思い出した男
男は滅茶苦茶に駆け続け、どこまでもどこまでも消えてはくれない歪な声と気配から逃げ続けた。自身の身体の力を制御できずただただ、がむしゃらに。それは、日が暮れようとも終わらぬ恐怖に追われる血反吐を流すマラソンのように。
男は思い出していた自分が何者であるのかを。あの耳に届いたノイズ混じりの殺人事件を伝えるニュース。あの被害者達が共に逃げ出した仲間であると。変色した遺体。死後何日も経っているわけじゃない。あぁ、あれは……あの死に方はっーーーー。
――――
「ーーィイイィッ!」
耳許で歪な声が囁く。男は蒼白い顔を更に蒼白させ悲鳴を上げると同時にその身体は転がるように倒れ込んだ。
転がる中で男はネジ曲がった自分の片脚と丸い月を見た。男はなにも気づくこともなく辺りは「深夜」という暗闇の世界へと変わっていた。
――――ヒュッヒュッ、楽しい鬼ごっこだったよ。
歪な声がはっきりと愉悦な喜色を奏で男は身体を錆びた鉄骨の束に打ち付け乗り捨てられた重機の前で僅かに揺らぐ空間を絶望に脅えた表情で視界に映す。
揺らぐ空間は徐々に形を造り本来の姿を現した。
その姿は怪物と呼ばずなんと言おうか。頭部と呼べる箇所には頭髪の類いは無く代わりに焦点のまるで合わない剥き出しの渦を巻くような「巨体な眼」が獲物を求めるように動く。身体には両肩に「甲殻類」のような茶色の装甲に覆われその細い人間と変わらぬ腕にはびっしりと「爬虫類」のようなイボが生え。身体全体は真っ青に染まっている。巨大な目許まで裂けた分厚い唇の大口から別の生き物ように蠢く真っ赤な長い舌。鼻と思わしき箇所からは生気を持ったギラギラとした人間のような「もうひとつの眼」が楽しげに細まっている。そして、その尻には肩口の装甲と同色の尾っぽのような物が生えており先端には毒針が付いている。
その怪物の姿は「カメレオン」と「蠍」が入り交じったかのような異形。その下半身は冗談めいた黒いタイツとブーツを履いたように見えそこだけは人間のようで不気味だ。これは本当にこの世に存在できる生物なのか。ただの人間なら正気を保ってはいられないだろう。だが、確かにこの生物は目の前に存在を主張しその真っ赤な舌で男の蒼白い首を絡めとり宙へと持ち上げた。
――――ヒュヒュヒュッヒュッ、可哀想に長く「調整」も受けられず人間としての色を保っては居られんようだ。すぐ楽にしてやろう。ありがたく思え。
男の首に舌を巻きつけたこの怪物がどこから声を出しているのかはわからない。ただ言えるのはがらつくこの声が愉悦に震え無力な男の命をこともなく奪おうとジワジワと
「ーーィたい」
――――ヒュッ?
「ーーィきたい……俺は……
その懇願はもはやどこの何者かもわからなく成りつつある男の魂の叫びであったのだろうか。それは、この男にしかわからない。その言葉に怪物は
――――無用な「歯車」がなにをほざく。
無情であった。
――――諦めよ「組織」の再編に旧い「歯車」は必要ない。処分をするのは当然というものだ。心配するな我が「同胞」と共に俺が残りの歯車をあの世へと送ってやる。ヒュウヒュウゥヒュッヒュッ!
冷血なる怪物の宣告に男は知らず涙を流し、その命を狩られる時を待つーー
ーーその時であった。
眩い
「そこまでだっ!」
オートバイの主は恐れを知らぬか力強い叫びを怪物へとあげる。照り返す光はその命知らずな男の姿を隠す。
――――バカな人間め。
怪物は興味示さず、その人間をみずに毒針の尾を無情に突き立てた。人間の動体視力ではこの毒針を避ける事は叶わず。瞬時に変色した無様な遺体がそこに転がるだけだ。
――――ッ!?
怪物は違和感にオートバイの光へと振り向いた。肉を貫く手応えが無い。そればかりか、この締め上げられるような感覚は。
命狩られるはずのその男はモスグリーンのグローブに包まれた片腕で毒針を掴み、闇夜に光る桃色の複眼で怪物を見据える異形の「仮面」
――――き、貴様はっ!?
「その男を渡して貰うぞっ!!」
闇に吹き抜ける風と共に「仮面」は毒針を砕き、月光を背に飛び上がった。
「大丈夫かっ!しっかりしろっ!!」
力強い声に男は蒼白い顔で「仮面」を見つめ潜在的な恐怖に震えると同時に「仮面」が助けてくれたというこれ以上のない安堵に初めて心に安らぎを覚えた。
「ィ……ありが……う……ダ」
「仮面」に短く感謝の言葉を告げ、名も無き「戦闘員」は眠るように旅立った。
記憶の無い男 もりくぼの小隊 @rasu-toru
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