【8/永久なんて存在しないと気付かなかった】
父さんは歩みを止めた。
『あの場所』についたのだろうか。僕は何とか顔を上げると辺りを見渡した。鬱蒼と覆い茂る木々が見えた。
「ここは……」
「ここは村と樹海との境界線の手前だ」
「村を、出るの?」
父さんは「ああ」と頷いた。どうしてだろう、僕は急に不安に駆られた。
「どこに行くの?」
「教会よ」
母さんが答えた。母さんは優しい、赤子をあやすような声でゆっくりと言った。
「貴方を教会で保護してもらうの」
「そんな……! どうして」
今度は父さんが答えた。
「怪我しているお前を見つけたら、教会の人はきっと保護してくれる。教会にはヴァンパイアハンターもいるから、その傷を見たら吸血鬼によるものだとすぐに分かってくれるはずだ。手当てしてくれるだろう」
僕は理解が追いつかないまま話を聞いていた。まるで夢の中で話しかけられているかのように、現実味がなく聞こえる。
「本当なら私達が手当てしてあげたいところなんだが……、時間がない。すまない。テレーゼが発見されたら村中大騒ぎになるんだ。その前にここを出ないと」
「教会に保護されたら、僕はどうなるの?」
僕は怖々聞いた。さっきから不安がどんどん膨らんで止まらない。ざわざわと胸騒ぎがして、心臓が胸の中で暴れる。答えを聞くのが怖い。僕は母さんの顔を見れなくてぎゅっと目を閉じた。目を閉じても当然、耳から母さんの返答が聞こえてくる。
「手当てしてもらって、それで……」
「いい、いいよ母さん言わないで。それ以上言わなくていいから」
僕が止めるのを無視して母さんは僕が聞きたくない答えを言った。
「これから、人間の世界で生きていくのよ」
僕は口を開いた。が、唇が震えて上手く喋れない。それでも何とか震える声で聞いた。
「それって、父さんと母さんにはもう会えないってこと? いや、そんなはずはないよね、ねえ?」
僕は勇気を出して母さんを見た。母さんは悲しそうに、静かに首を左右に振った。
「そんな……嘘、だよね……?」
「いいや本当だ。この村を出たらお前は記憶をなくして気を失う。次に目を覚ましたときには、私達のことは忘れてしまっているだろう」
「やだ……やだ!!」
僕は駄々っ子のように首を振り、泣き喚いた。こんな子供じみたことをするのは何年ぶりだろうかと一瞬思った。
「僕ずっと父さんと母さんと一緒にいる! 話を盗み聞きしたことも、勝手に家を抜け出したことも全部謝るから、もう悪いことしないから、良い子になるから! だから! だからずっと一緒にいてよ!」
「それは無理よ……」
母さんの目から一筋の涙が流れてつうっと頬を伝った。
「本当なら私たちは一緒にいるはずがなかった。それがどういうわけかこうして一緒にいるの。神様のおかげでね。でも、ずっと一緒に生きてはいけない。貴方は人間、私たちは吸血鬼」
母さんは優しい手つきで僕の頰を撫でた。母さんは僕の頬に流れた涙を拭ったのだ。僕は気づかないうちに泣いていた。
「貴方はこれから人間として生きていくのよ」
「嫌だ!」
僕は頬に添えられた母さんの手を振り払った。母さんは辛そうに目を伏せる。
「お願い、わがまま言わないで」
「わがまま言っているのは二人の方だ!」
その時僕の頭にある名案が思い浮かんだ。僕と父さんと母さんは、人間と吸血鬼という違いがあるから、一緒には生きてはいけない。母さんはそう言っていた。それなら、僕と二人とを同じにしてしまえば問題ないではないか!
「そうだ、僕を吸血鬼にしてくれよ。そうしたら父さんと母さんと一緒にこれからもずっと家族でいられる! さあ僕の血を吸ってくれ! 死の寸前まで!! ねえ!」
大好きな二人になら、吸血されてもきっと痛くないはずだから。
「いいや駄目だ」
父さんは無慈悲に首を横に振った。
「どうして!」
「ドナテラ、吸血鬼の一生がどんなものか知っているか」
父さんの声は淡々としていながら、悲しそうだった。深く、静かに悲しみに沈んでいるような声……。
「陽の光を避け、夜闇に潜み人を襲いながら数百年の時を生きなきゃならない。それはとても苦しいことだ。ドナテラ、私は何度も人間に憧れた。一度で良いから陽の光を浴びてみたかった。それに、長く退屈な生よりも短いながらも輝いた生を送る人間が羨ましかったんだ。……私はね、一度人間の友人というものができたことがあるんだ」
父さんは遠い目をした。その友人のことを想い、懐かしんでいるのだろうか。
「でも人間の寿命は吸血鬼と比べて短い。彼はすぐに死んでしまったよ。友を失うというのは想像以上に辛いことだ。お前にはそんな思いはして欲しくないんだ」
それでも僕は必死の抵抗を試みる。
「父さんと母さんがいる! 父さんと母さんがいれば他は何もいらない! 友達なんていらない!!」
「私達が死んだらどうなるの?」
母さんの言葉は重く僕の心にのしかかった。考えてもみなかったことだ。けれど二人が僕より先に死ぬことは十分にあり得ることだ……。
「この村ではもう暮らせない。貴方は追われる身よ。数百年間ずっと、貴方はひとりぼっちになる」
「でも、でも……!」
何か言わなくちゃ、何か言わなくちゃいけないのに……。このままじゃ二人と離れ離れになって二度と会えなくなるどころか、大切な二人のことまで忘れてしまう……。
母さんが「ドナテラ」と優しい声で呼びかけた。
「私は貴方を愛しているわ。それは貴方が私達のことを忘れてしまっても変わらないことよ」
「私もお前を愛している。幸せにおなり、ドナテラ。これからお前には輝かしい未来が待っているんだ」
視界がぼやけて二人の顔がよく見えない。頰を生温かい液体が伝う。これで最後かもしれないのに。二人のこと、忘れたくない。愛しい父さんと母さんの顔をもっとちゃんと、よく見たいのに。僕を愛してると言ってくれたひと達。僕が愛しているひと達のことを……。
「父さん、母さん……」
二人は歩き始めた。境界線へ向かって。父さんに抱えられている僕も必然的に、境界線へ向かうこととなる。あと数秒もしないうちに村を出てしまうだろう。
僕は伝えなくちゃいけない言葉を思い出した。
二人からは何度も言われた言葉。言わなきゃ、伝えなきゃと思いながらも恥ずかしくて一度も言えなかった言葉。いつかは言おうと先延ばしにしていた言葉。
ああ、どうしてもっと早く、一度でいいから、恥ずかしくてもいいから言わなかったんだろう。二人は何度も僕に伝えてくれていたのに。僕はどうしても恥ずかしいから、いつかは言おうと先延ばしにしていた。いつか、いつか……。
ずっと、僕と、父さんと、母さんと、三人で一緒にいられるから、いつかは言えると思っていた。『いつか』は僕の未来に確かに存在すると思っていた。三人での時間は永久に続くと、疑いもせず錯覚していた。永久なんて存在しないと気付かなかった愚かな僕……。
僕は気づいた。『いつか』は今だ。僕は最後の力を振り絞って口を開く。
「僕も……、僕も二人を」
その瞬間父さんは境界線を超えた。僕の意識は途絶えた。
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