第18話 雨雲を抜ける為に

「それで、その……お父さんは?」


 容姿を整え終わった有彩が洗面所から戻ってきて、恐る恐ると言った感じに口を開く。

 そりゃ聞き辛いよな、なんせ父親の股間を蹴り上げて逃走してるわけだし。……思い出したら無意識に股間付近にそっと手を伸ばしてしまったのは正直男だったらあるあるだと思う。


「色々な意味で再起不能みたいだから車の中に置いてきたわ。娘に大嫌いとかバカって怒鳴られた精神的ダメージも大きいみたい。立ち上がって内股でぷるぷるしながら目を虚ろにしてたわよー」


 悲惨すぎる……立場的にはあの人は敵って立ち位置で間違いないのに同情してしまう。

 ……俺も将来結婚とかして娘とか出来たらお父さんの物と一緒に洗濯しないでよ、とかうざいとかキモいとか言われんのかな? ……やっべ、泣けてくる。


「お母さん、お父さんはどうして私の居場所が分かったんでしょうか? 車でたまたま見つけるなんてそんなこと不可能に近いと思うんですけど……」


「あー……それはね、あの人有彩のスマホに位置情報アプリをこっそり入れてたらしくてね?」


「えっ……」


「そ、それって……」


 女性陣ドン引きである。俺もだけど。

 本格的にやべえ人だよ……さっきまで若干同情の気持ちがあったけど、綺麗さっぱりなくなった。


「ほ、本当だ……しばらく使ってないアプリを複数まとめてる部分の2~3個先にスライドさせた部分に1つだけポツンと……き、気持ち悪いです……」


「使ってないアプリの中に紛れさせて更にそこから横にスライドさせないと見つけられないようにしてるとかガチ過ぎてやべえよ……」


「なんでパスワード知ってるんだろうね?」


「うちの人、そういうシステムとかの仕事してるから詳しいの。能力の無駄遣いもいいところだけどね」


 だから、彩さんも俺の家が分かったのか……多分、どうして有彩の場所が分かったのかあの人に問いかけて、位置情報のこともさっき知ったってことか。

 何号室かは外にあるポストの名前を確認すれば1発だしな。


「お母さんはどうしてお父さんと結婚したんですか?」


「んーっ? そうねぇ……色々あるけど、1番はやっぱり……」


 そこで区切った彩さんは深く微笑んだ。

 それしかないという具合の笑みの深めよう。一体何を言うつもりなんだ?


「――私が有貴ゆうき君を好きで、愛してるから」


 しんっとした静寂がこの場に訪れる。

 こんなに単純明快な答えはきっとどこにも存在しない。

 何より……そんなに幸せそうな顔をして断言されたら、何かを言う気なんて削がれてしまった。


「あ、あんなのなのに……ですか?」


「そっ、あんなのでも。誰をどう好きかなんて理屈じゃないんだから。この人を好きだって思える人だから、一緒にいたいと思ったのよ」


「そういうの、すっごく素敵です!」


「ふふっ、ありがとう。陽菜ちゃんも有彩にも今はまだ難しいかも知れないけどね? いつかはきっと分かる時が来るわよ。……それとも」


 ん? なんでこっち見たんだ?


「もう2人とも気付いているのかも知れないけどね」


 彩さんが言った言葉に、陽菜と有彩が2人揃って俺の方をジッと見つめてきた?


「えっ? 何? なんで俺の方見てくるんだ?」


「「はぁ……」」


「あらあら……2人とも苦労しそうね。まぁ、好きでいられる内はまだ代えが利く状態だけど、愛してるまで気持ちが届いたら代わりなんて中々見つからないのよ。その相手が私の場合有貴君だったってことね」


 ……なるほどな。って俺にはまだ好きって思える明確な相手がいないからよく分からない。

 でも有彩には好きな人がいて、その人と離れたくないから転勤には着いて行かないって選択をしたんだよな?


 ――それは紛れもなく、『愛』って呼んでも過言じゃないんじゃないか?


 陽菜も今は恋愛に興味無いみたいだけど、きっとこの先の恋愛で、今日の日の彩さんが言ったことを思い出すんだろうな。


 それは多分俺も、だけど。


「ん、じゃあそろそろ私は帰るわ。こっちにはGWの間だけいるからしっかり考えてお父さんと話し合うのよ?」


「……はい、分かってます」


「理玖くん、陽菜ちゃん。こんな娘だから、ちゃんと支えてあげてね?」


「「はい!」」


 3人揃って彩さんを玄関まで送ると、彩さんは俺に向かって手招きをし始めた。

 ……とりあえず俺も外に出るか。

 彩さんに続いて靴を履いて、外に出る。


「とりあえず下まで送りますよ」


「あら、流石男の子。紳士ね」


「彩さんが俺を手招きしたんじゃないですか……何かまだ話でもあるんですか?」


 エレベーターが到着するのを待ちながら、彩さんに話しかける。

 わざわざ俺だけを呼んだってことは他の2人には聞かせたくない話に間違いないだろうからな。


「理玖くんは今回のことについてどう思ってるの? あ、始まりの部分から」


「まあ、普通に考えれば……付き合ってもいない男女が高校の内に同棲を始めるなんて常識的じゃないですよね」


 しかも俺の場合はそれが2人、クラスメイトと幼馴染が同じ家に住んでいる。

 聞くだけなら夢のような状況だろうな……。


「でも、それならどうして理玖くんは同棲をすることにしたの? 娘のワガママに付き合ってもらってる以上は親として理由を聞いておきたいわ」


「……どうしてでしょうね? 俺にも正直なところよく分からないんです」


 本当なんでだろうな……俺たちの歳で同棲生活なんて、現実的じゃなさすぎる。

 風呂の使用時間とかトイレとかすげえ気を遣うし、食べ物だって俺1人じゃないからコンビニで済ますわけにもいかない。

 同棲なんて響きはいいかも知れないけど、実際はその甘美な言葉の奥に言い切れないぐらいの苦労を隠しているパターンがほとんどだ。


 ――じゃあ、俺はなんで同棲を受け入れたんだ?

 

 有彩の強い想いに感化されたからか? ……いや、多分有彩の問題じゃなくて、それは俺が……。


 ――そうか……あぁ、そうだったんだ。


「何か分かったみたいね」


「はい、俺は――」


 俺の言葉を聞き終えた彩さんは満足そうに笑い、頷く。

 この瞬間、ようやく同棲を認めてもらえたんだって思えた。


「それをちゃんとあの子たちに言ってあげること!」


「はい! ありがとうございます!」


「それとね? ――有彩が嘘を吐く時ってね、腕を背中側で組むのよ」


「え?」


 そう言えば、さっき有彩の父さんと話して嘘吐く時も腕を背中側で組んでたような気がする。ってことはあれで嘘だってことがバレたってことなのか?

 ……いや、あの父親なら瞬きの話もあながち嘘じゃないんだろうな……。


「昔から私と有貴君は家を空けることが多くてね。あの人仕事以外何も出来ない人だったからよく出張にも着いて行ってたのよ」


「そうなんですか。それは有彩も寂しかったんじゃないですか?」


 彩さんはこくりと頷きながら言葉を紡ぐ。


「それでも、ワガママ1つすら言わずに私なら大丈夫ですから、お母さんは安心してお父さん支えてあげてくださいって言われちゃって……本当いい子に育ってくれて安心してる反面……あまり構ってあげられなかった」


 俺も、父さんと母さんが急にいなくなって、叔父さんは働いているから家には1人でいることが多かった。

 高嶋家が俺を気にかけてくれてたから厳密にはそこまで1人じゃなかったかもしれない。

 それでも、家に帰ってきて……がらんとした空気が足元から伝わってきて、ああ自分は1人なんだなって思う瞬間は幼少期の俺からすればたまったもんじゃなかった。


「あの子が頑張ったのは褒めて欲しかったんだと思うの。それを1人でも大丈夫そうだからって放置してしまったのは今になっては後悔の種でしかない」


 皮肉なもんだと思う。

 子供は褒めてもらう為に周りのことをちゃんとやって頑張って、親がそれを見てちゃんとしっかりしてるから1人でも大丈夫だって思うことに繋がってしまうなんて。


 放置されたくて頑張ったわけじゃないのに、全く逆に働いてしまうなんて。


「私たちはそれに気付くのが遅れてしまったけど……今の有彩には君と陽菜ちゃんがいるから本当に安心出来るわ。だから、ちゃんと見ていてあげてね? あの子はああ見えて意地っ張りで子供っぽいんだから」


「はい、もちろん知ってますよ」


 俺の返答にからっとした笑い声を上げた彩さんは俺に向かって手を振りながら車を置いてあるであろう方向に歩いていった。


 さて、俺も戻って有彩と話さないとな。


♦♦♦


「ただいま」


「お帰りなさい、何の話だったんですか?」


「主に有彩についての話だったけど」


「……変なこと聞いてませんよね?」


 あれを変なことって言ってしまうのは違うような気がするけど、人によって捉え方は違うからな……まぁ、どんなことにせよ自分の知らないところで過去を話されるっていうのは気分のいいものじゃないよな?


「特には何もなかったぞ、これからのことをちゃんと話し合って決めなさいってさ」


「そうだよね……あたしは家からもちゃんと許可貰ってるし、このままりっくん家に住むってことでいいよ」


 まあ陽菜は特に何かあるわけじゃないけど……。


「でも、有彩がいなくなったら陽菜がうちに住む意味もないだろ? つまり、有彩が父親を説得出来ずに海外に行くことになったらこの同棲生活もそれで終わりだ」


「確かにあたしがここに住むことになった理由って2人が変な気を起こさないようにするってことだったっけ? すっかり忘れてたよ……」


 陽菜と揃って有彩を見る。

 何かするって言ってももう有彩の意志は父親に伝えてるわけだしなぁ……。


「私はここにいたいです! ……でも、やっぱりお父さんの説得は難しいと思います……頑固ですし、理玖くんと住んでいるのがバレてしまってる以上、ちゃんと説得出来ないと私は海外に行くことになってしまうと思います」


「あの人なら勝手に転校届とか出してでも海外に連れていくだろうな」


 出会って数時間だけど、あの人の性格ならやりかねないと断言出来る。さて、どうするかなぁ……。


「やっぱりちゃんと話し合うしかないんじゃないかな?」


「だよなぁ……説得した上で、この生活を認めさせるしかないと思う」


「そう、ですね……難しいでしょうけど、それが確実ですよね」


 とりあえずなんで海外に行きたくないのかってことを改めてちゃんと考えて伝えないといけない。今の有彩は親父さんにとってただワガママを言って反発してるようにしか見えてないような気がするし。


 その辺りもちゃんと踏まえて有彩の気持ちをぶつけるしかない。


「……まず、陽菜のことを知られるのはマズイな。向こうからしたら俺はただでさえ娘をたぶらかしたクソ野郎って見られてるだろうし。更にそこでもう1人一緒に住んでるってバレたら確実にいい顔なんてするわけないしな」


 それに関しては誰でもいい顔しないだろうけどな、和仁なら部屋に花火打ち込んでくるか爆竹を放り込んでくるかどっちかだろうし。


「そっかぁ……お父さんの説得あたしも手伝いたかったけど、邪魔になりそうだね。その分、あたしもちゃんとアイデア出すから!」


「陽菜ちゃん……ありがとうございます!」


「……まずは、有彩の気持ち全部ぶつけることが大事だな。それにはやっぱり有彩が昔からどう思ってたのかってことを話すべきだ」


「昔から……理玖くん、もしかして……」


 有彩の問い掛けに頷く。

 聞いた、とは敢えて言わないでおこう。今の一言で有彩には伝わってるだろうから。


「……そう言えば前から聞きたかったんだけどさ」


「なんですか?」


「有彩はなんで小説を書き始めたんだ? その辺りずっと気になってたんだ」


「あー、そうだね。それあたしも聞きたいなー」


 有彩はハッとした表情になって、真剣味を帯びた表情になる。

 ……美人だとこういう表情ってなんか絵になるよな、って今はそれどころじゃないか。


「――なんで小説を書き始めたのか……そうですね、2人とも聞いてくれますか? 」


「聞いたのは俺たちだしな、話してくれるか?」


「はい、私が小説を書き始めたきっかけは……」


 もしかしたら、そのきっかけも親父さんを説得する為のヒントになるかもしれない。

 そんな予感を抱えながら、俺たちは有彩が語る昔話に耳を傾け始めるのだった。

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