第67話【握力2ケタ】

商店街の賑わいは増す一方だったが、昼時を過ぎてお好み焼き屋の客足が落ち着いてきたタイミングで、俺は緋彩さんに許可を取って屋台を離れた。


ソースの香ばしい匂いがついた手ぬぐいで汗を払い、数百メートル先の宮本たちが構えるかき氷屋を目指す。


「すみませーん、ちょっと通りますよっと」


途中、美味そうな香りに誘惑されたり、有志団体の踊りを見る観客に揉みくちゃにされながらも、どうにか目的地に到達。


「よっ、捗ってるか────っておい、大丈夫か?」


屋台にたどり着いてまず目に入ったのは、ぐでーっと長机に突っ伏した姫乃の姿。

恐る恐る声を掛けると、壊れた機械人形のように首だけがゆっくりこっちを向いた。


「あ、先輩」

「お、おう。どした……?」

「う、腕が……」

「腕?」

「腕が死にました……」


姫乃はそう言うと、力なく投げ出された両腕をブラブラ揺らしてみせた。


「もう腕が上がりません。しょせん、人間は重力に縛られた生き物なんです」

「デケーよ、規模が。てか、何がどうしてこうなった?」


重力……というか長机に縛り付けられた姫乃は、身体は微動だにさせないまま顎で近くのクーラーボックスを指した。


「かき氷って氷が必要じゃないですか?」

「あぁ、必要だな」

「氷はマシンにセットしなきゃじゃないですか?」

「あぁ、しなきゃだな」

「そうして私の腕は死んだのです」

「早い早い、早いって。セミより儚いじゃねえか」


俺がいやいやと手を振ると、姫乃は抗議するように口を尖らせた。


「かき氷の氷ってこんなに大きいんですよ」

「どんなだよ……」


突っ伏したまま言われてもまったく分からない。


「ハリー・ポッターに出てくる噛みついてくる教科書みたいな大きさです」

「ん……? あー、あれか。まぁたしかにデカいな」


具体例がフィクションで混乱しかけたが、なんとかイメージできた。ようは板状のやつか。


「あんなのを何回も持ち上げてたら腕の3本や4本壊れます」

「カイリキーかな?」

「もうなにも持てません。腕も上がらないし、今計ったら握力だって2ケタです」

「大抵の人類は2ケタだよ」


例えのせいでイマイチ伝わってこないが、表情や口調からはたしかに疲労の色が見て取れた。


「てか、そんなことになるなら宮本と代われば良かったのに。1人は削るのが担当だったんだろ?」


見たところ手でハンドルを回すタイプの削り機だが、力はそこまで必要ないはずだ。


「最初はもちろんそっちを私がやってましたよ。ただ、福引きみたいで楽しくなって夢中で回してたら腕が死にました」

「八方塞がりだな」

「握力は2ケタです」

「人類の標準記録だ、誇りを持て────って、そういや宮本は?」


姿が見えないなーと辺りを見渡すと、ちょうどそのタイミングで人混みの中から宮本がひょっこり顔を出した。


「あ、柏くん……良かった、無事だったんだね」

「無事? なんのこっちゃ。てか、宮本こそ大丈夫なのかよ?」


戻ってくるなり椅子に深く腰かけた宮本には、あきらかにいつもの元気がない。若干顔色も悪いように見える。


「あー、うん。大丈夫大丈夫。昨日から少し胸焼けと腹痛が酷いだけだから」

「まだ続いてたのか……」

「昼時のお客さんも一通り捌けたし、姫乃ちゃんと交代で休憩しながら頑張るよ」

「お、おう……無理はするなよ。っていうか、姫乃は今働いてるターンだったのか」


なんか文句あるんですか?と目で訴えてくる姫乃に「ないない」と首を横に振って無言のやり取りをしていると、ふと宮本の言葉が引っ掛かった。


「そういや宮本、俺が無事ってなんのこと?」

「あー、そうだ。さっきお手洗い行こうとしてるときに声を掛けられたんだよ」

「誰に?」

「細坂くん」

「既に嫌な予感しかしないな……」


夏休みの宿題に取り組むという名目で全部活が休みなわけだから、当然あいつがここにいる可能性もあるわけだけど。今会いたいかどうかって聞かれたら、圧倒的にノーだ。


「細坂くん、私に『柏も来てるの?』って聞いてきて」

「うん」

「会長とお好み焼き作ってるよって言ったら、なんかすごい勢いでどこかに連絡し始めて」

「うん……」

「そしたら、いつの間にかクラスの男子がたくさん集まってたんだよ。『柏はどこだ』ってブツブツ言いながら」

「なんてことしてくれたんだ……」


思わず頭を抱えてうずくまると、宮本は手をパタパタさせて言葉を続けた。


「私もそのときになってハッとしたから、とりあえず適当な方向を指さしてみたんだよ。そうしたら、全員その方向に走ってっちゃった」

「筋金入りのアホだな、あいつら」


そもそも一緒にお好み焼き作ってるだけでキレられるのも納得いかないが、そんな主張が通じるやつらじゃない。女絡みで怒り狂ってるときの冬馬たちのIQはミジンコ以上ミドリムシ以下。微生物の域を出ないことは歴史が証明している。


「とっさにホント適当に指さしちゃったから、もしかしたら遭遇して襲われてたんじゃないかって心配だったんだよ」

「なるほどな……。まあ、今のところ会ってないよ」


問題ないとは言えないかもしれないけど、宮本のおかげで訳も分からないうちに開幕キルされる展開は回避できたらしい。あとはどうにか鉢合わせないようにするだけだ。


「ま、この人込みだしなんとかなるだろ。そもそも、あいつらもう祭りの会場にいないだろうし」

「今頃隣り町にいるんじゃないかってぐらいの勢いだったからね」

「相手がアホで助かった」


あいつらのことだから、宮本を疑うなんてことは絶対にしないはずだ。隣り町か山か海か知らないけど、今日が終わるまで延々と彷徨ってていただきたい。


「じゃ、俺そろそろ戻るわ。緋彩一人に任せっきりにしちゃってるし」

「はーい。あ、そうだ柏くん。お祭りの最後の花火はみんなで見るんだからね!」

「え、花火なんてあるんだっけ?」

「毎年バンバン上がってるじゃん」


言われてみれば、そんなんだったような気もする。夏休みなんて基本部活してるか疲れて寝てるかのどっちかだから、正直あんまピンと来ないけど。


「了解。ま、適当に落ち合おう」

「うん! 会長にもよろしくねー」

「おう」

「先輩も、それまではキリキリ働いてくださいね。バイトなんですから」

「お前が言うなよ……」


若干血の気が戻った宮本と、相変わらず重力に勝てない姫乃に背を向け、俺は再びごちゃついた人込みの中に足を踏み入れた。

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