ショートホラー「覚醒」

棗りかこ

第1話 昏睡


「40-0」

初村隗(はつむらかい)は、全日本テニス選手権で、マッチポイントを摑んだ。

「KAI サーブ」

隗の得意とするドライブサーブに名付けられた名は、観衆たちに、次のサービスエースで、決まるだろうと、期待させた。


翌日の新聞は、「初村敗れる」と書きたてた。

格下相手の、敗北は、センセーショナルだった。

「初村に何が起こったのか?」

初村は、何も語らず、コートを去った。


その数日後、初村は、マネージャーの車の衝突で、長い昏睡を迎えることになった。

初村は、東京中央病院の個室で、昏々と眠り続けていた。


「初村さん」

看護婦が、名前を呼んで、カーテンを開けた。


家族すら、訪れることは、稀になっていた。


ええ、今度、娘の可奈が、結婚することになりまして…。

初村沙保里が、電話で、旧友に喜々として喋っていた。

今度、ウェディングドレスを一緒に見にいきますの。


弟の、紀実(きみ)は、謳黎大学に入学を果たした。

下宿ね…。

関西の大学への進学は、初村家にとって、意外な結果だった。


初村隗の部屋は、ずっとそのままにされていた。

誰も、この八年の間、入ることもなく。

開かずの間の体(てい)を滲ませていた。


可奈は、ハネムーンベイビーを授かった。

紀実は、数学選手権で、四位を獲った。


両親は、隗の病室を訪れることが稀になっていった。


世間が、初村隗の名前を忘れた頃、不思議な事件が起こった。


歌手の岬エンジュが、首都環状道路で、交通事故死したのだ。

その死体は、真っ黒に焼け焦げていた。

身元が判明したのは、岬の指輪の所為だった。


昔は、すごい選手だったらしいわ…。

初村の新任担当ナースへの引き継ぎが行われた。


新任ナースが、初村の異状に気付いたのは、すぐだった。

「初村さん?」

隗は、目を見開いたままの状態で、横たわっていた。


新任ナースが、初村隗の顔を覗き込んだ。

「意識が戻られたんです。」


初村隗の「覚醒」は、こんな状況だった。



―完―




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る