第40話勉強と図書と


「相も変わらず分かりやすい」


 図書室でのこと。放課後だ。すっこけて眠っていたが、アリスは普通に生真面目な態度で授業に臨んでおり、ノートを取っていた。それをサラッと読むと、今日の講義の内容は理解できる。


「私が一を聞いて十を知るなら、兄さんは百を知りますよね」


 そこまで器用なつもりもないんだが。


「試験勉強一際せずにランキング上位に入るんですよ? 鬼畜の所業ですよ」


 そこまでか?


「ある種、教育というシステムに対する反乱とでも申せましょうぞ」

「教育な」


 学校怠い。勉強怠い。教師怠い。そう思っている子どもは結構居るのだが(無論、俺もその一人)実のところ教育とは義務化した高度なシステムなのだ。国家を支える屋台骨。だれしも知識がなければ言葉は発せず、コミュニケーションも取れない。教養の大切さを覚えた過去の偉人が、今の教育プログラムの原型を作り、おかげで才能ある人間がテレビゲームを作っているわけで。シャワートイレやらスマホやらも、勉強した人間の産物だ。軍事力と経済力には劣っても、教養も一つの国力となるのが現代社会。「素人に飛行機のパイロットをやらせるのか?」と云う話でもあるのだから。


「ま、別に俺は努力しようとは思わないしな」


 なので現代文明人失格な俺でした。「円周率? 三でいいだろ?」のレベル。ゆとり教育による国策の失敗は声高に叫ばれるも、だからってやる気が起きるかは別問題で……。


「兄さんらしいです」

「どこにアイデンティティがあった?」


 悩ましげに俺の問う。

 そこに、


「観柱さん」


 声が掛けられた。女子の物だ。観柱みはしらは俺とアリスの苗字。ついでに一緒にいるので、どっちを指すかは判断が得がたい。


「どちら様で?」


 アリスは笑顔を作った。もちろん表面上の塗装のみ。


「いやクラスメイトなんだけど……なんというか……」

「それで何か?」

「勉強教えて貰える? 観柱さん、学年一位だし」

「兄さん?」

「別に用事も無いし、講義しても良いんじゃないか?」

「ではその様に。ところで教科は?」

「数学なんだけど」


 そんなわけで今日の講義の復習に入る。俺は図書室の本を読んでいた。今呼んでいるのは現代版解体新書。人体システムの把握には最適だ。


「ところで観柱さんはお兄さんと何時も一緒にいるよね」

「嫁ですから」


 俺がな。そこは違えるな。


「友達とか作らない系?」

「兄さんが居れば他に要りませんし」


 それもどうだかな。我ながら「何者よ?」って話ではある。


「いいお兄さんなんだね」

「ふふふ。私の最強の兄さんです」


 褒められて我が事のように嬉しいらしい。親馬鹿ならぬ妹馬鹿か。ソレにしたってその入れ込み様は、劇団に強制的に入れるレベル。


「南無三」


 ポツリと呟いて書物を読み進める。


「普通に友達と遊んだりしないの?」

「んーと」


 エメラルドの瞳がコッチを見る。進んでおくが何も返せんぞ? と視線で会話。


「兄さんが居れば他に必要な物は有りませんし」

「ストイックなんだね」


 いや。単なるアホウだ。ストイックと言うには願望がダダ漏れ過ぎる。有毒廃液を垂れ流しているも同然の精神性だぞ?


「照れます」


 嘘吐け。速攻で心中ツッコんだ。光も越える速さで。


「観柱のお兄さんはソレで良いの?」

「アリスが望むことだからな。責任…………って表現するとアリスに怒られるんだが」

「ですね」

「けれども乳児より目を離せないのも事実だし」


 本音を語った。


「それに書物さえ在れば空想の世界で友達は出来る」


 解体新書を掲げてみせる。


「二人ともそんな感じ……」

「気に障ったのなら謝るぞ?」

「いや。それはないんだけど。むしろ凄いって言うか」


 単なるディスコミュニケーションなだけだが。そこは述べても始まらないのだろう。実際にあまり人間関係の構築が得意な方ではない。思春期に入ってソレは顕著に表れた。父親の述べた「顔だけ男」の論評は、在る意味で適確にボディブロー。


「ま、人生色々で人も色々だしな」

「では回答しましょうか」


 観柱兄妹は、そんな感じで思春期のアレソレを流してみせる。


「あれ? 間違い?」

「ですね。何処で間違えたかは自分で判断してください」


 関数の問題だ。俺はあまり間違えたことが無い。


「ええと。ここはこうで、あれはああで」

「意外とスパルタだな」

「転ばない教育に意味はありませんし」


 それも事実だ。


「兄さんは……その意味で教え甲斐がありませんよね」

「手の掛かる兄になったらどう思う?」

「萌え萌え」


 あー、お前ならそうだろうよ。色々な人格はあれど、悪手もあるわけで。


「兄離れは何時に為ることやら」

「神鳴市が沈みますよ?」


 そこだよな。実際。


「オンマユラキランデイソワカ」


 解体新書をパラリと捲る。


「あ、ここで計算間違いを」

「グッド。よくお分かりで」


 対外的な笑みを浮かべ、女子生徒にアリスは指導する。


「ここで計算間違いをしたと言うことは……」


 数学の心得を伝授する。アリスには珍しい光景だ。俺以外の人間は動く障害物程度にしか思っていないし、事実アリスにはその通りなのだが、こういう顔が出来るのも成長か。無論、俺が隣にいるから……もあるだろう。仮に一人の処に声を掛けられたけんもほろろのはずだった。


「……あらゆるで、救いが無い……か」

「何か仰いまして? 兄さん?」

「いい加減友達を作るべきか?」

「綾花が居るじゃないですか」


 アレを友達と呼ぶか。精神的に剛毅なのは今に始まった事じゃないが、それにしても綾花は認めるのな。あれはあれで変態の類だろうに。言ってしまえば、アリスの方がド変態ではあるものの。むしろ其処に共通性を見出したのか? そうなのか?


「俺って何なんだろうな?」

「私の嫁!」


 うん。もうそれでいいです。貞操はやらんがな!

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