第7話 学園祭と月夜の後夜祭Ⅱ
いつのはキョロキョロと周囲を確認しながら歩いていた。というのも、ミスコンで優勝したいつのに、他の生徒が猛アプローチを始めていた。そのため、言い寄ってくる輩があふれかえっていた。
そんな輩の中には、いつきの姿もあった。競争率からしたら、確実に底辺中の底辺。たどり着けるはずもないのはわかっていたいつきだったが、どうしてもその思いを伝えたいという気持ちになっていた。
『あの時のいつのさんが妖狐。いや、でも。あれは夢で……』
そんなことを悶々と考えながら学園祭を回っていると、いつきに声をかける女子がいた。それは、あの包帯をしている女子だった。
「ね、ねぇ。いつき。」
「えっ?」
呼び止められたいつきが振り向くと、そこには白い包帯を巻いたままの少女がいつきを呼んでいた。超絶インドアないつきにとって、こんな子に名前を教えたはずもなく、知っていることが不思議で仕方がなかった。
「どこかであった?」
そういうと、その少女はゆっくりといつきに近寄り、クンクンと耳元で鼻を鳴らす。そのしぐさに、思わずビクッ!っとなったいつきだったが、はっ!とその仕草に思い当たることがあった。それは、よく学校に迷い込む狐だった。
いつきの驚いた仕草に、その少女は気が付いたのか、改めて自己紹介を始める。
「さゆりよ。いまはさゆりって名乗ってる。」
「本当にあの時の?」
「うん。この包帯。あなたが巻いてくれたやつ。」
「そうなんだ……ん? ちょっと待て……」
「ん?」
ここで、いつきは不思議なことに気が付く。
よく介抱していた子は『狐』。でも、目の前にいる子はれっきとした『女の子』。つまり……
「さゆりちゃん。もしかして……」
「あまり大きな声で言えないけど、妖狐よ。今は尻尾と耳を隠して生活してる。」
いつきの目の前に、あれほど甲斐甲斐しく介抱していた狐が、妖狐となり目の前に立っているのだから、感慨深かった。
頭をなでて指に絡む髪の毛は、しっかりと女の子としての手入れが行き届き、人間の女の子としてそん色がなかった。
さゆりは、妖狐として人の姿になってから、初めていつきの手で撫でられたことで、思わず、その手にほおずりをしてしまう。そのしぐさのひとつひとつが、いつきが介抱していた狐の仕草そのものだった。
『あぁ。このにおい……好き……』
さゆりのこんな思いは、周囲に他の人がいようと関係なかった。いつきの匂いに包まれているだけで、胸の奥がキュン。と締め付けられる。妖狐として人の姿になれたことで、よりいつきの近くに寄り添えるようになり、うれしくて仕方がなかった……
そして、さゆりはいつきの手を取り、思い切ってこう告げる。それは、他の誰に聞かれても恥ずかしくない純粋な気持ちだった。たとえ答えがわかっていたとしても、伝えられずにはいられなかった。
そんなさゆりの様子に気が付いたもう一人が、ふたりを妖力で周囲から遮断した。
『まったく、あの子ったら、場所をわきまえなさいよ。』
さゆりの様子を不思議に思い、後ろをつけていたのは、やよいだった。そんなやよいにすら気が付かないほどに、いつきに夢中になっていたさゆりは、そのまま……
「ねぇ。いつき」
「えっ? なに。さゆりちゃん……」
「あたし、いつきのこと。好き。」
「へっ?」
その瞬間。さゆりといつきの周りだけ、時間の流れが止まったような感覚になる。それは、やよいが空間を遮断するのと同じタイミングだった……
いつにもまして高鳴るさゆりの鼓動は、本能でオスを求めるからなのか、それとも純粋な感情からなのかはさゆりにもわからなかった。
しかし、この気持ちが“好意”であることには間違いなかった。
「あの助けてくれたことや、一緒に食べ物を食べたときも、いつきは怒らなかった……」
「そして、いつきの元に来れば、体が満たされることを覚えたあたしは、いつの間にかいつきをオスとしてみるようになっていたの」
ゆっくりと、しっかりといつきに語るさゆりは、いつきの顔を見ようにも真っ赤な顔を見られるのが恥ずかしくなり俯きながら話していた。それでも、いつきにはしっかりと聞こえるような声で、告白を続けていく。
「そして、ある人に出会ったの……。いつのさん」
「えっ?! いつのさん?」
「うん。彼女に出会ったことで、あたし。この姿になれたの。」
衝撃の告白をしているさゆりを、陰から驚きの表情をしながら目撃していたやよい。
『あの子、なに口走ってんの?! そんなこと言ったら、いつの様が危ういじゃないのよ!』
群れに入ってから日が浅いさゆりにとっては、いつのから受けた恩を、いつきとも共有したいという気持ちで打ち明けたのだったが、いつきは全く違う方向に考えていた。
『い、いつのさんが妖狐?!』
『やっぱり、あの時。あの姿は妖狐の姿だったんだ……』
いつきはさゆりに告白される以前から、妖狐に対してご執心で、会えるものならあってみたいとすら思っていた。ふさふさとして神々しく輝く毛並み、それに好きになるキッカケとして、いつきの幼少期の一件があった。
いつきは幼少期に一度だけ、妖狐と出会ったことがあった。それは、集落のお祭りでの話だった。
物心がついたばかりのこどものいつきは、親からはぐれてしまい、迷った挙句に見晴らしのいい高台へと昇ってしまっていた。というのも、高いところから見れば、両親を見つけれると思ったから……
「お、お母さん。いない……」
必死に涙をこらえ、母の姿を探していたが、ちっとも見つけることができなかった。いつきの手には、しっかりと握られた母との写真を握り絞めていた。
そんないつきの元に現れたのが妖狐だった。綺麗に整えられた尻尾は、月明かりにきらめき、ゆっくりといつきの前に舞い降りる……
「なんだ。お前、迷子か?」
「迷子じゃない。今、お母さんを探してるところだし……」
「そうか。手伝ってやる。」
それは、妖狐の戯れ。ピーピーと社のそばで泣かれては、妖狐も困ってしまう。そこで、妖狐はその子供の親を探してやることにしたのだった。
「ほら、つかまれ。」
「えっ? うわっ!!」
妖狐の手を取ったいつきは、ふわっと体が浮くのと同時に、妖狐の体にしがみついていた。そして、次の瞬間……
「た、たかい!!」
「なんだ。男の子だろ?」
「そうだよ。」
「これくらいの高さで、怖いというのか?」
「こ、怖くないし。」
「おうおう、そうか。ほら、あそこじゃないか? お前の母は……」
妖狐の指さす先には、いつきを探す母親の姿があった。ゆっくりと屋台裏に舞い降りる妖狐は、いつきを母親の元へと返すと、あっという間に姿を消してしまっていた。
幼少期に感じたこの妖狐との関係が、今のいつきの妖狐好きの根本になっていた。そして、その姿をいつのに重ねていたのだった……
さゆりは、一生懸命告白していたが、いつきのなかに、自分以外への思いを敏感に感じ取っていた……
『あぁ、やっぱり。いつのさんには勝てないなぁ~』
『いつきさん。いつのさんのこと、好きなんだ。』
群れに属さず、いつのさんと出会わず、自分の力で妖狐になれたのならこのままいつきと添い遂げることもできたかもしれなかった。
しかし、今のいつきの心の中には、もうすでにいつのの存在が大きくなりすぎていたのだった。
「やっぱり、いつのさんが好き?」
「へっ?! さ、さゆりちゃん。何を?」
「わかってる。あたしのこの思いは、叶わないって……」
いつきは、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。さゆりの精いっぱいの告白を受けながらも、心の中ではいつののことでいっぱいになっていたのだから……
「ごめん。さゆりちゃん。俺……」
「いいんです。あたしの思いは伝えれたので。」
涙を一杯貯めたさゆりだったが、精いっぱいいつのといつきの間を取り持とうとし、いつきに言葉を続ける。
「いつのさんには、伝えておくから、昇降口で待ってて。」
「いいの? さゆりちゃん。」
「うん。いいの。ほら、行って。」
「ありがとう。さゆりちゃん。」
走っていくいつきの後ろ姿を眺めながら、さゆりは座り込んで必死にこらえていた涙を思いっきり流した。そこへ……
「あんたは、本当にバカよね。」
「へっ? あ。やよいさん……」
「あのまま、奪っちゃえばよかったのに、あんたも人が好きなのね。」
「あんたも?」
「えぇ。私よ、子供の頃のいつきを助けたのは……」
病弱で余命幾分もなかったいつのの先代にお仕えしていたやよい。本来、長命の妖狐でありながら、人を好きになり、人との子を身ごもったことで妖力を容赦なく消費していく。日に日に体は弱くなり、人の姿を維持することすら難しくなるいつのの母は、まだ小さいいつのをやよいに任せ、療養することが多くなっていた。
そんな中。社の外で子供が泣く声が聞こえ始める……
「もう、なんなんだ? こんな時に……」
お仕えする妖狐の長には休んでもらいたいやよいにとって、たとえ人間の子供の泣き声ですら、イラつかせてしまっていた。しかし……
「こら、やよい。あなたは、また……」
「はっ。すみません。」
「あなたは、人を毛嫌いしすぎのようね……」
「ですが、現に人を好いてしまったあなたは、こうして病弱になってしまわれて。」
「いいのよ、これは。私が受け入れているのだから。」
横になりながらも、ゆっくりとやよいに諭すいつのの母は、やよいに言付けををたくす。それは、いつのが苦しむのがわかっていたが親心と、そして戒めとしてだった。
「いい? やよい。」
「はい。何でしょう。」
「その子にこう言ってあげて、人との恋愛は禁忌よ。」
「はい。」
「だだし……」
そこまで言うと、やよいの仕える長は眠りへと付き、今にも消えてしまいそうな妖力だったが、まだ息はあった。
それから、やよいはピーピーと外でなく少年を母親の元へと送り届けた後、社に戻ると……
「ウソでしょ!? そんな……」
息も絶え絶えで、消える寸前になっていた長は、かすれそうな声で、最期の言葉を伝えて消滅してしまった。
「わかりました。言づては承りました。しっかりと言づてを守り、この方を長として育てます。」
そんな決心の元、いつのを育て上げたやよいだった……
あれから数年。こうも早くいつのが恋に落ちるとは思ってもみなかったやよい。最期の言づてにあったのはこの一言だった……
『ただし、その子が惚れてしまったのなら、背中を押してあげて。それが、たとえ、辛い未来しか生まないとしても……』
涙を流すさゆりを支えながら、やよいはこう思っていた……
『いつの様。本当にいいんですか? いつきと恋をしてしまったのですか?』
そんな思いを抱きつつ、やよいはいつのに待ち合わせを伝える。決して誰が待っているとは言わずに。
それを言ってしまえば、いつのは期待してしまい、より恋へと禁忌へと足を踏み入れてしまいそうだったから……
そして、やよいに言われた通りにいつのは待ち合わせの場所に行くと、そこには……
「まだ来てないのかな?」
学園祭も終盤を迎え、多くの生徒は岐路に着いたこともあり、学校内の人の込み具合もひと段落していた。
キャンプファイヤーを囲んだ後夜祭へは、もう少し時間があるため、生徒もまばらだった。そんな中、うっすらと月が見え始めた空を眺めていたいつのの前に現れたのは……
「お待たせしました。いつのさん……」
「えっ?! いつきくん?!」
いつきが待っているとは聞いていなかったいつのにとって、うれしい反面、別の心配があった。
『バレてないよね?』
あの事が頭をよぎっていたいつの。本能のままにいつきを襲ってしまい、あまつさえ狐耳と尻尾を出してしまいそうになっていた。
一応、夢ということで片付けていたが、いつきとの待ち合わせをしたことで、そのことを聞かれるんじゃないかと思ってしまった。
『やっぱり、キレイだ。いつのさん……』
いつきはいつのの立ち姿にすら魅力を感じるほどに、好意を持ち始めていた。人の姿になったとはいえ、手入れの行き届いた銀色の髪は、月明かりに輝きを放っている。その髪の毛の一本一本がいつのの魅力を構成していた。
「ど、どこか行きます?」
「そ、そうね。」
互いに、絶妙な距離感の散策は、プラトニックなカップルの様相を呈していた。寄り添って歩く二人は、時々手が触れそうになるとピクッと離れたりしていた。
そして、屋上へと移動したいつのといつきは、あの時と同じ状況に困惑し始めていた。夜の足音がゆっくりと近づいてきている中、月明かりに照らされたいつのの髪の毛は、光り輝いていた。
「やっぱり、ここの風は気持ちいい。」
屋上の手すりに体をゆだね、心地よい肌触りの風を感じたいつのは、気持ちよさそうな顔をする。その後ろ姿に向かって、いつきは呼吸を整えて一言。
「いつのさん。好きです。付き合ってください。」
「えっ?!」
それは、いつのにとっての初めての告白。それも、あれほど気に入った匂いのする男子からの告白に、心が高鳴った。
それと同時に、自分は妖狐の長として群れを率いる責務というものがある。それを思うと、すぐには首を縦に振れなかった。たとえ、相手を求めていたとしても……
「一つ聞いていい? いつきくん」
「えっ? は、はい。」
「そ、その。私を好きというのは、私が狐だから? それとも、この見た目だから?」
「えっ?」
妖狐が人の姿になる場合、理想とする容姿を思い描き、人の姿になる。そして、最初に思い描いたものに似た形でひとの姿が定着する。そのため、人としてのいつのに惚れたのだとすれば、いつのはその思いにこたえることはできなかった。何しろ、仮初の体だから。いつののそんな思いとは裏腹に、いつきはそのどちらでもなかった。
「答えてくれる? いつきくん。」
「それは、いつのさんだからです。」
「えっ?」
「いつのさんが妖狐でも人でも、俺は好きになっていたと思います。」
いつきのこの答えに、いつのの心は、締め付けられる。それは、母が人との恋を禁忌とした理由がわかったような気がしたいつの……
『あぁ。やっぱり、私……好きなんだ。いつきくんのこと……』
きゅぅ~っと締め付けられる胸を押さえながら、いつのは最後の質問をする。それは、長としてではなく、一匹の。ひとりの妖狐としていつきに聞きたかったこと……
「いつきくん。私。狐だよ? 妖狐だよ? それでも?」
そういうと、いつのは妖力を少し解き放ち、狐耳と尻尾。そして綺麗に輝く二つの瞳は、縦長の黒目へと変貌を遂げる。それは、まさしくこの世ならざる者の姿だった。
「これでも、好きって言ってくれるの? 怖いでしょ?」
「それでも……」
妖狐の姿を見ると、人は怖がることが多い。現に、好きと言ってくれた人でも妖狐の姿を明かすと、恐れおののきいつのの元を去ることが多い。
しかし、いつのの目の前のいつきは、恐れおののくどころか、食い下がる。ここで、いつきが引いてくれれば、禁忌を破らずに済むいつのはどうしてもいつきに引いてほしかった……
「ッ!!」
がばっ!!
目にも止まらない速さで、いつきを壁に追いやるいつの。その手は獣のツメと口には立派な牙が生え、妖狐のソレを彷彿とさせていた。
「ほら、女の子なのに、こんなに力が強いんだよ? 怖くないの? ちょっとでも私が力を込めたら、いつきくん。死んじゃうんだよ? それでも?」
矢継ぎ早にいつきを責め立てるいつのは、いつきに選択のいとまを与えない。それでも、決してとどめを刺そうとはしない。なぜなら……
『あぁ、無理だよぉ~』
そんないつのの思いを知ってかしらでか、いつきは言葉を紡ぐ。
「正直、怖くないといえばウソですが……」
「そ、そうでしょ?」
「でも、いつのさん。その涙は何ですか?」
「へっ?」
いつの本人も気が付かないうちに、大きな二つの目からは零れ落ちる涙があふれ出ていた。
「いつのさんは、やさしい人なんです。口では、殺すとか死ぬとか言ってますが……」
「ちがっ……」
「ほら、この手も、普通なら掴みかかる一瞬で終わっているはずなのに、首を抑えて震えてる……」
「だから、これは……」
矢継ぎ早に返されたいつのは、否定することしかできずにいた。体は殺そうと動くものの、心の奥底では“ダメ!”と必死におしとどめていた。
「いつのさん。」
「えっ?」
「あなたは、やっぱりやさしい人だよ……」
「ちがっ……ちゅっ。」
それは、初めての口づけだった。
首につかみかかったままのいつのの口と、やさしく重なったのはいつきの唇だった。
やさしく唇で覆われるかたくなな、いつのの口は、涙といつきの温かさで、かたくなな心も溶けていくようだった……
長く続いた初めての口づけは、ふたりの恋愛の始まりを示していた。高鳴る鼓動はとめどなく続き、密着したいつきに伝わってしまうんじゃないかと思うほどだった。
「ほんとにいいの? 私、妖狐だよ?」
「いいに決まってます。だから、告白したんです。」
いつきの清々しいほどの態度に、あれほど突っぱねようとしていた自分が、バカらしくなったいつの。人差し指でいつきの唇を抑えるとくすっと笑い……
くすっ。
「まったく、いつきくんは……。知らないからね。どんな目にあっても。」
後夜祭を控えた屋上で、はれて両想いになったいつのといつき。耳と尻尾を出したままのいつのは、いつきに体をゆだねて張りつめていた心が溶けて解放されていくのがわかった……
『やっぱり、私。いつきくんのこと。好きなんだ……』
改めてそう思ったいつのだった……
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