第2話 食パンとデート
(
『おはよう。
愛しのダーリン起きて、朝だよ♪』
ふかふかのベッドから体を起こし、ニョッキと背伸びをして、手元から流れるスマホからの女性の目覚まし音声を消す。
時代とは便利なものだ。
少し前まで人類は『目覚まし時計』という固体に悩まし続けられていた。
停止ボタンを何度押しても情け知らずに鳴らしてくる悪魔の破滅音。
それと闘い、時に交差し、しまいには腹が立ち、その騒音をわし掴んで床へ放り投げる始末。
それでもびくともせずに鳴り止まない強烈なメロディーの叫び。
目覚まし時計とは性悪な物体だ。
それが今ではスマホという機械から目覚ましをセットすることができる。
時計と違い、乾電池やボタン電池などは必要ない。
さらに最近ではネットから自分好みのボイスが簡単にダウンロードでき、スマホから再生できる。
もう時代は
優しく
****
時は20XX年。古くから親しまれていた平成の年号は変わり、時代は令和とバトンタッチされた。
季節は春。
つい、この前あった東京オリンピックが懐かしく感じる。
──僕の名前は、
高校三年生の18歳。
まだ幼い顔つきで体は痩せていて背の高さは170くらい。
黒い髪に、ほどよく調髪された髪型。
人はこれを
でも、なぜだろう。
こんなに素敵なヘアースタイルをダサイと茶化す人もいるなんて。
親の顔が見てみたい。
その親たちを茶の間に呼び入れ、七三ボーイの爪の垢を煎じて飲ましてみたい。
いや、多分、お腹を壊すだろう。
いや、待てよ。
牛乳割りにして混ぜてみたらわりといけるかも知れない。
いざ、その飲み物の入った耐熱グラスを片手にし、腰に手を当て、ごくごくと……、あちち……。
──そんな僕の両親は父親は俳優、母親はモデルをやっていて、この一等地の二階建ての家を空けるなんてしょっちゅうだ。
今回は夫婦揃ってアメリコのバリウッドへ海外出張と電話で教えてくれた。
約半年ほど、ここを留守にするらしい。
──そう、いつも親は理不尽で身勝手。
僕が小さい頃から自炊に慣れているせいか、ましてや男だから大丈夫なのかは定かではないが、こちらの気持ちなどお構いなしだ。
****
ふと、傍にある手鏡をのぞく。
多少、目つきが鋭い奥二重だが、目鼻が整った女性のような顔つきで目立った日焼けもなし。
人は、これをイケメンと呼ぶ。
こんな顔のどこが良いのか。
ちなみに言わせてもらうが、僕はナルシストではない。
「……そんなことより、ご飯を食べないとな」
ふと、おしよせる空腹感。
身体中の細胞が栄養素を欲しがっていた。
壁にある掛け時計の針は7時を過ぎたところ。
十分に朝食を食べる時間はある。
今日の朝は何にしようか。
灰色の二段式冷蔵庫の中には、牛乳、玉子にマヨネーズ。
とりあえずはマヨネーズを混ぜた隠し味で生地がふっくらジューシーになる玉子焼きに決まりだ。
えっ、何で目玉焼きにしないか?
だって、そこは男のプライドが許さない。
昨日と同じ朝食にはできないからだ。
だけど、後から冷凍室に保存していた物体を見て後悔した。
「やっぱり、目玉焼きか、スクランブルエッグにしたほうがよかったな」
カチカチの食パンを白のトースターで焼きながら、僕は反省モードへと移行していた……。
****
『ジリリリリーン!』
幸せな余韻の一時を邪魔する、激しい電話のベルの音。
まったくうるさいなあ。
我が家には昭和の象徴であった黒電話なんて置いていないよ。
誰だ、こんな嫌がらせをする
せっかくの美味しい食事が冷めてしまうじゃないか……。
そう、ぶつぶつと小言を言いながらその場を離れた時、不意に視界が開けた。
『ジリリリリーン!』
「はっ!?」
僕は一瞬、その場の現状を理解できなかった。
体は布団にくるまっており、騒音に向かい、精一杯伸ばした腕の先には黒の目覚まし時計があった。
時刻は朝の8時を指している。
「ヤバい、遅刻だ!」
僕は慌てて布団から飛び起き、バタバタと学校の支度をする。
また、やってしまった。
それは夢の中で生活を過ごす夢の世界。
さっきまでの朝食風景は夢の中の出来事だった。
昨日といい、今日といい、また僕は寝坊したのだ。
バシャバシャと洗顔、シャカシャカと歯磨き、制服へと、魔女っ子の変身模様のように登校準備に向けて忙しい僕。
『グー、キュルキュル……』
そんな無駄なカロリーを消費したせいか、腹の虫が元気に鳴る。
今まさに胃袋将軍が『お主、今が年貢の納め時だ。早く白米をよこせ!』と叫んでいる警告音でもあった。
でも僕はその将軍に対して
ハッキリと言って、今からのんびりとご飯にする余裕はない。
それに今日に限って炊飯器にセットしていたお米が炊けていなかったのもある。
悲しいことに炊飯器のタイマーは18時を指していた。
昨日学校から帰った夜に家事に勉強に追われてドタバタな状況だったのだろう。
ほんの少しの炊飯のボタン操作が命取りである。
──いや、きちんと食事はしているから命は
この飽食の時代に餓死は洒落にならない。
でも、1日のうち、1食、特に夕食を抜いたほうが体の健康には良いらしい。
夕方からはカロリーをあまり消費せずに、そのまま寝るだけの生活の人が多いからだ。
(でも、朝ご飯は重要だよな……)
僕はガバッと灰色の冷蔵庫を開ける。
中にあるのは二切れの食パンとマーガリンの入った箱のみ。
そこには、夢に出てきた玉子やマヨネーズとかいう輝かしい物体はない。
「そろそろ買い出しに行かないといけないな。帰ってから行くか」
僕は、そうひとりごとを言いながら、白のトースターでパンをこんがりと焼き、そのパンにマーガリンをペンキのように塗りたくり、登校するために慌てて外へ出たのだった。
よく少女漫画のように、口に食パンをくわえたまま走る女学生のように……。
それはまるで焼きたての食パンと熱々なデートをしている気分でもあった……。
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