第38話【橘邸へ】

「それで、のこのこ私のところに来たと」

「……は、はい」

 

生徒会室の入口で立ち尽くす俺を見て、緋彩さんはやれやれと首を振った。


「まったく……柏くんはしょうがないやつだね」

「返す言葉もありません」

 

無防備な寝顔を見て勝手にドキマギして、混乱している間にみすみす宮本を行かせてしまった。これじゃ、せっかく俺に協力してくれた緋彩さんにも申し訳が立たない。


「で、これからどうするんだい? 金曜日はもう明後日だけど?」

「続けますよ、もちろん。部活も生徒会も頑張ってて、追試がダメだから大会に出られないなんて可哀そうじゃないですか」

 

うちの学校は根本的には進学校だ。

東海大会を控えた体育科とはいえ、活動禁止にする可能性は十分ある。


「私が聞いたのはそっちじゃないんだけど……まあ、いいか」

「?」

「それじゃ、今日も勉強会はするってことでいんだよね?」

「はい。お願いします」

 

今日は予定の半分ちょっとしか進めることができなかったし、明日挽回しようと思ったら教える側の力量が重要になってくる。

 

俺が小さく頭を下げると、緋彩さんは自分の鞄を肩に掛けて席を立った。


「よし、じゃあ行こうか」

「行く? ここでやらないんですか?」

「なんかね~今日は校舎に耐震の業者が入るから残っちゃダメなんだって」

 

そう言いながら、生徒会室のドアに鍵を掛ける緋彩さん。


「え、マジっすか」

「マジだよ~」

「えぇ……」

 

……業者じゃ仕方ないけど、なにもこんなタイミングでやらなくてもいいのに。


「校舎がダメとなると、図書館行きますか?」

 

他に当てがないのでそう提案すると、少し先を歩く緋彩さんがくるっと振り返った。


「いや、私の家でやろう」

「は?」

 

私の……イエ? いやそんなバカな。


「どうしたの? なんで止まってるのさ?」

「すみません、若くして耳を患ったみたいで────じゃ、図書館行きましょうか」

「だから行かないっての」

「ぎゅえっ!?」

 

気を取り直して先陣を切ろうとすると、ワイシャツの襟を後ろから引っ張られた。


「勉強するなら、私の家か柏くんの家しかないだろうね」

「なんなんすかその究極の2択は……?」

 

どうやらさっきのは幻聴じゃなかったらしい。

締まった喉を抑えながら振り返ると、緋彩さんが指を立てて説明を始めた。


「考えてごらんよ。これからキミは、私とイチャイチャ勉強するわけじゃない?」

「イチャイチャはしませんけど……まあ、そうですね」

「そんなところを他の女の子が見たらどうするのさ。もう色々台無しだよ?」

「うっ……」

 

たしかに、それはマズい……。

図書館で勉強することで周りの女子に俺と宮本の距離の近さをアピールしているのに、緋彩さんと同じことをしたらその意味がなくなってしまう。

 

女子から見れば、俺が女を取っかえ引っかえしてるようにしか映らないだろう。


「だいたい、唯に見られたらどう説明するのさ? 私は忙しことになってるし、柏くんに至っては橘姉妹に手を出す見境ナシオだよ?」

「で、でも、学校外なら他にも場所があるんじゃ?」

 

候補地を考えながらそう言うと、緋彩さんは指で×印を作った。


「残念。この辺で勉強ができるファミレスとか喫茶店ってそんなにないんだよ。期末テストも近いし、まず誰かしらいるだろうね」

「……そうなんすか」

 

金を払ってまで外で勉強しようと思ったことがないので、それは全く知らなかった。


「学校はダメ、ファミレスも喫茶店もダメとなったら、もう家ぐらいしかないんだよ」

「そりゃそうかもしれないですけど……」

 

場所がないというのは分かったが、家…………家かー。


「その、なんて言うか……色々マズくないですかね?」

「マズいって、なにが?」

 

きょとんと首を傾げた緋彩さんは、しどろもどろになる俺の顔を見ると得心がいったように「ああ」と手を打った。


「柏くんがエロいことしちゃうかもって話?」

「なにに言ってんだ!?」

「え、違うの?」

「違いますよ…………いや違わないけど、その……違うんですよ」

「……どっちなんだい?」

 

呆れるようにそう言った緋彩さんは、俺の肩にぽんと手を置いた。


「大丈夫、安心して」

「?」

「日本の警察は、優秀だから」

「なにに安心しろと!?」

 

え、なに……? 俺、掴まるの? まだなにもしてないのに?


「まあそれは冗談として、ホントに大丈夫だよ? うちにはほら、姫乃もいるし」

「……2人きりではないってことですか?」

「うん。流石の柏くんも、姫乃の前で私に襲い掛かるのは躊躇うでしょ?」

「俺が襲い掛かるっていう前提には異議を唱えたいですけど、まあそうですね」

 

家に2人きりというのはどうかと思うし、かと言って親御さんがいるところに突撃する度胸もない。そういう意味じゃ、姉妹がいるというのは悪くない気がする。


「それにほら、柏くんも姫乃のこと気になってるんじゃない?」

「それはまあ…………はい」

 

橘とは、金曜の一件以来まだ連絡が取れていない。

月曜からは学校も休んでいるようで、当然生徒会で顔を合わせることもなかった。


「本人は風邪だって言ってるんだけど、私ら家族の前にも全然顔出さないんだよね~。もしよかったら、一声掛けてやってくれないかな?」

 

そう提案する緋彩さんの声色は、面白がりながらもどこか優しさが滲み出ていた。


……まあ、普通に心配だよな。

 

俺の無言を肯定と受け取ったのか、緋彩さんは俺のワイシャツの袖を掴むとそのままダッシュで階段を下り始めた。


「よしっ、そんじゃ行こっか!」

「分かりましたから、引っ張らないでください!」

 

生徒会の鍵を職員室に戻し、人目を気にしつつそそくさと校門を抜ける俺たち。

徒歩通学の緋彩さんに合わせて自転車を引くこと十数分、市内でも高級住宅街として知られる地域の一角で緋彩さんは足を止めた。


「ほら、ここだよ」

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