二十、重ねた影

「……どういう意味だ?」

「分からぬか? お前が今見ているのは、目の前にある世界ではなかろう」


 カサンドラの指摘に、ぐっと言葉が詰まる。

 今、この瞬間でさえ、一門を飲み込んだ海の香りがする。……何も、反論が浮かばない。


「何を見ているかは知らぬが……現実に虚像を重ねるでないぞ」

「……。なぜ、お前がそれを俺に言う?」


 俺の問いに、カサンドラは静かに俯いた。


「アントーニョに……その、知らぬ昔話を教わった。礼として、私も故郷の話をした」


 ボソボソと呟くように、カサンドラは続ける。


「アントーニョは、アントーニョだ。他の誰でもない」


 何も返せなかった。

 脳裏に浮かぶは、壇ノ浦に沈んだ幼きみかど。……あの御方は、アントーニョ殿下じゃない。


「分かっている。だが、過去は関係ねぇ。殿下は殿下として、無事な場所まで送り届けるさ」

「……本当にわかっておるのか?」


 カサンドラは疑り深そうな視線を向けてくる。

 ……俺が即答できなかったのは、アントーニョ殿下と安徳帝あんとくていを重ねているのが図星だったからだろう。




 ***




 船宿を開くと、ちらほらと客が見え始めた。

 とはいえ、その中に刺客が紛れていないとも限らない。

 甲板の上から、ジャックと話す客の一挙一動を観察する。


「……ズィルバーさん」


 ……と、背後からアリーに呼び止められる。


「どうした?」

「そのぉ……ハプスブルクからの返答がありました」

「……! そうか」


 一応、今来ている客に怪しい者はいなかった。

 甲板の上から客引きをいったん中止するよう呼びかけ、アリーに向き直る。


「……で、どうだった」

「表立って助力するのは厳しいとのことです。……ただ、無事オーストリアまで辿り着けたのなら匿うぐらいはできる、と……」


 まあ、ある程度は予測通りの返答だ。

 ……後は、殿下を狙う追っ手を退しりぞけけられればいい。


「それと……そのぉ……もうひとつ気になる情報が……」

「なんだ?」

「巷で正義の騎士として騒がれている……まあ、その、義賊ぎぞくがおりまして」


 正義の騎士。

 まさか、先程刃を交えた、カミーノ・デ・ラ・フスティシアのことか……?

 正式な騎士でないのはロレンソの反応から察していたが……なるほど、公には無法者むほうものという扱いだったらしい。


「正体不明の騎士、とのことでしたが……どうにもスペインでは煙たがられているようでして」

「そりゃあそうだろう。民草たみくさに人気でしかも強いとなりゃ、いつ反旗をひるがえされるか分かったモンじゃねぇ」


 アリーは「はい……」と俯きながら、言葉を続ける。


「それでですねぇ……スペインは、今は殿下よりもそちらの対処に追われているのだとか」

「……ほう」


 と、なるとだ。

 その「義賊」をとっ捕まえりゃ、こちらの立場も少しばかり良くなる、か……?


「お、おい、ズィルバー!! 来てくれ!!」


 考え込んでいると、船の下がにわかに騒がしくなった。


「どうしたジャック! 客引きは中止ってさっき……」

「それどころじゃねぇんだっての!! 来てくれよ!!」


 どうにも只事じゃなさそうだったので、アリーに断りを入れてそちらに向かう。


「……は?」


 深紅のヴェネツィアン・マスクに、深紅のマント。

 正義の騎士、カミーノ・デ・ラ・フスティシアが、目の前に立っていた。


「先程のお詫びをしたく、伺いました」


 隣で……ペタロだかペトロだか知らねぇが、エセ神父もかしこまっている。

 いったい、何が起こっていやがるんだ……?

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