第33話 私室にて

 カッセル市に入った図南と紗良は、落ち着いたら連絡を取り合おうと約束をして拓光と一旦別れて行動することになった。


 図南と紗良は神聖教会の神殿へ。

 拓光はテレジア、ニーナ母娘とともにニーナの父親が出したという雑貨屋へと向かった。


 図南と紗良を乗せたフューラー大司教一行の馬車隊が神殿へ到着したのは、街中の灯りも半分近くが落ちた頃である。

 時間も遅かったこともあり、正式な挨拶は翌日と言うことになり、到着早々、神殿の敷地内にある独身者用の宿舎が集まる区画へと案内された。


 樹木に囲まれたその区画には、洋館のように見える三階建ての建物が幾つも並んでいる。

 図南と紗良の二人はその中にあって一際豪奢な隣り合う建物へと、それぞれ少年と少女の見習い神官に付き添われて案内された。


 案内をしてくれた少女の見習い神官曰く。


「向かって左側が高位の女性神官専用の宿舎で、右側が同じく高位の男性神官専用の宿舎でございます」


「男性専用と言うことは、私が図南の部屋を訪ねたり、図南が私の部屋を訪ねたりすることは出来ないのでしょうか?」


 紗良の質問に少女の見習い神官が恭しくお辞儀をして答える。


「いつ、どちらへ赴かれるか、どなたを招かれるかは神官様の裁量の範囲となります」


「つまり、自由にしていいと言うことか」


 ラルスの『高位の男性神官の皆様は生涯独身の方が多いです』、という言葉が脳裏をよぎった。


(声が聞こえて来るようなら住む場所を変えてもらおう)


 図南と紗良は建屋の前で分かれると、それぞれ用意された部屋へと案内された。

 見習いの少年神官が退出した後、図南が神官服のままベッドに横たわっていると、扉をノックする音が響く。


 続いて聞こえる紗良の声。


「となーん、入っても大丈夫?」


「紗良か、鍵なら開いているぞ」


「そうじゃなくて」


「服ならちゃんと着ているから安心しろ」


 神官服を脱いで下着でベッドに寝転がろうかと考えていたのが数分前のこと。思いとどまって良かったと内心で苦笑する。


「おじゃましまーす」


 声と共に扉の開く音がし、司祭を現す真新しい神官服に着替えた紗良が入ってきた。


「部屋の広さは変わらないのね」


 十二畳ほどの広さの部屋を見渡すが、あるのは紗良の部屋と同様に備え付けの家具——、執務机と椅子、空の本棚だけである。


「こっちは?」


 紗良が続き部屋へと繋がる扉を開いた。

 そこにあるのはベッドとワードローブだけである。


「同じような感じね?」


「待遇が同じだからな」


「って! ワードローブがあたしのよりも大きい!」


「そりゃ、俺は神官と騎士を兼任するから、その分衣装も多いさ」


 図南は続き部屋である寝室に移動すると、ワードローブの扉を開いて中を見せた。

 儀礼用の他にも普段着回す用の神官服と騎士団の制服とが整然と収まっている。そのどれもが仕立てたばかりのものだ。


 図南と紗良の二人を司教として取り立てることを知らせる早馬を走らせたのは知っていた。

 だが、採寸した情報まで持たせて神官服と騎士団の制服とを仕立てさせていたことに、フューラー大司教の周到さを改めて思い知った。


「あのじいさん、俺たちが考えている以上に頭が回るみたいだな」


「そりゃ、並みいる政敵を排除していまの地位まで上っただけじゃなく、次は教皇様になろうってくらいだから頭も切れるだろうし、度胸もあるんじゃない?」


 紗良が軽く返した。


「なんだよ、それ。予想通り、って口調だな」


「ルードヴィッヒのおじいちゃんが、駆け引きのなかで何年生きていると思ってるのよ。あたしたち子どもが幾ら知恵を絞ったところで逆手に取られるのが落ちよ」


「じゃあ、どうするんだよ?」


 図南が面白くなさそうな顔をする。


「先ずは利用されましょう。あたしたちが役に立つと分かれば守ってくれるでしょ?」


「達観しているなー」


 ワードローブから騎士団の制服を取り出した紗良が目を輝かせて言う。


「わー! 図南がこれを着たところを見たいなー」


「それを着るのは明日の午後だ」


「そうね、先ずははこっちか」


 儀礼用の神官服を手に取る。

 明日の朝食前に新たに赴任した神殿長であるフューラー大司教の着任式が予定されていた。


 当然、二人もその式に出席する。

 二人がスピーチすることはないが、それでも新たに着任した司教として皆に紹介されることになっている。


 それを年若い彼らに対しても畏まる四十代半ばの司教から説明された。

 図南と紗良の二人をフューラー大司教の血縁であり懐刀であると誤解したのだろうが、それでもその畏まりように二人は驚かされる。


 その様子を思い返した紗良が言う。


「ルードヴィッヒのおじいちゃんの権力、想像以上だったね」


「新任の大司教だから舐められるし、補佐するはずの二人の副神殿長は敵対派閥だから一筋縄ではいかないといっていたが、そうは見えなかったよな」


 フューラー大司教に対する周囲の反応を見る限り、自分たちの助けなど必要ないように感じるほどだった。

 手にした儀礼用の神官服と騎士の制服をワードローブに戻しながら、『どうかしら』とつぶやいて振り返った。


「あたしたちの神聖魔法が強力なのもあって、表立って反対は出来ないみたいだけど、いい顔をしていない人たちは大勢いるみたいよ」


 紗良は階級と役職こそ、三級神官であり司教であるのだが、当面、就く仕事は病人や怪我人の治療をする部門で、司祭たちと同じように扱われる。

 図南も午前中は紗良と同じように治療をする部門に顔を出し、同じ扱いとなる。だが、午後からは神聖騎士団の仕事をすることになっていた。


「午後からは騎士団の小隊長だっけ?」


 カッセル神殿の騎士団を束ねる騎士団長よりも階級も役職も上となる図南であったが、当面は小隊長として現場を経験する段取りとなっている。


「いまから思いやられるよ」


「何かあったの?」


「どうやらじいさんの敵対派閥から送り込まれたらしい騎士がいるらしい」


 図南の小隊に配属される騎士の選任を副神殿長の一人、バルテン大司教が行ったと聞いていた。


「うわー、それってスパイ? 嫌がらせかな?」


「騎士団員たちからしても、腫物扱いされそうなんだよなー」


 すれ違った騎士たちが小声で好ましくないことをささやくのを聞いていた。

 だが、それを紗良に告げるつもりもなかった。


「ドラマとかでよくあるじゃない。キャリア官僚っていうの? あたしたちって、そんな感じかもね」


 ベッドに勢いよく腰を下ろした紗良神官服の裾がふわりと浮いた。


「残念でしたー。ミニスカートじゃないから見えませんよー」


 自分の脚に図南の視線が向けられたのを敏感に感じ取った紗良がからかうように言う。


 図南としては反応した部分が違う。

 チラリと見えた細く形の良い足首と白いすね。何よりも紗良が自分のベッドの上に無警戒に座っているというシチュエーションに反応したのだが、


「バーカ、そんなんじゃねえよ」


 それを悟られないように話題を逸らす。


「そんなことよりも、明後日は休みにしてくれるって話だろ?」


「街の見学をしたいなー」


 紗良が甘えた声を出した。


(俺のベッドの上で甘えた声をだすな、甘えた仕草をするな、甘えた視線を向けるな)


 図南が窓の外へ視線を向けて言う。


「テレジアさんの旦那さんがやっているっていう、雑貨屋に行ってみないか?」


 図南としても拓光の様子が気になっていたのもあるが、それ以上に話を逸らしたいという焦りで口を突いてできた。


「そうね、ニーナちゃんも誘ってダブルデートしましょう」


「ニーナちゃんは拓光に気があると思うか?」


「信じられないことだけど、ニーナちゃんだけじゃなくアリシアさんも不知火さんに気があると思うわ」


 紗良から見てもニーナが拓光に気があるようにみえるのか、と図南も少しうれしくなる。


「あいつ、それを気付いていないよな?」


「鈍感だからねー」


 女性に変身して姫プレイなんてせずに、真っ当に生きた方が幸せになれるのに。

 二人とも同じことを思うのであった。

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