あとの祭り/橘緋彩は運がいい

「ああぁぁぁぁぁぁ!!」


誰もいないリビングのソファに寝転び、私──橘緋彩は顔をクッションに押し付けていた。


親がいたら小言を言われるレベルで冷房をガンガンに効かせているのに、いっそ火が出そうなぐらい顔が熱い。


「ほんっっっっっと……なにこれ!!」


港祭りの一件以降、どうしたことか私の身体はバグり続けていた。

とにもかくにも熱い。家族でごはん食べてるときなんかはそうでもないのに、一人になると重すぎるアプリを落としてるときのスマホぐらい身体が熱を帯びてしまう。


「明日から学校とか無理でしょ!」


今までこんな経験はないけど、まぁ正直原因は分かってる。

どれだけ冷静になろうと意識しても、ふとした瞬間に花火の音と、かき氷の味と柏くんの顔がフラッシュバックするのだ。

唇の感触は鮮明に覚えてるし、なんなら生け垣の裏に隠れたときは出来心で匂いまでクンカしてしまった。


「……テニスでもするかぁ?」


いっそ五感ごと奪ってくれよと半ば本気で願うものの、それはそれで惜しいと思っている自分がいることにも気づいてしまう。

どうにもならない袋小路に陥ったまま足をジタバタさせていると、ふと別の可能性が頭をよぎった。


「あれ、ちょっと待てよ……?」


あの夜、あのベンチ。私は人知れず決意を固めて、柏くんの横に腰を下ろした。

私からすればあの場で勝負を掛けることは決まっていて、だからこそ念には念を入れてお好み焼きとかき氷を両方持ち込んだのだ。


柏くんは「口が切れて痛いからお好み焼きは食べれない」なんて言ってたから、実際その作戦は成功してるんだけど……。あれ?


「もしかして、ファーストキスがソース味になってた可能性があったってこと?」


正直、あのときの私の頭はまともに機能していなかった。柏くんに怪しまれないように平静を装っていたけど「食べたらキス!」って考えで頭が一杯で、タイミングを計るのに全神経を集中していた。


私のファーストキスがほんのり甘いシロップ味だったのは、たまたま柏くんがかき氷を選んでくれたから。もしお好み焼きを選んでいたら、それはそれは香ばしいソースの味がしていたわけで。


「あっぶな……」


あのときはそんなこと考える余裕なんてなかったけど、流石に初めてのキスがピリッと食欲そそるソース味ってのはイヤだ。ソースかシロップで選べるなら、断然シロップの方が良い。


しかも、お好み焼きの上には大量の青のりがふりかけられていた(やったのは私だけど)。

味はもとより、下手したら柏くんの歯や唇に青のりがついていた可能性もあって、最悪の場合それが私の唇に乗り移ることもあり得たはずだ。


『あはっ、ホントだ。私のとおんなじ味(青のりぺったり)』


この世界線があり得たかと思うと、本気でゾッとする。

いくら可愛くてスタイル抜群なお茶目お姉さんを自称している私でも、青のりが付いていたら台無しだ。どうしたって面白さが勝ってしまう。


「よ、よかったかき氷で……」


不意にキスなんてされたら、よほどのプレイボーイでもない限り強く印象に残るはず。柏くんのなかで「私=青のり」のイメージが固まってしまったら、下手したら金輪際、恋愛対象として見られることすらなかったと思う。

そしてそうなれば、私は姫乃や唯をはじめ、柏くんの周りにいる女子全員の口に青のりを付けて回らなければならなかった。新手の妖怪の誕生だ。


柏くんの選択しだいであわや実現していた展開には恐怖しかないけど……逆に、それを回避できたのは私に運があったからともいえる。50%の確率で降りかかっていた地獄絵図を、私は退けたのだ。


「この容姿と性格に加えて運まであるとか。我ながら完璧すぎて怖いね」


実現しなかった最悪を想定したことで恥ずかしさが少し薄れた私は、ソファーに仰向けになったまま空中で手を合わせる。


「ありがとう、名も知らない金髪甚平のお兄さんたち。まったくこれっぽっちも好みじゃなかったけど感謝してるよ」


柏くんがソースを拒否する状態だったからこそ、私は妹たちに青のりを付けて回ることなく恋を続けられます。

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