死刑囚とアイス

坂根貴行

第1話


 鉄格子とコンクリートの壁に覆われた部屋に1人の青年がいる。汚れたベッドの上に、絶望に毒された彼の体が横たわっている。

 凶悪殺人事件の犯人ということで逮捕され、裁判で「死刑」の判決が下された。死刑の日はいつかわからない。それは当日突然やってくるという。

 青年は光のない目をまぶたの裏に隠したまま、枯れかけた植物のように息をしている。事実、浅葱色の囚人服は死寸前の表皮のように映る。

逮捕されてから、彼は自分の運命も、社会も、何もかもを呪っていた。あるときは笑い、すぐに泣き、そして喜ぶ。感情が暴走し、意味不明な叫びを発した。そして行き着いたのが絶望だった。今はただ過ぎゆく時が死刑を自分のもとへ運ぶのを眺めるばかりである。

 青年の名前は京極仁治(きょうごくひとし)といった。二十二才。普通の家庭で育ち、高校を出てから土木作業に従事していた。趣味はバイクを乗り回すこととおいしいアイスクリームの店に行くことである。ごく平凡な青年の最期がこんな形で現われるとは誰が予測しただろうか。

 家族も友達も恋人も、自分のもとから去っていった。冤罪ということを誰も信じてくれないのだ。

 俺は独り……。独りで死んでいくのだ。

 もともと人は自分の意志とは無関係に産み落とされた存在なのだ。だから死が誰かの意志で強引にもたらされても理にかなっている。そう考えて納得しようとしたが、やはりできなかった。そのうちに絶望の波がやってきた。

1つだけ心残りがあった。

S市に「三本の樹」というアイスクリーム屋があるのだが、そこには個性的なアイスが並んでいる。秋刀魚アイスやカレーアイスだ。味が想像できないだけに、行って味わってみたいと思っていた。だが食べられないまま死を迎えることになった。

京極は独居房で眠りながら過ごした。意識が覚めるとアイスの未練に苦しむからだ。中途半端な絶望であった。

目を閉じて寝る。夢などみない。闇の時間にただ埋もれる。しかしある日のこと、淡い光が差してきた。バニラアイスのような色の光だ。これは夢だろうか。夢にしては光が強い。まぶたに直に光が当たっている感覚がある。

 京極は閉じていた目を開いた。目の前に光の塊があった。その光が割れ、中から人影が飛び出してきた。

「こんにちは。アイス好きの仁治さん」

 はじめに声が聞こえた。少女の声だ。

「誰ですか」

「神様みたいなもの」

 目が慣れてきたが人影は人影のままだ。

 これは夢か、幻覚か。

「夢でもないし、幻覚でもないよ」声は言った。「あなたの最後の願いを叶えるためにやってきたの。人間はミスをするでしょう。警察組織や司法組織を作ったのは立派なんだけど、誤認逮捕とかときどきあるじゃない? それで無罪なのに死刑にされてしまう人も出てくる。わたしはそんな人が憐れで仕方がない。でも救い出すこともできない。人間界に勝手に手を加えてはいけないの。だからせめて、処刑される前にささやかな願いを叶えてあげたいのよ」

 京極は神など信じないし、超常現象も信じない。だからいま聞こえてくる声は、刑務所の特別な計らいなのだろうと勝手に解釈した。

「願いと言えば、アイスが食べたいな」

「どんなアイス? 実際にあるものでもいいし、自分で考えてもいいよ」

 すぐに思いついたのが秋刀魚アイスだった。しかし死刑の前に秋刀魚アイスという奇妙な味を味わうのもやりきれない。珍しいアイスは好きだが、味が悲しい。

「自分で考えてもいいの?」

「いいよ」

「じゃ、希望の味のアイスが食べたい」

「なにそれ」

「絶望ばかりの日々を送ってきたから、最後くらい、希望の味が食べたい」

 京極は涼しげな顔をして言った。

 神様とやらを困らせてやりたかった。

「わかった。ちょっと待っててね」

 神は平然と言って姿を消した。

 なんだろう。本当に持ってくるのだろうか。京極がわずかな期待を持っていると、刑務官に呼び出された。別室に移動したあと、「今日が執行日だ」と言われた。

 京極は大きな声で笑いだした。

 ははははは。希望のアイス? これが神の用意した希望のアイスか。ははっはははっ。なかなか面白いことをやってくれるじゃないか。

 牧師が現れ、何かを話したが、京極の耳には入らない。変な笑いが口からあふれて止まらない。おかしくて、おかしくて、まるで逃走するように笑い続け、首にロープがめりこんでも、京極の口の中は強烈なおかしみであふれていた。


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死刑囚とアイス 坂根貴行 @zuojia

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