靴墨
真黒刀佳(マックロ・カタナカ)
一
貳つの新たな屍體。
この憂鬱な部屋に白い敷布で被せられた貳つの屍體は、擔架で移送された。眞つ白で完璧な敷布だ。あゝ、被せられる者逹は、その敷布を構はないとは殘念なことだ。でも生ける者逹は構ふ。
全ては綺麗である可きだ。全ては儀式である可きだ。以前に是れを分からなかつても、死體安置所で仂き始めると、直ぐ分かる。
新しい屍體が移送されてゐる每囘ワクワクする。片輪の屍體や切り離された屍體が欲しくない。無傷の屍體が入用だ。生きてゐるやうなのだ。例へば、さつき溺死したや首くゝりした者逹の屍體。時折、屋根から飛び降りて死んだ自殺者の屍體もかなふけど、どのやうに落とした次第で選ぶ。コンクリートで壞された頭のある屍も有るし、體内には全ての骨が壞され外は全然無傷みたいな屍も有る。
男性や姥の屍は興味の無い。このやうな屍は到着する時、我はたゞ日誌で書き記してそれを何かの遠い隅に片付けて、まう思ひ出ないやうにする。くだらなくて不要な肉袋だ。
現在、いつか生きてゐた者の輪郭を見てゐる。今やその物は此處で眞つ白で必要の無い敷布で被せられて擔架の上で安置してある。壹つの輪郭は男性にちがひない。何糞、要らない。影に仕舞い込む。でも先ずは平然と祈る。全ては儀式である可き、祈りが無くては駄目だ。彼等は敷布が要らないけれども、だうせ祈りが無くては駄目だ。以前に此のやうなベラバウな話を信じらなかつたとしても、死體安置所で仂き始めると、信じるのも始める。
他の輪郭は確かに女性だ。それは不要な肉袋に違ふ。此處には、女性屍體がまう二日閒着かなかつた。昨日は心筋梗塞の故にくたばつた老人だつた。一昨日は、何者も無い。何者も無いと、なぜかそんなにポツネンだ。八方には日常に死者だけ有ると、彼等は生きてゐるやうな者の待遇をし始める。「肉袋だ」と考へるところで。死體安置所で仂き始めると、此のやうな矛盾に慣れる。
屍から敷布を脫ぐ。此の前のより良いは。前囘は、トラツクで轢き殺された奴だつた。今囘のは、首を切斷された。傷の樣子で判斷すると、約一日閒前。
我が仕事は平凡だ。付いた屍體を記錄したり手入れをしたりすることだ。運良く、我々の死體安置所は解剖室と分離してる。それで、檢死する義務が無い。檢死は、他の處で他の者で行はれてゐる。此處には、まう檢死された屍體や檢死される筈が無い屍體が移送される。でも閒々、殺された人の遺體が着くとき、警察が犧牲者の家族から許容を得て、屍體は此處から檢死に移送されることに備へなければならぬ。それで、いつもコンドームを使ふのは必要だ。
まう眞夜中だ。今日はなんかの新たな遺體が到着すると想はない。神戶にて橫死が少ないといふわけが無いが、殺された者逹の屍は到着することは屡々といふわけも無いので、今日のものは誠に逸物だ。
部屋は内側から閇じられてある。いま我は彼女と貳人だけになつたらしい。今夜は、も誰かが移送されても、廊下で扉の鄰に、付いた書き置きとゝもに殘される。そんな經驗はまうあつたから。
先づは少し心配したから、彼女をよくあまり見なかつたが、彼女は完璧だと今や見る。首の傷はこの美しさをみださない。二十歲ぐらい、汗の匂ひ、顏は綺麗だ。あゝ、本當に完璧だ。誰が、何の爲に彼女を殺したか?構はないよ。でも、彼女を殺した方に、無限に感謝する。だつて、彼のおかげでその美しさは今、我の前に置かれてゐる。
カマジの儀式を行はずに始めるのは駄目だ。特に擔架の上で。その擔架は、迚も不便であるだけでなく、きしむ。
此の爲に買つた毛布を、此處の戶棚で藏するのは誰にも氣付かなかつた。この戶棚に誰も覗き込まない。この陰氣な置き塲に、誰も覗き込まないの、全然。
全ては儀式である可きだ。全ては綺麗である可きだ。
此處は、あまり大きくなくて凉しい部屋だ。この中央に殘した餘地は、ちやうど我が毛布をしくだけに足りる。でも先づは、あの一隅に仕舞われた肉袋を、冷藏庫に片付けなければならぬ。
さうして、今は始める。
今日の我が完璧を毛布に置く。あゝ、そんなに樂しんで彼女は橫になる!それは特におどろきでない。なぜなら、擔架は冷たく、この毛布は最も寒い夜にも溫める事が出來るのだから。けれども、此處の溫度はいつでも同じだ。此處の全ては、永久に凍て付いてある。
「カマジの儀式」を行はずに始めるのは駄目だ。いつかそれを「ティアマトの聖書」で見つけて、あの日からちゃんと行ふ。さて今は、ロウソクに火を點けて、彼女の體の上で印を描いて、彼女の脣を、左手の中指からの血でぬらす。出來たは。今や彼女を入られる。
でも彼女はまだ全く冷たい。脫いで彼女を抱くと、彼女の死んだ四肢(やつぱり、死肢は!)は、我が體熱からだんだん溫まる。この瞬閒、彼女は生き返る如く。この瞬閒、我は、命の無い人形に生氣を賦與する神樣だ!この瞬閒、彼女は我への戀におちいて、與へられた新生のお禮に心服して我に從ふ!
よみがえた!我は彼女を再現した、我は行ほうとした事を行ふ権利が有る。
コンドームをつけてゐる。亦、いつも潤滑劑(ジユンカツザイ)を使はねばならぬ。此処に移送されるものたちは、膣分泌液(チツブンピツエキ)が無いから。我が素敵な儀式さへ、彼女らに、腟潤滑劑を分泌する能力を與へない。全ては二面がある。死體安置所で仂き始めると、これを分かる。
生きてゐる女の中に入る事と、死んでゐる女の中に入る事は全然違ふ。精神的でなく、肉體的だ。生きてゐる女は不安定で危ないものなんである。彼女の腟の筋肉の動きは豫想不可能で、もつと激しいのを求めるか、もつと優しいのを願ふか;その筋肉にあなたの陰莖は食はれ、自分で過程を統制することが出來無くなる。いつイくか分からずに、彼女の中にイくのを防ぐことが出來るかだうかも分からず、彼女と同時にイくかだうか分からない。彼女にはいつでも何かが足らない。生きてゐる女はいつももつと欲しい。生きてゐる女は全てを奪ひたがる。彼女はあなたの魂とあなたの躰を喰ひたがるが、あなたは何故か自分自身を彼女にけんじるの。
死んでゐる女は、まつたくもつて違ふ。死んでゐる女は完璧な戀人だ。彼女と一緖に居て、あなたは過程を支配する。いつイくか、あなただけ次第だ。いくら早くイくか、彼女はかまはない。彼女には、過程の前と過程の後は同じだ。死んでゐる女は痛がらない、あなたはまづい戀人だと言はない。亦、性行爲を囘避するための言ひ拔けを考へ出さない。彼女はあたなに斷らず、いつでも、いかがでもやるよ。
彼女の首の切り傷を氣付かない。いま我には、彼女は殺人者の被害者でなくて、我が女である。外には死んでゐるが、中から生き返り始めるのだ。もしその後、彼女が運び去られなければ、明日も彼女に戻る。
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