあげようね」

「エニー、秀介シュースケの空、見たい」

「じゃあ、もう少し経ったらまた作品を買わせてもらおうか」

「うん!」

「ヨッシー、この絵はどこに飾るか決めてあるの?」

「ううん、まだ。だからこれから、三人で決めていこう」

 個々を尊重する姿勢は、善一が大事にしている事柄のひとつ。また、そうして『一人の人としての尊厳』を重要視し続ける善一へ、サムとエニーは深く感謝している。「三人で」とわざわざ前置く善一へ、サムもエニーも身震いするほどの喜びを感じ、幸せそうに笑んだ。

「そうだ。明日、キミたちのお昼寝シエスタの時間に良二の事務所に行かなきゃならないんだ」

「大丈夫だよ。起きてられるし、無理矢理寝なくちゃいけないほど子どもじゃないよ」

「エニー、リョーちんと若菜に、早く会いたい」

「うんっ、俺も会いたい。だから今日、出来るだけ片付け頑張ろうね」

 ガクンと三人で頷き合う。


 三人の新生活が始まった。



        ♧



 翌日──柳田探偵事務所。



 シンと静まり返っている空気を割く、咳払いがひとつ。「ええと」で声の調子を調えた服部若菜は、立ったままの背筋をピシリと伸ばし、口を開いた。

「今日お集まりいただきましたのは、他でもありません」

 応接用三人がけソファに並び座っているのは、『探』の窓ガラス側からサム、YOSSY the CLOWN、エニー。

 サムの対面の応接用ソファに浅く腰かけるのは、小田蜜葉。いつものように、放課後すぐに事務所へと急いでやってきた。

 そんな蜜葉と、確かめ合うように目配せをしてから、若菜は小さく意気込んで、YOSSY the CLOWNへハッキリと発言する。

「YOSSYさん。ご依頼の品、無事に出来上がりました」

「え、『出来上がり』?」

 薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズの奥で、目を真ん丸に見開くYOSSY the CLOWN。

「今日はまだ、採寸とか縫製前チェックなのかと思ってた」

「正直、子どもサイズということが早く出来上がった理由ですね」

「そうか。何にせよ、思ってたよりも早かったね」

 感謝の笑みが、若菜へ向けられる。薄い会釈で流した若菜は、緊張の面持ちで蜜葉を一瞥いちべつ。その目配せで、背後から横長方形の紙袋をふたつ持ち出し、センターテーブルへ置き並べた蜜葉を、全員が注目した。

「こちらが、その、お二人の衣装、です」

 サムが興奮気味に、ソファから飛び降りてしまいそうなほど、その小さな身を乗り出す。

「ホントにこれ、若菜が作ってくれたの?」

「そうですよ。でも作ったのは、私一人きりじゃありません」

 ニヤアといびつに曲がる、若菜の口角。

「この『将来有望、才色兼備、うるわし清楚女子 小田蜜葉』も一緒に作りました!」

「ちょ、わ、若菜さんっ。その紹、紹介はっ、あんまりにも過剰ですっ!」

 ワタワタと慌てる蜜葉は、しかし小声。頭の先から真っ赤にして、酷く恥ずかしがる。

 対面で「ブッ」と吹き出したYOSSY the CLOWN。その反応リアクションを好感触だと受け取ったのは、若菜一人だけ。

「え? 蜜葉、縫い物出来ないって言ってたのに」

 傍らでクスクスと肩を震わせ笑いを圧し殺している善一父親を無視して、サムがキョトンと蜜葉を向きながら問う。

「あ、と、それは──」「『私が』伝授したからなんですっ」

 割り入った若菜の自慢気な笑顔と、チョイチョイと自らを指し続けている右人指し指。

 事務机にかじりついて報告書を書いていた良二が手を止め、サムへひとつ首肯しゅこうを向けて、若菜の発言の裏付けに荷担した。

 良二に背を向けていた若菜は、それに気が付かず。また、良二もバレたくはない様子で、再び報告書に集中を戻す。

「まぁホントは私が教えた云々じゃなくて、蜜葉がマジで飲み込み早かったから、一人でも作業をこなすほどになったんですよ。蜜葉の努力は、並大抵を越えてます」

 落ち着いた声色で、至極真剣に、YOSSY the CLOWNへ説く若菜。YOSSY the CLOWNには、蜜葉の功績や努力を一欠片ひとかけら齟齬そごのないよう伝えたい、と考えていた。

「蜜葉は作業も丁寧だし、真面目だし、だから仕上がりもいつも上々でした。ゼロからのスタートとは思えないくらいです」

uh-huhふぅん! セミプロと噂のSignorinaがそこまで言うんなら、期待値が跳ね上がるね」

「まっ、まだ手縫いだけ、ですから……あ、で、でももっと、どんどん覚えたいと、思います」

 意地悪くニタリと笑んだYOSSY the CLOWNに、慌てる蜜葉。傍らでエニーが、蜜葉の発言に休みなく注意を払っているため、ネガティブな言葉で締め括らないよう注意をし続けていた。

「じゃ、二人に出してあげましょ」

 珍しく、自然な笑みでそう促す若菜。ゴクリと生唾を呑み、蜜葉は目の前の紙袋へ右手を突っ込んだ。

「で、では、こちらがご依頼品の、完成形です!」


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