きみの嘘、僕の恋心

@chauchau

僕の恋心


 風邪は引きたくないなァ……。


 コップの中にあったはずの水がすぐ目の前にある。スローモーションの世界のなかで、それを避けることも防ぐこともせずに

 僕はただそんなことを考えていた。


「さいってェ!! 二度とその顔見せないでよねッ!!」


 頬を膨らませる彼女の怒った顔が好きだと言えば、紅らめて小さく照れる可愛い彼女。だけど、僕が好きだった彼女の怒り顔は本当に怒っていた顔ではなく、彼女の本当に怒った顔はそれはもう可愛さとは無縁なものだった。


 気の早い教授の講義であればすでに終了している二月初めの大学食堂は普段に比べれば随分と人が少ないと言ってもそれはあくまでも普段と比べての話である。

 値段の安さと量を求める貧乏学生たちが悲鳴を上げる戦友へと救援物資を授けることも忘れて僕を茫然と見続けている。彼らの視線よりも、無駄な仕事を増やしやがってと憎しみを飛ばすおばちゃん達の視線のほうが遥かに怖いかな。


「今度は何股かけたのよ」


「今日は話しかけてくれる日なんだね」


 暖房がかけられているとはいえ、雪も降りしきる真冬に僕に声を掛けてくれる人間は奇妙奇天烈な性格の持ち主であるといえよう。

 カレーうどんと大盛カツ丼がコンビになった満腹セットAを手にした彼女は、さきほどまで別の女性が座っていた席僕の目の前の席に陣取ると手も合わせずに目の前の食糧をかっ込んでいく。


「きみに彼女が居る時に声を掛けると私にまで被害が行くんだもん」


「彼女」


「はいはい、女の子が近くに居る時。みぃんな誰も特定の彼女じゃないものね、きみにとっては」


「ちゃんと全員に伝えているんだけどね。きみぐらいだよ、ずっと友達のままで居てくれる人は」


「さっきの子とは何回寝たのさ」


「ええと……、10回はシていないかな」


「死ねば?」


 いつまでも濡れたままで居ると本当に風邪をひいてしまいかねないので、テーブルに備え付けてある紙ナプキンで水気を拭きとっていく。

 安物の紙ナプキンでは十分にふき取ることなど出来ないが、彼女が食べ終わる頃には暖房の力で多少は乾いていてくれることだろう。


「難しいよね」


「バレずに浮気をすることが?」


「浮気じゃないよ、誰とも付き合っていないもの。そうじゃなくて、彼女と二度と顔を合わせないこと。だって同じ大学なんだもん」


「解決方法はあるわよ」


「死ぬこと以外でお願いします」


「万事休すね」


 うどんは勢いよくすすることに存在意義があるのよ。

 いつだったか彼女が高々に宣言したことはカレーうどんであろうとも覆されてはいない。よりにもよって彼女の本日の服は美しい白であり、デザイナーが発狂してしまいかねないオリジナル模様が現在進行形で生み出され続けている。


「今週の日曜日、どっか遊びに行かない?」


「他の女の子はどうしたのよ」


「暇になっちゃった」


 鳴り響き続ける僕のスマフォには、最近仲良くしていた子たちからの絶縁宣言が次々と矢継ぎ早に飛び込み続けていた。

 ようやく目が合った彼女は、少しの間悩んでみせたあとゴミを見る目で了承を告げた。



 ※※※



「おまたせ」


「本当におまたせされました」


 少し遠くから目が合っていたけれど、声を掛けるのは僕のほうから。それまで彼女は口を閉ざして待ち続ける。駅前の時計塔は約束の時間から1時間過ぎたことを告げる鐘をノイズ交じりに響かせる。


「寝坊しちゃった」


「連絡くらいよこしなさい」


「きみなら待っててくれるから」


 他の子は帰ってしまうけど。きみは絶対に待っていてくれるから。遅れても嫌味一つで終わる心地よさ。


「おなかすいたねぇ」


「きみのせいでしょうが。適当なところで良いよね」


「良いけど、量だけ特化な店はちょっと勘弁してほしい」


「行くわけないでしょ」


 待ち続けて冷えたのか、彼女はもこもこなコートに身を包めて、


「ダイエット中」


 はやくと僕の目を見て急かす。


「女の子と遊びに来ていてニンニクはないと思うんだけど」


「そうは言うけどペペロンチーノは美味しいんだから仕方ないじゃないか。きみも一口食べるかぃ?」


「口が臭くなるからいらない」


「僕は気にしないんだけどなァ」


「わたしが気にする」


「いっそこのまま同罪に堕ちるというのはどうだろう」


「馬鹿じゃないの?」


 時間外れのおしゃれなカフェには食事よりもお茶をする客層が多かった。彼女はこういうけれどこの店のペペロンチーノはあまり匂わないことで評判なので周囲の迷惑にもならないだろう。


「体調は、問題ないんでしょうね」


「うん? ああ、食堂でのこと? 見ての通りでぴんぴんしているとも」


「きみは馬鹿だからね」


「馬鹿は風邪をひかないんじゃなくて、風邪を引いたことに気付かないだけだというよ」


 僕としてはむしろサラダランチなんてものを食べているきみのことが心配になる。時々思いついたようにダイエットをしだす子ではあるが、ここまで極端なことをするのなら普段のドカ食いを止めれば良いと思うんだけどな。

 言うと怒られるから言わないけれど。


「いい加減つくったら?」


「何を?」


「特定の恋人」


「必要ないのに?」


「被害者が減る」


「居なくなるわけじゃないんだ」


「恋人になった人が居る以上ゼロにはならないでしょう?」


「なるほど」


 僕を見つめてくる彼女の視線は本当にまっすぐで、悪いことをしているわけでないと思っているのにまるで僕が悪いことをしているかのように思えてくる。


「じゃあ、きみがなってくれる?」


「わたし?」


「うん」


「馬鹿じゃないの?」


「だよね」


 だから僕はきみが好きだ。


「僕はね」


「女友達がほしいんだ」


「言葉を取らないでよ」


「百回は聞いた」


「じゃあ百一回目だ」


 ただそれだけなのに。

 しばらく付き合えばどうしてか皆が僕の身体を求めてくる。与えてしまう僕も悪いのかもしれないけれど、そうしないと彼女たちが離れていってしまいそうで。

 とはいえ、結局みんなに同じことをしていれば浮気だと怒られ離れていくのだから一緒のことなのだろうけど。


「セックスするのをやめなさい」


「前に試した時はその場で怒られてどっか行かれたんだけど」


「だからってシても同じ結果でしょうが」


 あの時も、きみの助言があったんだっけ。

 僕を求めてきた女性にきっぱりとその気がないと告げればいきなり泣かれるわ、頬を平手打ちされるわ、会計も放り捨てて店から出て行くわで大変な目に会った。


「彼女じゃなくて彼氏を作ったらどうなの」


「彼氏?」


「男からもモテるでしょう、きみは」


「モテることはモテるけど」


「腹立つ」


「ごめんて……。でも」


「でも?」


「僕が男と一緒になるのは……、気持ち悪いし」


「そう」


「きみこそ彼氏は作らないの?」


「どうしてわたしが」


「友達と恋バナってやつをしてみたい」


「きみの趣味で恋愛をする気はないよ」


「駄目かァ」


「馬鹿じゃないの?」

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