7-3 charmd mechanical pencil

 だんだんと集中が研ぎ澄まされて、向かっているノートと自分だけになる瞬間って、ありますよね。それがわたしにとって、最高のストレス発散とアドレナリンの放出タイミングなのです。


 わたし、小田おだ蜜葉みつばといいます。

 実は、服飾デザインをするのが、一〇才の頃からの趣味なんです。……あの、結構恥ずかしいので、本当にどうか内密にしてください。


 デザインしているのは、ドレス様の衣服が主です。例えばウェディングドレスやパーティードレス、ダンス衣装などを創作します。

 大概は男女ペアで考案して、見返しては想い馳せたりして。あ、わたし自身が着たいわけではなく、あくまでも『誰かに着ていただけたら』、ということを想像するんです。

 細かな装飾品のうち、最低ひとつは『お揃い』にするのが、わたしのデザインの決まり事。描いたそれに、わたし作者にしかわからないような小さな秘密を隠して、わたし作り手だけの特別にするんです。こういうの、とってもいいと思うんです!

「…………」

 止まる、シャーペンを持った右手。

 中途半端のラフ画。

 果ての、小さな溜め息。


 だけど実は。

 描いたデザインは、まだ誰にも見せたことがないのです。『秘密』と言った理由は、そこ。

 これは、叶うかなんてわからない、小さな小さなわたしの夢。今後もきっと、誰にも言わないで終わっていく、引っ込み思案のわたしの夢。

 例えば、どこへ発信したらいいのかなども調べません。それをする勇気『すら』ないのです。だって、一度発信してしまったら、ネガティブな視線にも晒されるでしょ? それを受け止める懐は、わたしにはないんですよ。

 たとえ、このデザインたちが燻ったままこの生が終わったとして。それならそれで仕方がないと、目を瞑るほかありません。

 だからといって、デザインをする手を止めるなど出来ませんので、こうして日々したためているのです。


 思考と感情がちぐはぐなことくらい、存分に承知なのです。

 だから今はたった一人、わたしだけが知っていれば、それでいい。だって結局、趣味なのだから。

 それでいい、はずなの。

 

「──ん」

 考え事をしていたら、集中がプツンと切れてしまいました。

 不意に目を上げたわたし。

「あれっ?」

 目の前からは既に、被写体にしていた『輝く彼』も、それを囲う人だかりも、すっかりなくなっていまして。

「や、やだ、どうしようっ」

 慌てて、鞄に入れたままのスマートフォンを見ると、もう既に二〇分は経っていました。「二分だけ」とか思っていたのに、大嘘です。全然二分どころじゃありません!

「帰らないと」

 開いていたノートを鞄へ押し込み、勢いよく立ち上がったわたし。あまり得意ではないけれど、タッと走り出しました。目指すはターミナル駅のホームです。

 こんなに時間が経ってしまっていては、母からうるさくとがめられてしまうに違いありません。生憎あいにくわたしは、いいわけもへたくそですし……ハァ。

 左胸に刺した新しいわたしの創作パートナー、クローバーのチャームが付いた、シャーペン、の……えっ。

「あ、あれ?!」

 パタリと立ち止まったわたし。買ったばかりのシャーペンがありませんっ! 左胸のポケットに刺したはずだったですが。

「落として、きちゃったかもっ」

 ハアハアゼエゼエと、息を落ち着ける間もなくUターン。

「わぷ」

 鼻が、顔面が、ドムンとした衝撃に潰れてしまったような。痛いというより、びっくりしすぎて理解が遅れてます。

「おっと」

 鼻をさすりながら、声のした方──二歩前の方向を、そろりそろりと見ていきます。


 フワッと鼻腔びくうに入る、まるで森林のような薫り。

 艶やかな濃紺色の、スーツ生地。

 ほんのりと薄紅色をした、シワのないYシャツ。

 その中央に淡いエメラルドグリーンの、正しく締められた艶やかなネクタイ。

 ゴールドに、小さなアメジストがはめられたタイピンまでなさっていて。

「追い付けたらいいなとは思ってたけど、まさかそっちから飛び込んできてくれるとは思わなかったな」

 透明感のあるお声。

 健康的な肌色。

 顎を上げないと直視出来ない高さにあるお顔。

 その目元には、灰青色の、サングラス。


 あれ? 待って。見たことがある、このお姿。


 ブワリと吹き抜けた初秋の風にも乱されない、たたずまい。

「あ、さっき……」

 そして、輝かしい、この笑顔。

「うん。あっちでパフォーマンスやってた僕だよ」

 そう、人だかりの中心にいた、彼です。


 カアッと自分の顔が、熱を帯びたのがわかりました。だって、思ったよりも整ったお顔立ちで、その、視線が合うだけで、なんだか照れてしまって。

「忘れ物ですよ、Signorinaシニョリーナ

「し、にょり?」

 そうして差し向けられたのは、若草色の──あっ!

「わ、わたしの、シャーペンっ」

 鞄の紐を両手でぎゅうと握ると、肩もきゅんと縮み上がって、声が震えてしまいました。

 気にしない風な、余裕のある雰囲気の彼。笑顔のまま、「どうぞ」とシャーペンを向けてくださって。チャリ、と小さくチャームが揺れています。

「ああーあの、ど、どこに、これ」

「そこのベンチの上に。座ってノートにこれで描いてたの、Signorinaでしょ?」

「は、はい」

 あ、思わず頷いちゃった。『しにょりーな』の意味、わたしのことで、合ってるんでしょうかね?

 そっと、シャーペンへと手を伸ばすわたし。

「なにを熱心に描いてたのか、訊いても?」

「えっ?!」

 つい、ビクッとしてしまって、奪い取るみたいにシャーペンを受け取ってしまったわたし。強く胸にそれを抱いて、俯いてしまって。


 どうしてそんなことを訊くんでしょう。ああ、まさか「あなたを描いてました」なんて、言えるはずがありません!

 それに、創作のことを口にして、またわらわれてしまうのではと過ってしまうし。怖い。誰ともわからない見知らぬ男性になんて、とてもじゃないけど、言えません。


「さ、サヨナラです」

「え」

 このお願いにだけは、易々とお答えできません。それと、拾ってくださったことへ気を配ることも叶いませんっ、ごめんなさい!

 そうしてわたしは彼に背を向けて、ぴゅーっと駅へと再び走り出しました。


 チャリチャリと揺れる、クローバーのチャーム。どうかわたしに、穏やかな幸運を運んでね、と小さくお願いを込めていました。

 なのに訪れたのは、ドッキリと心臓が跳ね上がるようなハプニング。

「あー、もう!」

 お願いなんて、するんじゃなかったです。



        ♧



「んー、逃げられちゃったか」

 そっと顎に手をやった俺。ちょっと、いや結構? 地味ぃーにショック。


 彼女、YOSSY the CLOWNのことを知らないっぽかった。しかも、めちゃくちゃ嫌がられた。これが意外と俺の──いや、『僕』の矜持プライドを殴ってくれたようだよ。

 サムとエニーが、ホテルでシエスタお昼寝してくれていて、むしろよかった。格好つかないこの現場を見られていたら──考えるだけで怖すぎる。


 チリ、と噛んだ口腔内。

「絶対、モノにしたい」

 ひとつ吸って、長く吐く。

「『ふたつ』とも」

 にんまり、持ち上がる口角。悪いけど、俺は欲張りなんだよね。

「いろいろ丁度、都合いいかな」

 俺は、彼女の辿々しい走り去る背中を目に焼き付けながら、ひとつの作戦を思い付いた。


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