第44話逢魔時に糸の垂る


「……………………」


 沈黙。しばし思案。


「何か?」


 アリスが綾花に尋ねた。ちょこちょこと遠慮がちに、こちらの数歩後を追っている女子高生。それだけなら「可愛らしい」で済むが、姓が死袴しばかまとなれば事情も大分違ってくるのだった。


「良い具合に……時間結界が働いております由……」


 時間結界な。たしかにそうかも知れない。逢魔時に、人は魔と出会う。人の時間である昼と魔の時間である夜。その中間に位置する時間は、両者を立脚するのだった。


 ――形而上的悪寒。圧倒的静寂。


「結界……」


 サラリと覚ったのは綾花が最初だった。別に俺を囮に使うことに否やはないんだが、こうも当てが外れないとなれば、自分の人生を省みたり。何をやっているのでしょう……わたくしは。


「――――――――」


 鬼が咆吼を上げた。女体の上半身と蜘蛛も下半身。八つに伸びる節足動物の足は、その長さだけで大人の身長を超える。見たのは二度目だが、相も変わらず趣味の悪い。


 ――土蜘蛛。


 要するに蜘蛛のお化けだ。化生。正確には変化へんげと呼ぶらしい。


「どうでもいいんですけどね……」


 講師である綾花は呪文を紡ぐ。


「――我ここに願い奉る――」


 マジックトリガー。たしか魔力の入力と言ったか。


「――迦楼羅焔――」


 灼熱が土蜘蛛を襲った。悪しきなる者を浄化する不動明王の炎。瞬く間に焼き滅ぼし……能わなかった。すでに蜘蛛は跳躍している。ハエトリグモもビックリの機動力だ。


「兄さん。こちらに」


 アリスが背中合わせに俺の三つ目と四つ目のまなこになる。


「然程か?」

「見えているでしょう? 空間に張られた糸の結界を」

「見えてるけどさ」


 何をどうしたらそうなるのやら。学校から少し出た道路の閑散とした背景なのに、空間的に無数の蜘蛛糸が張り巡らされていた。建物に付着するならまだ分かる。だがどう考えても茜色に染まる空へと伸びる糸も有って「どういう理屈だ?」が正直な感想。


「結界内では……鬼のルールに従わなければ為りませんから」


 要するに領域を侵犯しているのはこっちの方ってワケだ。結構一方的に招かれたにしては不条理な対応もあるもんだな。


「――ウォータージェット――」


 アリスもまた魔術を使う。氷水ひょうすい系の魔術。色々と試しているらしいも、まずもってその器用さと腐心する努力の度合いはどうにかならんか? ……魔術に教科書は要らないにしても、その行使に於ける超絶の度合いはどう考えても一個の人間の限界を超えている。魔力の入力も無しに取り扱える点も含めて意味不明の極北だ。才能と努力の同居するアリスだからこその事態ではあるも、兄としては勧めがたい。とはいえ助かっているのも事実であり。


「――――――――」


 吠える土蜘蛛と追いかける綾花。キュイッと蜘蛛糸が綾花に絡みつくも、フィーバーフィールドが燃やし尽くし、あらゆる障害を踏破する。まるで火神の進撃だ。


「――コールド――」


 手の平を差し出し、土蜘蛛を照準。まるで延長線上の怪物を握り潰すように手の平を纏め、呪文を唱えるアリス。コールド。冷やすという意味だ。空間に張られた糸を蹴って跳躍する土蜘蛛の足が凍った。


「な――!?」


 驚いたのはむしろ綾花の方。土蜘蛛も驚いてはいるのだろうが、それを表情で表現は出来ないらしい。されても一銭にもならんのだが。


「遠隔干渉魔術!? 何処でソレを……?」

「それより厄介事を片付けてください」

「えと……はい……」


 たしかに目の前の事案に処理する方が先だ。アリスの多芸性は、後の議論としよう。


「――我ここに願い奉る――」


 魔力の入力。


「――レーヴァテイン――」


 魔力の演算。


 正しく現象が出力される。神話を終わらせた神代かみよの剣。人の世の始まりの鐘と相為った炎の剣。世界を焼き払う出力は流石にやりすぎだろう。手加減したとは後で聞いた話。炎の斬撃が波濤と為って土蜘蛛を襲う。そこに糸が阻んだ。一本二本ではない。千か二千か三千か。焼き払う先から、無数の糸が壁になる。


「うわお」


 俺が驚いた。さらに糸が波打つ。まるでレーザーのように細い糸が綾花目掛けて襲いかかった。それはフィーバーフィールドで相殺能うも。


「――――――――」


 吠える土蜘蛛。ボロボロに焼け落ちた糸の壁から、こちらに姿を見せる。そう思った瞬間、ヒュッと風が鳴った。


「あ、待って……」


 体感温度が上がり、雑音が耳に入ってくる。結界の外。日常空間だ。


「逃がしましたか……」


 いと残念そうに綾花。


「状況不利とみたのでしょう。兄さんに傷の一つでも付けようものなら、神鳴市ごと滅殺いたしますけど」

「そこは抑えてほしい」


 本気でやりかねん妹であるからに。


「しかしやはり……事態の中心は……あなた方ですか……」

「呪詛ね」

「呪詛な」


 コックリ頷く兄妹。


「では一緒しましょう……」

「ダメです!」

「何ゆえ……?」

「兄さんは私の嫁です!」


 今のところ否定材料もないな。


「とにかく……えと……死袴としての命令です……我が家に避難してください……」

「死袴屋敷に?」

「そっちの方が……面倒がありませんので……。もちろん接待は……させていただきます……」


 其処は別に良いんだけども。


「アリスはどう思う?」

「兄さんと二人きりが良いです」


 まこと型通りの意見をありがとう。


「じゃあお世話になろっかな。普通に興味在るし」

「兄さん!」

「理解者はこの際多い方が良いだろ。俺だけではアリスの根本的解決には至らない」


 まず以て魔法の原理も紋切り型にしか知らないのだ。


「兄さんは一緒に寝てくれますか?」

「添い寝までなら妥協しよう」

「ゲロを吐いても?」

「何時ものことでしょ」


 そんなわけでこんなわけ。

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