【3/まあ、死人に口無しだが】
「嫌だ、やめてくれ! 殺さないでくれ……!」
椅子に座らされ縛られている青年は必死の形相で悲痛な声を上げた。
青年はとある薄暗い部屋の中央にいる。何の調度品もない殺風景な部屋だ。窓すらない。鼻をつくような鉄臭い匂いが部屋に充満していて、そのせいか空気が重い。床にどす黒い染みが古いものから新しいものもまで幾つも重なってできている。
青年の周りをゆっくりと歩く男がいた。必死に命乞いをする青年とは対照的に、冷めた眼差しをしている。淡々とした感情のこもっていない声で彼に言う。声の調子とはちぐはぐに彼は笑っていた。無理やり貼り付けたような気味が悪い笑顔だ。
「貴様はこの村の掟を破った」
「俺は掟を破ってなどいない!!」
男は青年の言葉に耳を傾けようとしない。ただ冷淡な声で続ける。
「しらばっくれるつもりかね?」
「違う! 誤解だ! ベレンソンさん、頼む話を——」
「貴様のようなものがこの村にいてはならない」
男——ベレンソンは青年の後ろで立ち止まると、手にしていた銃を彼の後頭部に無慈悲に突きつけた。青年は無駄な抵抗を試みる。椅子ががたがたと揺れた。
「やめろ! 死にたくない!! 死にたくな——」
彼の最期の言葉は銃声でかき消された。青年の首ががくんと折れる。つい数秒前まではあんなに必死に抵抗する声と音でうるさかったのに、今は嘘のように静かだ。
ベレンソンは銃をしまうと、ドアの方を向いて向こう側にいる人物に声をかけた。
「片付けろ」
ドアが開き、二人の人物が現れた。赤毛と金髪の男である。赤毛の男は動かない青年を見て咄嗟に目を逸らす。金髪の男は青年を険しい形相で凝視する。
「片付けろ、と言ったが聞こえなかったのかね?」
ベレンソンの冷たい声と変化のない気味の悪い笑顔に、二人はびくりと肩をふるわせ、慌てて青年に駆け寄った。赤毛が縄をほどき、金髪が滴り落ちた血をふく。血をふき終わった金髪は、青年を凝視してぽつりと男に問いかけた。赤毛はまだ縄を解いている。
「……どうしてセドリックを殺したのですか」
「掟を破ったからだ。この村の掟は決して破ってはならぬ。反逆者には罰を。ただそれだけのことだろう?」
「しかし、セドリックが掟を破ったという確証はありません。証拠は目撃証言しかないではありませんか。それに、彼は死に値するようなことをしたでしょうか?」
赤毛は焦った表情で、金髪の袖を引っ張り、「おいっ」と彼の言葉を止めようとした。赤毛の表情には恐れも含まれているようにも見えた。
「……君は」
ベレンソンは一度しまった銃を再度取り出し、黒い銃身を撫でた。彼は金髪を見る。たったそれだけの動作で金髪は硬直して動けなくなった。
「私に、口答えするというのかね?」
「そ、そそんな、つもりは……」
うまく動かない口を無理やり動かして金髪は否定する。冷や汗がだらだらと流れる。そばにいる赤毛も生きた心地がしなかった。
「私は片付けろと言ったはずだが」
「……はい」
二人はセドリックを抱えて部屋を出た。
「……ずぶ濡れですよ、モーガンさん」
コートを着込んだドミニクはそう言って自分のさしていた傘を、金髪の男——モーガンに差し出した。村はずれでスコップで穴を掘っていたモーガンは顔を上げた。穴は成人男性の膝が埋まるくらいの深さまでになっている。穴のそばにはセドリックの遺体がある。
モーガンは差し出された傘とドミニクを交互に、虚ろな目で見た。
「……知ってますよ」
「……」
「……コンスタンさん、これでは貴方がずぶ濡れになってしまう。この傘は貴方が使ってください」
モーガンは穴掘りを再開した。ドミニクは傘を差し出したままだ。二人は何も喋らない。暫くの間、穴を掘る音と雨音しか聞こえなかった。
突然ドミニクが口を開いた。
「……もう、今月で三人目ですか」
「……ええ」
穴はどんどん深くなっていく。
「いいんですか、こっそり埋葬している事が村長に知られたら貴方も殺されますよ」
「……いいんです」
モーガンは投げやりな口調で言った。
「……貴方もご存知の通り、今の私に家族はいません。セドリックは私にとって血は繋がってませんが弟のような存在でした。そのセドリックはもういません。私に友人と呼べるような存在はいません。もう、生きる理由はないでしょう。それに私はもう四百年近く生きました。生きることにももう、飽きてきたところなんですよ」
モーガンは、はははと笑った。空っぽな笑いだった。
「……うちに来ますか? 珈琲くらいなら出せますよ」
モーガンは顔を上げてドミニクを見た。笑い方と同様に空っぽな瞳だった。どこを見ているのかわからない。
「優しい人ですね、コンスタンさん。けれどそんな同情いりません」
「……それは、申し訳ない」
「いえ」
再び二人の間に沈黙が舞い降りた。規則的な雨音。スコップで土をかき出す音。
しばらくして先に口を開いたのはモーガンだった。
「……いつから、こうなったんでしょう」
彼の手が止まる。
「前はこうではありませんでした……」
モーガンは「ベレンソン……」と忌々しげにその名を口にした。空虚な瞳に一瞬激情がうつる。
「そうだ……、あいつが村長になってから……。全てが狂い始めたんだ」
「……前は、こんなにも頻繁に裁かれはしませんでしたね」
「それだけではありません。以前の村長の時も裁かれる者はいましたが、掟を破ったという確たる証拠がありました。殺される者にはそれだけの理由があったんです。……けれど今は、証拠とも呼べないような証拠をでっちあげられ、セドリックを含む多くの者が殺されました」
「……ええ」
モーガンはスコップを振り上げ、ざくっと深く突き刺した。
「ベレンソンはただ自分の気に入らない者を、理由をこじつけて始末しているだけなんだ……。エマもあいつのせいで……」
ずぶずぶとスコップが土に深く深く突き刺さっていく。モーガンの言葉はもう半ば独り言じみていた。
「……セドリックは、掟を破るようなやつじゃないのに。どうして死ななければならなかったんだ」
モーガンは顔を上げてドミニクを見た。
「コンスタンさん、貴方も気をつけた方がいいですよ。貴方にはまだ、愛する奥さんがいるのでしょう?」
ドミニクは小さく頷く。
モーガンは再び地面に目を落として穴を掘る作業を再開した。
「セドリックが殺された」
ドミニクは端的にそうオデットに伝えた。
ドナテラのためにリビングで破れた服を縫っていたオデットの手元が狂い、針が彼女の指の腹を刺した。血が縫いかけの服に小さな染みを作った。
「……セドリックが」
「ああ」
「ベレンソンの仕業ね」
オデットは手元の小さな赤い染みを見つめ、呟いた。
「彼が、一体何をしたっていうの」
「掟を破ったそうだ。しかし、私は彼がそんなことをするようには思えない。まあ、
死人に口無しだが……」
ドミニクはかすかに震える声で「私達もいつ、セドリックの様にのようになるのだろう」と誰に言うでもなく呟いた。「縁起でもないこと言わないで」とオデットは強い口調で彼に返した。
「そうならないために隠し通すのよ。誰にも決して知られてはならない」
爛々と輝く金色の瞳には強い意志が宿っている。
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