吸血鬼に遭った僕は、一生分の時間を彼女に捧げることにした

神崎 ひなた

 こんなにも月が綺麗な夜だから、何が起こってもおかしくはなかった。

 だけど、まさか吸血鬼に遭うだなんて想像もしていなかった。

 

「何もすることがないなら、私に付きあってみませんか?」


 どうにもならないハローワークを後にして、ぼんやりと街を歩いていた。気がついたときには、いつの間にか知らない住宅街に立っていた。理路整然と並ぶ家々に囲まれて、僕だけがどうしようもなく取り残されていた。どこからか鈴虫の鳴く声が聞こえた。まだ夏なのに、どこか肌寒い夜だった。


 電信柱から長く伸びた影の先に、超然とした山吹色が煌めいていた。


 その違和感――場違い感と言った方が適切だろうか。

 鮮烈で、目に焼き付いて離れない、浮世離れした光景だった。それほどまでに綺麗な女の子だった。全身のあらゆる感覚が、彼女に釘付けになっていた。


 山吹色のさらさらした髪に、金属箔の粒子が月光に照らされてぽろぽろと煌めく。アザミのように鋭く流麗な睫毛の下には、満月の瞳が覗いている。小さな唇の端からは、ちろちろと桜色の舌が様子を伺っていて、次に紡がれようとする言葉をどのように彩ろうか逡巡しているようだった。


 異常なことに巻き込まれていると判断するには、あまりにも支離滅裂な夜だった。失業としたショックと、「お前には何の技能もない」と通告された無力感が、僕から物事を正常に判断する力を奪っていた。


 だから普通は乗らないであろう誘いに乗った。


「何が目的なんだ。金か」


 思わず口を付いて出た言葉には、取り返しのつかない薄ら寒さがあった。おそらく僕は、彼女を風俗嬢かなにかと勘違いしていたらしい。りーんりーん、と鳴く鈴虫の声が白々しかったことは覚えている。


 やがて、空白を切り裂くように彼女が笑った。くすくす、くすくす、と――花びらの散り際を思わせる、小さな囁き。


「お金なんて、そんな大層なものは望んでいません。もっとささやかな――そう、ほんの少し、暇つぶしに付きあってくれたらそれでいいんです」


「暇つぶし……?」


「本当に、大したことじゃないんですよ」


 白光みたいに透き通る白い声で、彼女は言った。


「ほんの、あなたが死ぬまでの間、私の話相手になってもらえればそれでいいんです。悪い話じゃないでしょう?」


 実際、悪い話ではなかった。

 どうにもならないハローワークに通い続けるよりは、ずっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る