第9話 たった一人の先輩

 ――翌日。午前九時。


 朝食を食べたあと、軽い準備体操をしてからアパートから出た。

 行先は昨日決めた【東京令和大学】。俺が通い始めて二年目の大学で、俺はそこの教育学部に入ったのである。


 特に教師になりたいという考えはなかったが、そこそこ偏差値が高い中でも、比較的簡単に受かりそうだったために受けた学部だ。

 元々東京で一人暮らしをしてみたいということもあって、妹の反対を押し切って入った大学だったこともあり、できれば卒業をしたかったが、こうなった以上は残念としか言いようがない。


 せっかくつい最近新入生も入ってきて後輩ができたというのに……。


 当然授業などしてはいないだろうけど、ここ十日間はまったく行ってなかったので、そろそろ様子を見ようと思っていた頃合いでもあった。

 いつもなら正門を入ってすぐにある広場では、学生たちで賑わいを見せているが、やはりというべきか閑古鳥が鳴いていた。

 まるで夜の大学にでも忍び込んだかのような静けさだ。


「あーやっぱ誰もいねえかなぁ」


 俺は誰かいないか《気配感知》を発動させながら歩いていると、ある建物の傍を通りかかった直後に、人の気配を察知して足を止めた。


「ここは……図書館に誰かいるのか?」


 敷地内には結構大きめの図書館が設置されているのだ。ぼっちの俺は度々利用させてもらっている憩いの場所でもある。

 ただよく見てみると窓ガラスや入口が破壊されていた。誰かが無理矢理侵入したことは間違いなさそうだ。


 ここにはそれなりに売れば高価で買い取ってくれる書物もあることはあるので、それが狙いなのだろうか?


 こんな世界で金が必要だとは思えないが。

 俺は息を潜めながら、壊れた入口から中へと入って行く。


 気配は……一つ? つまり一人だけか。


 図書館は地下ありの二階建てだが、気配は地下からしている。


 モンスター……ってわけじゃないよな。多分……人間。


 しかし一般人か『ギフター』かは分からない。

 気配はジッと動かずに同じ場所に居続けているので、もしかしたら本でも読んでいるのかもしれない。だとしたらこんな情勢に暢気なことだ。


 俺はできるだけ足音を立てずに階段を下りて行き、幾つも立てられている本棚に身を隠しながら気配がある方へと進んでいく。

 そして本棚から覗き込めば、その気配の正体を確認できるとことまで来た。


 そ~っと顔だけ出してみると――。


 …………ん? あれ? あの人ってまさか……!


 そこには何冊もの本が積み重ねられたテーブルの上で、スヤスヤと寝息を立てている人物がいた。

 俺は恐る恐る近づいて、改めてその人物を見定める。


「……! やっぱりこの人……!」


 ブカブカな白衣を纏った小柄な女性。初対面じゃ間違いなく中学生やそこらだと勘違いしてしまいそうなほどの童顔を持つ人物だ。


「んむ……にゃ……ぁ?」


 白衣の人物が重そうに瞼を上げると、ゆっくりと上半身を起こし大きな欠伸をする。


「ふわぁぁぁ~。…………ここどこ?」

「大学の図書館ですよ」

「ふぇ?」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………ふぇぇぇぇぇぇっ!? な、なななな何で君がこんなところにいるんだいっ、鈴町くんっ!?」


 ようやく俺だということに気づいてくれたようで何よりだ。


「先輩こそ、何でこんなところで寝てたんです? しかも一人で」

「え、え、えっとそれはだね……あれだよ、深海よりも深く、アマゾンよりも険しい理由があってだね……」


 キョロキョロと目が泳いでいる。こういう時の彼女がやましいことを隠していることを俺は知っていた。


「もしかして誰もいないことを良いことに、図書館に忍び込んで読書ライフを満喫してた、とか?」

「ぎくぅっ!?」

「それ口で言う人初めて見ましたよ」

「うっ………………ごめんなさい」

「いやまあ……俺に謝られても。それにこんな状況ですし、わざわざ咎める人もいないと思いますから」

「! そ、そうだろうそうだろう! 誰も活用しなくなったものなのだ! ならボクが最大限利用してあげた方が本たちも喜ぶというものだよ! ハッハッハッハッハ!」

「とりあえずはしたないのでテーブルから降りてください」

「……はい」


 シュンとなった先輩が、おずおずとテーブルから降りた。


「ごほん! ところでさっきも聞いたのだが、何故君がここへ? もう大学には誰も来ていないというのに」

「それを確かめに来たんですよ。誰かいたら情報交換でもできるかもと思って」

「なるほど、理解したぞ。めざとい君のことだ。図書館の外観から誰かが侵入したことを察して、何者かを確かめつつ利用できれば利用してやろうと思い近づいたというわけだね?」

「その通りですけど、そのドヤ顔は鬱陶しいんで止めてください」

「はぐっ!? ……うぅ、可愛いくない後輩が可愛いボクをいじめてくるぅ……」

「可愛くないは余計です。……はぁ。ところで先輩はこんな世界になってもいつも通りなんですね」

「ほえ?」

「その妙なあざとさもお変わりなく」

「あ、あざとくなんてないやい! 失礼だぞ君は!? そもそもボクは、君が入ってる『情報見聞サークル』の会長なんだぞ! もう少し敬ってもいいはずだ! むぅぅぅ!」


 フグみたいに頬を目一杯膨らませて睨みつけてくる。


 こういう仕草があざといし、何よりも子供っぽいことにこの人は気づいてないんだろうなぁ。


「まあ二人だけのサークルですけどね」

「少数精鋭で良いではないか。物見遊山で近づいて来られるのは逆に困るからね! ちゃんとこのサークルのことを理解して心から入りたいと願ってくれる者でなくてはね!」

「俺の場合はほとんど無理矢理だったと思うんですけど……」

「そんなことを言うのかね君は! あの時、あの瞬間! あの出来事に、君は運命を感じなかったと!?」

「運命……ねぇ」


 大学に入ってから少し経った頃、サークルに入るかどうか迷っていた。

 いろいろあるが、できればあまり女性が多いところは本能が拒絶した。


 そうしてしばらく新歓の時期をのらりくらりと過ごしていると、図書館である出会いを経験したのである。

 結構大きな図書館に、読書も割と好きな俺はテンションが上がっていた。


 すると目前に、梯子を上って本を取ろうとしている人物が目に移ったのだ。

 だがその人物は、何冊も本を取るから、急にバランスを崩して落下してしまった。

 俺は咄嗟に駆け寄って、その人物を受け止めたのである。


 もうお分かりであろう。

 その落下してきた人物こそが、ここにいる先輩――愛葉こまち。

 俺は助けた礼にコーヒーを御馳走になり、そこで自己紹介をそれぞれした。


 すると――。


『おお! お互いに〝まち〟がつくとはめでたいではないか! これはもう運命とは思わないか後輩くん! よし、君を我がサークルに迎え入れよう! 拒否はダメだぞ! そんなことをすると泣いてしまうかもしれないからな! 君が!』

『俺がかいっ!』


 などといった言い合いの末、ほぼ強制的にサークルに入ることになったのである。

 一体これのどこに運命という甘い言葉が似合うだろうか。ただ何も知らない新入生が、押しの強い先輩に押し負けただけのようにしか見えない。


 しかしこの人、性別的には間違いなく女なのだが、他の奴と違ってあまり女を感じさせないというか幼女にしか見えないこともあって、意外にも接しやすかったりするのだ。

 だからこそサークルに入っても、それほど問題はなかった。活動も基本的には自由に読書を楽しむだけのもので、たまに本の内容について議論を交わす程度だ。


 だから俺にとっちゃ気楽な居心地が良い場所でもあった。

 てっきり世界が変貌して、先輩も自分の家に閉じこもっているのかと思いきや、まさかこんな場所で寝食をしているとは思わなかった。




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