吉備津の……

武州人也

出会い

 沢井庄太さわいしょうたがその少年と出会ったのは、小学校六年に上がった春休み明けの日であった。

 その日は、薄い雲が空を覆い、それが太陽を隠していた。その曇天の下で、桜の落英はなびらが、はらはらと散っている。花曇り、という言葉があるが、この時の庄太はそのような単語を知らなかった。薄曇りの天気による湿気と、春特有の生暖かい風が、粘つくような陰気な空気を運んできていた。

磯山良いそやまりょうです。よろしくお願いします」

 庄太のクラスである六年二組にやってきた転入生、磯山良は、クラスメイトの前で音吐朗々おんとろうろうと名乗った。

 転入生のその姿に、クラスの皆の視線は釘付けになった。何故なら、転入生磯山良は、類い稀なる麗しい容貌の持ち主であったからだ。整った目鼻立ちや長い睫毛、艶のある直毛のミディアムヘアは、衆目を引かない筈もない。

 良は、庄太の右隣の席に座った。縦に五十音順で並ぶと、磯山の隣が丁度沢井になるからである。その日の帰り道に分かったことなのであるが、庄太と良は、帰路が同じであった。庄太の住まいは、学校から良の家に至るまでの途中に位置しているのであった。席が近く、帰路も同じ。二人は何かと会話を交わすことが多くなった。


「沢井くん、昨日のセブン・キングダムズ見た?」

「うん見た見た。馬陵ばりょうの戦いの所っしょ。龐涓ほうけんあいつ完全に負けフラグじゃんって思っちゃったよ。それにしてもやっぱり孫臏そんぴんは賢い」

 それから何日か経った後のこと。中休みの時間に、二人は昨晩に放送していたアニメの話をしていた。二人は席が近く帰路が同じというだけでなく、趣味の方も似通っており、それが尚のこと両者の距離を縮めていた。

「分かる。孫臏そんぴん凄いよね。あっ、そうだ。うちにセブン・キングダムズの漫画全巻あるよ。今日空いてたらうち来る?」

「えっ持ってるの? あれ結構な巻数じゃないっけ? いいなぁ……俺も欲しいけど小遣い足りないからなぁ……読ませてくれるんなら俺も読みたいかな」

「じゃあ決まりだね」

 そのアニメの原作漫画の単行本は現在六十巻以上刊行されており、庄太はその半分も持っていない。であるから、良が読ませてくれるというのであれば、乗らない手はなかった。

 その日の放課後、庄太は良の家に赴いた。真新しい上に、周りの家よりも大きい気がして、彼の親は結構稼ぎが良いのではなかろうか、と、庄太はつい邪推してしまう。

「やぁ、いらっしゃい。あがって」

「お邪魔します」

 インターホンを押すと、良が出てきた。庄太はそのまま、中に通される。左右を壁を見渡してみると、如何にも新築といった風に、くすんだ所もなく白く光っている。

「よく来てくれたね。麦茶どうぞ。お菓子もあるから遠慮せず食べてね」

「ああ、ありがとう」

 良の歓待を受けながら、庄太は彼の部屋を見渡してみた。小綺麗で、よく整頓されている。乱雑な自分の部屋とは大違いだ。木製の本棚には、例の「セブン・キングダムズ」の単行本が収納されているが、そのスペースにはまだかなりの余裕があるようであった。

「じゃあ、これ読んでいい?」

「うん、勿論。読み切れないだろうから貸してあげるよ」

 庄太は、良の厚意に対して、素直に「この転入生、本当に良い奴なんだな」と感じた。思えば、自分たちはまだ出会って数日だと言うのに、良とはすっかり打ち解けている。

 最初の内は漫画を読んでいた庄太であったが、集中が切れてきて、大きな欠伸を一つした。すると、その様子を察したか、良は据え置きゲーム機の準備をし始めた。

「せっかくだし、ゲームでもする?」

「おお、いいね。ソフト何ある?」

「持ってるのはこんな所かな」

「じゃあスマッシュヒーローズやろうぜ」

 その後、二人は格闘ゲームをプレイした。良は思いの他強く、三回連続で庄太は完膚なきまでに打ち負かされた。

 一方的な試合になってしまったことを鑑みてか、良は敢えて普段使っていないキャラを選んで戦うようになった。良のキャラ操作は目に見えてぎこちないものになったが、それでもやはり良はこういうゲームが得意なようで、庄太はついぞ一勝もできなかった。

「あ、そろそろ時間か。じゃあまた明日」

 部屋の時計は、すでに五時を回っていた。庄太の家は母子家庭で、平日の夕方には母は家にいない。故に帰宅が遅くなったとて咎める者は誰もないのであるが、かといって長居すれば相手の家に悪いであろう。良の家に上がるのは初めてであるし、あまり良の家族に悪印象を持たれたくはない。

「ねぇ、沢井くん」

「ん?」

 良の方を向くと、良は庄太の目を真っ直ぐに見ていた。

「前の学校には沢井くんみたいな人いなかったから、こんな風に君と話せるのが嬉しくて……だから、今日はありがとう」

 庄太を見つめる良の表情が、急にしんみりしたものとなった。憂いを帯びた顔貌は、何処となく色っぽいような、そんな感じを抱かされる。

「ありがとうって……礼を言うのはこっちだよ」

 自分は大したことなどしていない。寧ろ一方的に歓待を受けている立場ですらある。であるから、面と向かって感謝などされると、庄太は何だかんだこそばゆいような気分になった。

 

 それからも、二人の交誼こうぎは続いていた。良は他の生徒とはあまり打ち解けた様子がなく、虐められている風ではないにせよ輪の中に入り切れずにいる様子であったのだが、一方で庄太に対する懐きぶりは尋常ではなく、何処に行くにも、必ず庄太の後をついて回っていた。

 庄太の方に、それを鬱陶しがるような様子は微塵もなかった。寧ろ、何かと懐いてくれるこの美少年を、まるで自らの弟かのように慈しんでいた。庄太には、弟も妹もない。生まれてこの方、ずっと一人っ子である。故に、見た目のせいもあろうが、良のことが可愛らしく思えて仕方がなかった。

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