第70話吸血と防御と


 身体を清めて風呂に入る。


「ふい」

「良い湯ですね」

「そうですね~」

「えと……あう……」


 綾花が一人、困惑していた。全員水着姿。俺は海パンで、女子はビキニ。姫子はアリスの水着を纏い、しかも普通に適応していた。


「お姉様?」

「なんでしょう?」

「わたくしに血を捧げてくださいな」


 姫子の犬歯が光った。可憐な唇から覗く威力的な歯。蒼色に光る双眸は、どこか淀んだ艶やかさを持つ。


「はいそこまで……」


 綾花がストップを掛けた。


「吸血鬼……ですか。暗示を掛けて吸血するなら人を選んでください。ここで繁殖されても困ります」


 吸血鬼。血を吸う鬼。あまりに有名なヴァンパイア。


「大丈夫ですよ。わたくしは第二真祖の血族ですので、吸血しただけでは繁殖しません」

「…………えと」


 なにやら考えるような綾花。アリスはホケーッとしていた。暗示が効いているのだろう。普通にアリスの能力は人間としてなら高いが魔法業界では劣等生だ。あるいは……だった。何故過去形になったのかは、この寸先の未来で非凡性が証明されたからに他ならない。


「えと……第二真祖の血族ですか……? 本当に……?」

「この血にかけて」


 鮮やかに姫子は頷いた。ポヨンと巨乳が跳ねる。アリスと同質の……巨乳と呼んですら謙遜になってしまう大きさのパイオツ。爆乳とでも呼ぶべきか。


「なら……良いですけど……」

「アリスは良いのか?」

「いいですよ?」

「あーっと。お姉様は暗示に掛けていますので」


 そこを自分でバラす辺り、無害性が手に取れる。なんでも暗示を掛けないとちょっと痛むらしい。たしかに吸血鬼は首元に噛みつくのだから、麻酔は必要だろう。それがこの場合に於いて暗示というわけだ。ソレを呼吸をするように行なえる吸血鬼の利便性は……まぁ後刻議論するとして。


「では失礼をば」


 姫子はアリスの首元に噛みついた。正確には噛みつこうとした。ここで修正が入ったのは偏に果たせなかったからだ。


「――――――――っ!」


 アリスに突き立てようとした姫子の牙は、質量ごと消え去っていた。


「常駐処理……っ!」


 戦慄と共に綾花が述べる。魔術による自動防御。例えばあらゆる質量攻撃を熱量を以て無に還す綾花のフィーバーフィールドが顕著な事象だろう。先に意識にリソースを割いて、前後即因果を立脚し、逆転的に魔術をオートメーションで行使する隙間の神効果の裏技……とは聞いたが、


「何だソレ」


 でファイナルアンサー。


「お姉様も魔術師で?」

「ですねー」


 いったいいつの間に常駐処理なぞ覚えたのか。とても聞けないも、ちょっと分からないわけではない。こと俺方面に関しての努力をアリスが怠らないわけも無い。綾花が魔術師として完成されてるなら、ソレに対抗するために白鳥の水かきで魔術を覚えることに何らの不都合も怠惰も無いだろう。アリスはそんな女の子だ。


「だからってコレは……っ!」


 綾花の脅威の覚え方もご尤も。普通なら時間をかけるところだ。だが生憎とアリスにとって時間は黄金で、ソースを割くに否やも無い。その点で自動防御を獲得したのなら、なるほどアリスらしいとも言える。


「お姉様~。自動防御なんて持ってらっしゃったのですか~?」

「はぁ。まぁ」


 生憎と暗示には通用しないらしいが、それでも手出しできないなら立派な防御だろう。


「では自動防御を解いてください」

「お断りします」


 暗示はあくまで意識の誘導だ。ソレより強い想念は動かせない。魔術研究会の奇門遁甲と原理は同じだ。要するに意志の強さの問題であるのだから。


「多分暗示を解いて説得した方が有益だぞ」


 俺は率直な意見を述べた。肩まで湯に浸かって、月を眺める。それにしても温泉の心温まることよ。


「ではそうします。お姉様?」

「はい。なんでございましょ」

「血をください」

「いいですけど……繁殖は本当にしないのですね? 普通に吸血鬼になってしまうと色々と厄介なんですけど……」


 こちらをチラリと見やる。碧眼には憂いが乗っていた。たしかに吸血鬼になればまた別の意味で異常極まりないも事実。殊更どうのは言わないとしても、妹のヴァンパイア化は俺にとっても面倒事だ。あくまで思念上で。


「では自動防御のフィルターから姫子の吸血だけ外しましょう」


 そんな繊細な制御まで出来るのかよ。普通にすげぇな。まだ魔法関連を覚えて二ヶ月経っていないのに。


「失礼します!」


 チューと姫子はアリスから血を吸った。


「おおう」


 どこか驚嘆するようなアリスの反応。そりゃま吸血鬼に襲われているわけで。初めての経験だろう。吸血鬼はそう云えば初めてだったな。結構純正の鬼には襲われていたも。


 チューチュー。


 姫子はアリスの血を吸って満足げだ。どうやらとても美味しいらしく、「お姉様の愛情を感じるほどに」と絶賛していた。


「然程ですか?」


 とはアリスの感想だが、確かに血の味を検証も出来ないので、吸血鬼の感性に関しては一歩引いた思いではあろうぞ。


「えと……アリス……?」

「なんですか綾花?」

「常駐処理なんて何処で覚えたので?」

「なんとなく」


 そこでその言葉が出るのがアリスだよな。いとも平然と自分の努力を無に還す。努力をすることと、それを振りかざすことを、並列させないと言うべきか。


「とにかくこれで自動防御は覚えたので、私も兄さんや綾花のパトロールに着いていきますよ?」


 つまりソレが言いたかったらしい。要するに今まで、俺と綾花が鬼退治に出かける度に留守番を任されていたのが不本意で、自動防御を覚えたとのこと。その熱量は買うが、そこまで本気にならんでも……とも思う。アリスにとって俺……観柱ヨハネの存在の大きさがそうさせるのだろうが。


「ついでに攻撃魔術も幾つか覚えました。もう足手纏いなんて言わせませんよ」

「そっちの姫子も滅せるか?」

「容易く」

「お姉様!?」

「いやまぁ例えば……仮定の話です」


 それがシャレになっていないことを、アリスだけが理解していなかった。

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