【5/貴方のような例はあまり見た事がない】


 オデットはカーターの家を目指して村の中を歩いていた。カーターの家は彼女の家と反対側の村はずれにある。オデットの歩いているところにはあまり家はない。この村は樹海の中にあるため、家があまり建ってないところは背の高い木が生えている。

 急ぎ足で向かっていると、一つの木の影から一人の男が姿を現した。

「これはこれは、コンスタンさん。こんばんは」

 男は無理やり張り付けたような気味の悪い笑顔で、オデットに挨拶した。オデットは一瞬表情が強張るも、彼女も無理やり張り付けたような笑顔で応戦した。

「ベレンソンさん、こんばんは」

 オデットはベレンソンがどうしてここにいるのかを考える。ベレンソンの家はこの方向にはない。この方向にはカーターの家しかないはずだし、ベレンソンが彼に用があるとも思えない。……まさか、自分を待ち伏せしていたのだろうか。

 ベレンソンはオデットに「どちらへ?」と問いかけた。彼女の向かう方向にはカーターの家しかないのだから、分からないはずあるまいに。オデットは自分の笑顔が引きつりそうになるのを抑えて答えた。

「カーターさんのお宅へ。 血を買いに行きますの」

「カーター……」

 ベレンソンは気味が悪い笑顔のまま記憶を探るようなそぶりを見せた。知らないはずがないのに、全くもって白々しい。オデットはそう思ったが黙っていた。

「ああ、家畜の血を売っている彼ですか。コンスタンさん、貴方は実に変わり者だ。前にも聞きましたが何故人間の血を飲むことを拒むのですか? 家畜の血など生臭くて飲めたものではないでしょう」

 ベレンソンは憐むような、蔑むような声で言った。

「この村では私が捕らえてきた人間の血を、村人に格安で提供しています。だからわざわざ狩りに行く手間もリスクもない。新鮮なものを提供しているのですから、味だって保証します。人間から直接摂取するのに抵抗のある方でも、抜き取られた状態の血ならば抵抗はないでしょう。それに——」

「前にもお答えしましたがベレンソンさん」

 上機嫌にぺらぺらと喋るベレンソンの言葉をオデットは遮る。一瞬だけベレンソンは不快そうに顔を歪めたが、すぐに笑みを貼り付け直した。

「私はそれでも良いのです。味など気にしません。もういいですか? 私、急いでいるんです」

 歩き出そうとするオデットを妨害するように、ベレンソンは彼女の目の前に立ちはだかった。

「分かりませんね。それだけの理由で、貴方がそこまで執着する理由が」

「……」

 オデットは口を閉ざして、貼り付けていた笑顔も剥がして、ベレンソンを睨んだが彼は相変わらず貼り付けた笑顔を崩さない。道を通してくれそうもない。オデットは諦めて口を開いた。

「……私が元人間であることは貴方もご存知のはずでしょう」

「ああ! そうでしたそうでした、いやあすっかり忘れていましたよ」

 ベレンソンは芝居がかった動作で言った。白々しい。オデットがそう思ったのは何回目になるか分からない。

「しかし元人間の吸血鬼など多くはありませんが、そう珍しくもないではありません。死の少し手前まで吸血された人間は吸血鬼になるのですからね。まあ無闇に仲間を増やしたくはないでしょうから、直接吸血する際は死ぬまで吸うのが普通ですが。——元人間の吸血鬼は何人も見てきましたが、貴方のような例はあまり見た事がない」

「別に良いではありませんか。それぞれ、考えは違います。私はただ、人間の血が飲みたくないだけです。……もういいですか? 私、急いでいますので」

 オデットは無理やりベレンソンを押し除けて歩き始めた。

「そういえば、息子さんがいらっしゃるんですね。コンスタンさん」

 何気ない風を装って放たれた言葉に、オデットは足を止めた。振り返らないまま声だけは平静を保ちながら「なんの話でしょう?」と返す。が、表情は一目見ただけで焦燥と戸惑いが見て取れてしまう。

「私は夫との二人暮らしです。息子などいません。なにかの勘違いではないのですか?」

「あくまでとぼけるつもりなんですね? おかしいですねえ、娘が見て実際に話したと言っているのですよ。じゃあ娘は誰と話したんでしょうね?」

「……テレーゼさんが」

「ええ。いやあ驚いたなあ、そんなの初耳でしたから」

 背を向けていてもベレンソンのまとわりつく様な視線がわかる。オデットは焦燥感に駆られるも、それを気取られないように隠すので必死だった。

「すみませんが何のことだかさっぱり分かりません。本当に急いでいるので私はこれで」

 オデットはカーターの家へ向かって歩き始めた。

 ベレンソンが見えなくなるまで歩いたあと、脇道に入り、自宅へ向かって走り始めた。



 珈琲を飲みながら本を読んでいたドミニクは、オデットが帰ってきたので「おかえり」と声をかけ顔を上げた。オデットは尋常じゃないくらい顔面蒼白で、足元はおぼつかなく、汗がふき出ている。ドミニクは驚いて彼女に駆け寄った。

「一体どうしたんだいオデット」

「大変だわ、どうしましょう、ドナテラが、ドナテラが」

「落ち着くんだ、オデット。深呼吸して。何があったんだ? ドナテラが、何だい?」

 オデットを落ち着かせようとドミニクは冷静に問うように努めるも、その声には焦燥感と不安が滲み出ていた。オデットは二、三度深呼吸をしてから話し始めた。

「ドナテラの存在がベレンソンに知られてしまったわ」

「そんなっ」

 ドミニクは身体から力が抜けていくのを感じた。持っていた珈琲カップが手から滑り落ちて床に落下した。破片と珈琲が辺りに飛び散る。

「でもどうして、ドナテラは家から出た事がないはずだ」

「分からないわ。分からない、分からない……どうして今なの……あと一年なのよそれなのに……、ああ私のせいなのかしら。二階なんかじゃなくて地下室にでも閉じ込めておけば。どうしましょう、あの子が……」

「落ち着くんだオデット!!」

 ドミニクは彼女の肩を掴んで強い口調で言う。錯乱状態に陥りかけていたオデットははっとした。

「そう、落ち着いて……。しかし、どうして。この家の周りに住んでいる者は少ない。それに、ベレンソンは随分と離れたところに住んでいるじゃないか」

「でも見たって言うのよ、テレーゼが。それに話したとも言っていたの」

「テレーゼが……」

 二人はどうしたら良いか分からず黙り込んだ。ただ今が、どうしようもなく危機的な状態に置かれていることだけは二人とも自覚していた。やがてオデットが口を開いた。先程の錯乱しかけていたときとは違う、静かで強い意志のこもった声だった。

「……時間が無いわ。ベレンソンは今はまだ疑念を持っている程度だった。けれどそれだけで奴は動き始めるに決まっている。急ぎましょう」

 その言葉でドミニクは全てを察した。

「ああ。ドナテラには本当のことを言わずに、だね?」

「ええ、あの子には嘘をつき通したまま——」

 と、そこまでオデットが話した時である。ドアの向こう側でガタッと言う音がしたかと思うと、誰かが走って玄関へ向かう音が聞こえた。

「まさか……」

「ドナテラ!?」

 音の正体に瞬時に気付いたオデットは走り出した。ドミニクも慌ててその後に続く。

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