第19話 梅雨入り前の雨のちに
『――なぁ、有彩?』
『――なんですか、理玖くん?』
『……俺、帰っちゃダメかな?』
『ダメですよ! 協力してくれるって言ったじゃないですか!』
いや、確かに言ったけどさぁ……この状況になって帰りたくならない奴は存在しないと思うんだ俺は。
「……親の前で娘とコソコソ内緒話とはいい度胸だな」
ゴゴゴゴ……という効果音が後ろに見えたと錯覚するぐらいの怒気を体全体から発した有彩の父親である有貴さんが子供が見たらうっかりちびりそうなほどの剣幕で俺を睨んでいらっしゃる。
ありのまま言ってしまうなら超怖いです。
「なんだか娘が連れて来た彼氏が結婚を許してもらう前みたいねー」
俺と有彩の対面に座る彩さんが間延びした声でそう言うと、ビシッと空気にひびが入る音が気がしたが、この際スルーでいいだろう。
確かに他人がこの状況を見たらお前結婚の挨拶してんの? と言われても仕方のないシチュエーションが揃ってしまってることは否定出来ない。
――だってここ竜胆家だもんなぁ……。
竜胆家のリビングに俺、有彩、彩さん、有貴さんの4人が座ってて彩さん以外は皆険しい顔してんだもん。
有彩のホームであって俺のホームじゃねえもん、アウェーだもんこれ。
「くだらないことを言うな彩。絶対に許さないからな」
「いや、俺を睨まれてもですね……」
「冗談ですよ、有貴君」
「お、お母さん! 変な冗談を言わないでください!」
おいおいおいおい……どうすんだよこの空気! もう話し合いなんてしてくれそうにない雰囲気だぞ!
なんなら口を開こうとした瞬間にくたばれって言われそう!
……でも言わなかったら昨日のあの時間は無駄になる。
3人で話し合い、考えてることをちゃんと伝えあったあの時間が……。
「――ふぅ……有彩、そろそろ話を進めようぜ」
「貴様、誰に断って娘の名を呼んでるんだ?」
本人にだよ!! ああもう無視して話進めるのが1番手っ取り早いわ!! 一々この人の娘ラブに付き合ってたら今日俺睨まれにきただけになっちまう!!
「……お父さん、昨日は頭に血が上ってしまってあんなことをしてしまってごめんなさい」
「いや、僕も怒鳴りつけてしまって悪かったが……有彩が何にあそこまで腹を立てたのかが全く考えつかなかった」
有彩が俺を見てきた。多分、俺のことを話してもいいかって意味を含んだ目配せだから頷き返す。
「……ここにいる橘理玖くんのご両親は彼が小さい頃に事故でお亡くなりになっているんです」
「……そうだったのか。知らなかったとはいえ、悪いことをしてしまったな」
「いえ、初対面でそれを分かる人なんていないですから」
彩さんとはこの同棲生活が始まる時に電話で少しだけ会話をしたことがある。その時に俺の叔父さんである達哉さんの電話番号を教えたから、俺が叔父さんと2人暮らし……今は1人暮らしだということを知っていたらしい。
それを昨日話し合いが終わってから、今日の予定を取り付けるのに有彩が彩さんに電話した時に俺も話す機会があって、聞いた。
ついでに陽菜のことは言わないでおいて欲しいとも伝え、今日を迎えたというわけだ。
「だが、それと同棲を許すのは全くの別問題だ。彩が許していたとしても僕は絶対に認めない」
「それでも私の話を聞いて下さい、お父さん」
「……ふんっ、聞くだけだからな」
口では厳しく言いつつも娘には基本的に甘いあたり、この人は面倒なツンデレだ。
絶対にそれを言ったら機嫌と口が数倍悪くなるだろうから言わないけど。
「まず、私が小説を書いていて、それが書籍化したってことは話しましたよね?」
「あぁ聞いた。流石は僕と彩の娘だ」
「……ですが、私が小説を書こうと思ったきっかけについては話したことありませんでしたよね?」
「確かにそうだな。それが同棲をすることとどんな繋がりがあるんだ?」
小説を書き始めることと、有彩の育った境遇、そして今の同棲生活に至る経緯は全く関係の無いことのように思えるけど……昨日話を聞いた俺と陽菜は知っている。
――それがたった1つの感情によって繋がっていたことを。
「昔からお父さんは出張で家を空けることが多くて、お母さんはそんなお父さんを支える為によく一緒に着いて行ってました。それは仕方がないことだって言うのは私も幼いながらには薄っすらと理解して納得してたんです」
この場にいる全員が有彩の声に耳を傾けて、静かに話を聞き続ける。
それこそ、呼吸の音すらも立ててはいけない気がして。
「理解していたからこそ、私は家のことや学業のことをちゃんとしました。頑張りました」
「あぁ、有彩は昔からワガママらしいワガママを言ったことがないな。そういう部分も含めて誇らしい自慢の娘だよ」
「もちろん、2人が安心して家を空けられるように、心配をかけないようにって思っていたことも間違いないんです。……でも、私は……褒めて欲しかったんです」
「褒めて欲しかった……?」
幼い頃から1人でいることが多かった有彩は、子供ながらにどこか達観した子供で、親が自分たちの為に頑張って働いているって事実も受け止めて、だから安心出来るようにって色々なことを努力し始めた。
……理解はしていても、納得しきれていない部分があったと聞いた。
時が流れ、最初は『1人で大丈夫?』と言われていたけど、それすらも言われなくなって、『有彩なら1人でも大丈夫だ、しっかりしているから』と信頼されているのが分かって、余計に虚しいと思ってしまったらしい。
――最初は心配をかけないように、そうなることを望んでいたはずなのに……。
と呟いた有彩の顔は自虐めいていて、鮮烈に網膜に焼き付いた。
かつての俺も、きっとこんな顔をしていたんだろうな。
小さい頃なんて、余計に感情のコントロールが出来ないもんだから、自分が目指していた到着点に辿り着いたはずなのに、他でもない自分の心がそれは違うと訴えてきているのが分かったらしい。
「……薄々勘付いてはいました。でも、そこに気が付いてしまえば、私はきっと……ワガママを言ってしまいます。 ――寂しいから、1人にしないでって」
有彩は褒めて欲しかったんだ。ずっと……すごい、頑張ったねって。
それは決して、よく出来た子供が親に心配をかけないように、なんて立派な志なんかじゃなかった。
ただ、家にいない2人が帰って来た時、褒めて欲しかったから。構って欲しかったから。皮肉なもので、そんな頑張りも全て逆に働いてしまった。
「だから、私は小説を書き始めました。たまたま知ったネット小説を。寂しさを埋める為に。せめて、私が1人きりじゃなくなるように、顔も知らない誰かに、私はここにいるって証明したかったんです」
そう、寂しかったからだ。
全部……上手くやろうとしたのも。俺もそうだった。
授業参観の時はクラスメイトたちの親が後ろにいっぱいいて、頑張っている姿を見せることが出来る。
でも、俺がいくら後ろを振り返ってその姿を探してもいないものはいない。
どんなにテストでいい点取ろうが、運動会で活躍しようが、俺を褒めてくれる人は先生ぐらいのもので、家に帰れば誰もいない。
俺も叔父さんに心配をかけないように色々とやるようになって、成果が出る度に何故かどんどん虚しくなっていった。
――だから、俺は……同棲を受け入れた。
気丈に振舞っていても、やっぱりどこかで虚しさが溢れてきて……そんな生活を俺も有彩も形は違えど過ごしてきたんだ。
……まあ、昨日寂しかったからって2人に伝えたら、大分きょとんって顔されて、俺は顔が真っ赤にする羽目になったけど!
だって高校2年生になる男が真顔で寂しかったから、なんて言い出したらそりゃハトが豆鉄砲喰らったような顔になるに決まってる!
有彩が似た境遇だったお陰で笑われずには済んだけど……普段だったら大爆笑もの間違い無しだったろうな!
「最初は全然読まれなくて、心が折れそうになってる時にずっと応援し続けてくれていた顔も知らない1人のファンがいて……それがたまたまこの理玖くんだったんです。男の子の家に泊まるっていうのは抵抗もありましたけど、あんなに熱心に応援してくれていた人が悪い人なはずがないって思ったんです」
「そういうことだったのね……」
「実際に、今日この日まで理玖くんが私の信頼を裏切るようなことをしたことは1度もありません! 私が家族を除いてこの世で1番信頼している男性です!」
熱が入ってるのかなんか物凄いこと言われてね? いや、嬉しいに決まってるんだけど……!
ちなみに、俺が有彩の小説を読み始めたのは、何かに没頭すれば虚しいなんてことも忘れられるって思ったからだ。
「あっ! も、もちろん友達として!」
「そんなに照れなくてもいいじゃない。ねっ、有貴君」
「……有彩にそこまで言わせておいて、期待を裏切ったら……分かってるな?」
「えっ?」
「僕だって不本意だが、娘があんなに真剣な顔をして、人生初のワガママを通そうとしているのを無下に出来る父親なんて存在しない、本当に不本意だがな」
ええっと……つまりは同棲を認めてくれるってことか? なんでこう、もうちょっと素直に言えないんだろう、正に真性のツンデレだな。
「や、やりましたよ理玖くん!」
「だっ!? 抱き着くなって!! ちょ、お前の父さんがより一層険しい顔し始めて……って、あぁ!? キッチンに行ったぞ!? おい、あれ包丁持ってくるつもりだろ!? おい、離れろって!!」
流石に、包丁を持ってくるのは彩さんが止めてくれたが、死んだと思った。
「とにかく! 有彩を泣かせてみろ……その時は本当にお前を葬り去ってやるからな……! 手を出しても許さん……!」
「は、はい! もちろん心得ております!」
「さて、話も済んだことだし……有彩、ご飯食べていく?」
「……いえ、今日は帰ろうと思います」
「あら、そう?」
「いいのか? 久しぶりの家族水入らずなんだし、もっとゆっくりしていけよ。俺は先に帰ってるからさ」
ていうか早く帰れって目で訴えかけて……いや、脅しかけてくる人がいるから早くこの空間から解放されたい……!
「いえ、旅行に行った時から溜め込んでいる洗濯物もありますし……帰りましょう」
そう言えば、相当溜まってたな……ってあれ?
「おい有彩、お前の親父さんめっちゃ肩ぷるぷるさせてね? めっちゃご立腹じゃね?」
「どうしてでしょうね?」
「貴様……有彩と旅行……だと!?」
「やばいやばい!! あの人目がマジだ!! お前伝えてなかったのかよ!?」
「お母さんには言ったんですけど……」
「あら、伝え忘れてたわ。ごめんね?」
殺る気100%だあれ!! 今までと殺気が比べ物にならん!!
「あっ、理玖くん! 待って下さい!!」
「無理! ってか今足止めたら絶対死ぬから!!」
「もうっ! それじゃあお母さん、明日帰る時は見送りに行きますから!」
「はいはい……有貴君、別に2人きりで行ったわけじゃないから、落ち着いて?」
「ふぅ……ふぅ……くそっ、やはり同棲なんて反対しておけば良かった……」
少し距離が離れたところから後ろを振り返ると、有彩が立ち止まって2人の方を向いているのが見えた。
「お父さん!!! お母さん!!!」
それは今まで聞いたことがないような大きな声で、彩さんと有貴さんも驚いたように有彩を見ていた。
「私!!! お友達がたくさん出来ました!!! だから、心配しないでください!!!!」
吹っ切れたような笑顔を俺に向け、有彩は黒髪をなびかせ駆け出して立ち止まった俺を追い抜いていった。
♦♦♦
「でも良かったよね、有彩の同棲が認められて」
「あぁ、肩の荷が下りた気分だ」
帰ってきた俺は家で待っていた陽菜に事の顛末を全て話した。
昨日と合わせてもたった2日の出来事だったのに、なんか何日も抱えていたような気がする。
……まあ、旅行から帰ってきて間髪入れずにだったからな。GWはまだ明日もあるわけだし、これでやっとのんびり出来る。
と思ってたらリビングの扉が大きな音を立てて開き、洗濯物を干そうとしていた有彩が飛び込んできた。
一体なんなんだ……騒がしい。
「り、り……理玖くん! どうして理玖くんのズボンからわ、私の……ぱ、ぱぱ……!」
「え? ズボンからパパ?」
「いやどんなイリュージョンだよ……」
四次元ポケットじゃねえんだからさ……あれっていつか開発されるんだろうか? 科学の進歩に期待。
「そうじゃなくて……どうして私のパ……! し、下着が理玖くんのズボンのポケットから出てくるんですかぁ!!!」
「………………あ」
わ、忘れてた! お前のだったかぁ!!
なんか忘れてるなってずっと思ってたんだよ!! それかぁ!!
「ど、どういうことりっくん!? ま、まさか有彩の下着で!?」
「してない!! 断じて何もしてない!!」
「はわわわわ!!! りりり、理玖くんが……!?」
「違うっ!! マジで!! 誤解だ!!」
あークソッ!! どうしてこうなるんだ!? やっぱり同棲生活なんて言葉とは裏腹に甘いだけじゃない!!
――だけど、やっぱりこんな毎日がもう俺の1部だから……こんな騒がしい毎日が楽しいから寂しいなんて感情はもう、浮かんで来なくなってしまっている。
パンツの誤解を解きながら俺は密かにそう思ったのだった。
♦♦♦
ここから先はあとがきになります。
まずは、この作品を読んでいただいてありがとうございます!
近況ノートでは読んでもらえるか分からなかったので、こうしてあとがきを書く場を設けさせていただきました!
この作品はここで第一章として区切らせていただいて、次からは第二章の執筆に取り掛かります。
応援、評価、コメント等は執筆を続けていく上で、非常に背中を押してくれています。
これからもどうぞ、この作品を読んで楽しんでいただければ幸いです。
それでは、また次回に。
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