第50話深夜に眠らぬ


「さて」


 バッシュの紐を括る。草木も眠る丑三つ時。俺は死袴屋敷の玄関に立っていた。


「本当に行きなさるんですね」

「ま、俺自身は気楽なもんだ」


 別段、殺されるわけでもあり申さず。


「綾花?」

「えと……なんでしょう……?」

「兄さんに万に一つがあったら」

「アリスの呪詛が……神鳴市を滅ぼしますね……」

「わかっているならいいんです」


 拗ねた様な口調だった。氷水系の一現。その根幹を今の俺は知らない。火焔の一現である綾花も、実のところ正確には捉えていなかった。そんなわけで鬼退治は俺と綾花で向かう。冷えた空気に春の名残を感じながら、それでも涼しむには温い。


「で、襲ってくると思うか?」

「ヨハネが……アリスの呪詛を借り受けて……いるのなら……」


 ある種の因果律の乱れ……らしい。もともと魔法からしてその勘案はあれども。


「お前は土蜘蛛を殺す気か?」

「滅する意味では……そうですね……」

「ふぅん?」


 しばらくそんな感じで夜街を歩いていた。


「ところで御両親はどうしてるんだ?」


 死袴屋敷で、綾花の両親を見かけたことがない。綾花と式神だけだ。


「出張中です……」

「仕事で?」

「ですね……」


 無論、一般的な意味ではないのだろう。


「そういうそっちはどうなんですか? 移住して貰って助かっていますけど、御両親は?」

「こっちも出張中。あんまり見かけたこともないな。メールやメッセでやり取りはしているんだが、親って感覚が希薄だ」


 どこか避けられている節すらある。


「似た様な物ですか」

「かもな」


 道路を歩きながら、ほんわかと俺は答えた。次の瞬間、街灯が消えた。車の遠いエンジン音も。あらゆる意味での静寂が襲い、希薄となった空気が寒気を呼ぶ。


「結界か」

「さすがのヨハネですね……」

「俺のせいか?」

「ヨハネのおかげです」


 日本語って回りくどいよな。


「――――――――」


 流石に慣れた物。女体を持つ蜘蛛の変化。土蜘蛛だ。誰が呼んだって、たぶん俺。


「――我ここに願い奉る――」


 魔力の入力。


「――迦楼羅焔――」


 魔力の演算。

 次いで出力。

 灼熱が土蜘蛛を襲った。跳躍で避ける土蜘蛛さん。


「――迦楼羅焔。迦楼羅焔。迦楼羅焔――」


 さらに三発お見舞い。だが糸の結界を構築している土蜘蛛は空中で器用に軌道を変更し、灼熱を躱す。


「おー。器用な奴」


 さらりと俺は感想を述べた。その機動力は賞賛に値する。糸が俺を襲った。レーザーの様に。俺は右手を伸ばして受け止めた。貫くこと能わず。俺の右手に絡みついて、固定される。それが引力を発揮した。


「うわお」


 グインと引っ張られる。遠心力全開で巻き上げられ、建築物に叩きつけられる。


「無茶苦茶だな」

「大丈夫ですか……ヨハネ……?」

「生憎と痛痒を覚えないもので」


 灼熱が糸を焼き切った。


「助かる」

「ソレは……コッチの台詞ですけどね……」

「釣りにルアーは必須だろう」

「そう言って……いただけると……」


 綾花としても恐縮らしい。別にそこは良いんだが。


「――――――――」


 さらに土蜘蛛が糸を撃ち出す。俺は普通に避けた。綾花は灼熱で燃やし尽くす。どちらもをして、痛痒能わない。土蜘蛛にすれば不条理の極みだろう。どうあっても殺せない一般人と、あらゆる害性を無かったことにする灼熱の魔術師。ジャンケンの原理であっさり負けている。どう在っても勝てない……は確かに有った。


「――――――――」


 その損得勘定が出来ないのも鬼らしく、糸の結界を構築する。


「――カグツチ――」


 神殺しの炎。灼火が場を支配した。糸の悉くが焼き切れる。


「何と申すべきか」


 とは俺の意見。不条理の意味で、綾花は土蜘蛛より数段上だ。


「――ドラゴンブレス――」


 さらに唱える綾花。土蜘蛛を照準して、差し出した右手を炎が纏う。それはドラゴンを模して、灼熱を吐いた。ドラゴンブレス。超超高熱の息吹。地平線の彼方まで、あっさりと焼き尽くす。そこに土蜘蛛は含まれなかった。既に回避している。


「中々の厄介さだな」

「ええ……。否定はしません……」


 綾花もやりにくい様だ。糸の結界による縦横無尽の機動力。面制圧が一番正しいのだろうが、その点を含めても土蜘蛛は聡い。


「俺は邪魔か?」


 百戦錬磨の綾花が面制圧の魔術を持っていないわけがない。となれば、俺を巻き込む形での魔術が使えない……その程度は察してのける。


「いえ……。ヨハネがいればこそ……」

「釣りは終わったろ。後はお前次第じゃないか?」

「アリスに殺されます……」

「其処は考えていなかった」


 確かにな。俺ごと鬼を滅殺したら、アリスの殺意は綾花に向かうだろう。世の中は上手く出来ているな。無論、皮肉ではあれども。


「――――――――」


 土蜘蛛が吠えた。糸を蹴って距離を取る。


「逃げる気ですか……!」


 火焔を放つ綾花。だが十重二十重の糸が防ぎきる。その内に土蜘蛛はこの場を退散していた。となれば追跡も困難で。


「眠い」

「ですよね……」


 綾花が昼間の授業で寝ているのがよく分かった。


「とりあえずは……此処まででしょうか……」

「土蜘蛛についてはな」


 厄介事の最上級。引き際を見極めている敵ほど厄介な物は無い。


「ヨハネは……大丈夫ですか……?」

「無病息災だ」


 そういう問題では無いにしても。南無。

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