4-2 clean up yours

 柳田探偵事務所隣、花屋・マドンナリリー 二号店。



 有村ありむらと名乗る雇われ店長の年配女性が、服部若菜が持ってきたダンボールを、説明ゼロの状態でひょいと受け取った。肉付きのいい頬をぷりんと持ち上げ、「ありがとね」と微笑むと、有村店長はそのダンボールの封をバリバリと開けながら若菜へ質問の嵐を向けた。柳田良二に言われた経緯説明は、にこやかに、時々ニヤニヤしつつ、そうして有村店長によって吐かされることとなる。


 来店から一五分が経つ頃。


「あれま、昔馴染みが来ちゃったみたいだね」

 店の前にシルバーの商用バンサクシードが停まった。それを合図に、有村店長は小さなビニル袋を若菜へ持たせる。

「じゃ、若菜ちゃん。少ないけど、これリョーちゃんに持ってって」

「リョーちゃん?」

「アンタの雇用主さ。柳田リョーちゃん」

「ぶふっ!」

 飛び出た吹き笑い。

 あの半開きのやる気のない目、ぐんと上がった顎、デカい態度。それを『近所のおばちゃん』から『リョーちゃん』ででられている柳田良二を、若菜は大層面白がっていた。

「了解しましたクフフフ、渡しときますブフッ!」

「アンタねぇ。本人の前で笑ってやるんじゃないよ?」

「ンフフフフ、はい、気を付けますンフフフフ」

 商用バンサクシードの運転席から下車した、良二ほどの高身長の男性とすれ違う。彼は花屋へと入っていった。有村店長の言う「昔馴染み」か、とフワリ推測し、若菜は探偵事務所へと足を向ける。

「あれ」

 事務所への階段を上がろうとしたのと同時に、良二が下りてきた。かかとを擦り、ポケットに手を突っ込みながら下りてくるので、コンクリートの内壁にカツーンカツーンと高く響く。

「どっか行くんですか、柳田さん」

「違う。テメーに教えることがあるから出てきたんだ」

「え?」

「それ終わったら、テメーは休憩だ」

 良二は「いいからついてこい」と小さく若菜へ告げる。

 事務所階段を降り、すぐに左へ曲がる。それは、『花屋・マドンナリリー 二号店』を背にした向き。数歩進んだ先の赤提灯の居酒屋の角で、また更に左へ折れる。

「掃除箇所ふたつ目を言い渡す」

 背中でそう言う良二。スラックスポケットに手を突っ込んだまま、赤提灯の居酒屋の裏手の、とある建物の目の前で立ち止まった。

「ここ……」

 若菜が良二の左隣へ並び立つと、向いた方向には古いアパートが二棟。

「って。こっち、私が借りてるアパートじゃないですか」

 左側を指した若菜。

 アパートはいずれも三階建てで、薄汚れている印象が強い。大家である良二自らが、何も手を入れていないことは明白だ。

「今日からこのアパート二棟の掃除係に、テメーを任命する」

「ええっ?!」

 勢いよく、良二へ目を丸くする若菜。良二はアパートを眺めたまま、話を続ける。

「これな、俺が祖父じいさんから譲り受けたモンなんだよ」

「ゆ、譲り受けた?」

 眠たそうな目元で、良二は「あぁ」と首肯する。

祖父じいさんはこの辺の地主でな、昔、不動産屋やってたんだ。事務所と駅の間に不動産屋あんだろ? 『たちばな不動産』。あれ、もともと祖父じいさんの店だったんだ。不動産業は他人に譲っちまったけどな」

 若菜は、静かに聞き入る。

「いろいろ不動産だの土地だの持ってたんだが、ほとんど現金に換えて、孫に生前贈与して死んだ。俺が受け取ったのはこのアパート二棟と、事務所のビル。つっても、事務所のビルは俺が遺産増やして買ったんだけどよ」

「増やして、って?」

「ちっと、競馬で……あーあれだ、びぎなぁずなっくる、ってやつだ」

「それ『ビキナーズラック』ですよ」

 沈黙、三〇秒。

 良二の「ウルセェっ」と怒鳴り散らした真っ赤な顔で壊される。

「とっ、とにかく」

 ビッ、と向けられた良二の左人指し指。

「右側のこっちのは、生前の祖父じいさんがリフォームだかリノベーションだかをやったから、3LDKが四部屋ある。一階車庫、今ンとこ満室」

 良二は左側のアパートへ首を捻る。

「こっちは、祖父じいさんが手ェ加える前に死んだから、1Kと1DKが四部屋ずつ入ってる古アパートのままなんだ。テメーが入居したとはいえ、まだ半分も空室がある。ぶっちゃけヤベェ」

 で、と一呼吸おいた後に、良二は若菜へ向き直る。

「秘書として、掃除係として、ここ二棟の掃除も頼む」

 そう言う良二の眉間に寄っているシワは、この五日間で見たものの中で一番『優しく』、若菜には『敬意』が感じられた。それが建物に対してなのか、自分へ向けられたものなのかは不明瞭であったが、「いや待って、マジ、冗談じゃないですよね」などと、口の端をひきつらせて言える雰囲気でないことだけは感じ取る。

 口を尖らせ俯き、良二は後頭部を掻いた。

「……掃除出来ねんだよ、俺」

「そりゃ、あの事務所見りゃわかりますけど……」

 でも、と思った矢先、YOSSY the CLOWNから『役に立ってやって欲しい』と頼まれてしまった記憶が、脳内でリプレイされては若菜の心を緩く拘束する。


 即席の秘書になった服部若菜は、想像以上によく働いている。

 たった二日で『紙山』だった事務所内を整理整頓し、三日目には窓やら扉やらシンクやらそこかしこを磨き上げ、四日目にはその都度事細かに分別したゴミをすべてしかるべき場所へ捨てに行った。

 五日目にあたるこの日は、良二が「資料だ」と言い張る紙山をその良二と共にファイリングしていたところだったわけで。


「じゃあ」

 わずかに頬を染め、若菜は良二へ向いた。

「マジック、ひとつでいいから見せてくださいね」

 冷めたまなざしの良二は、一五秒経過してから「しゃーねぇな」と溜め息まじりに小さくぼやいた。

「つーか。テメーの持ってるその袋なんだよ」

「花屋のてんちょから貰ったんです。リョーちゃ──ブフッ! いえ、『柳田さんに』って」

 吹き出して笑った意味をうっすらと察しづく良二──というか、良二の場合は『推理した』に近い。

「チッ、あンの世話焼きババア」

 鼻筋にシワを寄せて、ビニル袋を若菜からかっさらう良二。

「あ、わかった。それ、恥ずかしがってるんですね? 耳赤いですよ」

「うるせぇ解雇すんぞ」


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