花瓶の話
Fluoroid
罅
———なんだ、怪談でもしてるのか?こんな明るく楽しい飲み会の席で。……え?なに?先輩も何か怖かった話とか無いのかって?……んー、無いことは無いけど。え?話せって?別に怖くなんて無いぞ。なんなら、何の捻りも無い話さ。……え?それでも良いって?……仕方ないな、じゃあ俺の、昔話を聞いてくれ。これは、俺が中学生の時の話だ。
ある日、転校生が来た。俺の通う中学は、なんの変哲もない地域の生徒が集まる公立の学校だ。だから転校してくる人も転校していく人も、ある程度は居るし、なんの不思議もなかった。
だが、彼———今は敬意を込めて先生と呼んでいるけれども———は不思議な人だった。
彼は一点を見つめていた。どこという制限は無いものの、何か、そう、何かを見つめていた。教室の天井の隅にあるシミであったり、体育倉庫のマットであったり、校庭にいる時は屋上を見つめていたり。何かと不思議、むしろ奇妙ささえ感じる雰囲気を纏っていた。
ある日、彼はいつも通り何かを見つめていた。だが、いつもと違うように見えた。俺は既に彼と友好な関係を築けていたから、どうしたのか尋ねてみた。すると、
「花瓶が、花瓶が見える」
彼は確かにそう言った。もちろんこの教室に花瓶は無い。俺は不審に思った。存在しない物が彼には見えているとでと言うのか。どちらにせよ、当時の俺の頭には理解ができなかった。俺は「どこに花瓶があるのか」と尋ねた。教室に花瓶なんて無いぞ、というニュアンスを含んだ一言だったが、彼はその通り受け取ってくれたのか、訝しげにこちらを見た。
「君には、教卓の上の花瓶が見えないのかい?」
言っている意味がわからなかった。何故なら俺の視界に花瓶なんて映っていないからだ。もちろん、教室に花瓶なんて置いて無いからなのだが。
やはりこいつはどこかおかしい。彼が転校してきた当初から抱えていた違和感が、奇妙な点が一致した瞬間だった。雰囲気以外、人柄は良い、むしろ纏う雰囲気以外に悪い点が無かった彼に抱いた最初の悪い感情だった。だからこそ、見定めるかのように「どんな花瓶なんだ」と聞いた。彼は、俺の不躾な目に何の悪感情を抱かず、少しの不機嫌さも無いまま答えた。
「罅だらけの燻んだ花瓶。枯れた花が生けてある」
俺は違和感の強さが増していることを無視して、彼に「他のやつに一度聞いてみても良いか」と言った。彼は首肯した。
「多分、見えてないだろうから、明後日聞くと良い。君は本当に見えてないのかい?」
俺は「見えてない」と答えた。そして、「明後日?明日じゃダメなのか」と返した。
「ん、多分。明日は薄いかもね」
正直なところ、『薄い』とは何かも問い詰めたかったが、俺には解らない話になる気がしたから、この時はそれ以上聞くのをやめた。
それで、彼のいう通り、その2日後に周りのやつに聞くことにしたのさ。
例えば、クラスの中でも明るく、いつも野郎の集団の中にいた———名前は伏せるが———A。近くの席に居た、人と話している所を見たことが無いほど人と関わりを持っていなかったB。そして学級委員長のCと、頭が良いD、そしてその他複数人。
俺も必死だった。彼に花瓶が見えていることを否定したかったわけではないが、俺が見えないから、他の人も見えないのだろう、そうに違いないという思いからクラスのみんなに聞いてまわった。
結論から言うと、俺の想定した答えとは全く異なっていた。彼の言う花瓶が見えている人はいなかった。だが、花瓶が見えていない人も、誰一人としていなかった。
俺は耳を疑ったよ、何故なら彼の言った『罅だらけの燻んだ花瓶と枯れた花』が見えている人は誰もいなかった。
例えばAはこう言っていた。
「花瓶?ああ、教卓の上のやつ?豪華な造りだよな。ああ、でも花はダメだな。気持ち悪いというか、見たことない花だ」
そして、Bはこう言っていた。
「……え?花瓶?……ああ、あれ、誰が置いたんだろうね。あんなボロボロの欠けた花瓶、花なんて生けられないでしょ。……え?花?何も生けてないけど、それがどうかしたの?」
こんなに自分の目と耳が信じられない日は無かったね。この後から今に至るまでを合わせてもだ。
委員長や他の複数人は軒並み『普通の花瓶に普通の花』だって言ってたけど、Aと仲良いグループのやつは『ちょっと高そうな花瓶に趣味悪い花』って言っていた。
俺は本気で気持ち悪くなっていた。何か、得体の知れない物が食事に混ざっていたような、見た絵画にそれまで無かったシミが増えていた時のような。
もっと近いのは、一度見た写真の構図が二度目見た時に変わっていたような感じさ。だからと言ってどうということもないのだろうけど。
まあそのあと俺は彼に詰め寄ったね。「どういうことなんだ」って。そしたら彼は何て言ったと思う?
「まあ、そうだろうね。僕と君とで見ている形が違うように」
俺は首を傾げた。「見ている形も何も、俺は花瓶を『見ていない』。俺には花瓶なんて何処にもないようにしか見えないぞ」と返したが、彼は、俺にも見えているはずだ、とだけ言い、それ以上の情報を聞くことはできなかった。
ちなみに、担任の先生にも同じ話をした。すると、先生には何も見えていないことが判明した。
そして、見えていたやつに、どういう風に見えているか聞いた。そいつら曰く、見ようとした時だけ見えて、あとは消えているのだそうだ。「それはもはや花瓶なんかではないだろ。」と、俺は素直にそう言ったが、そいつらは首を傾げた。首を傾げたかったのは俺だ。
その話を彼にした。彼は苦笑いをした。
「先生は見えているよ。でも、見えないフリしているだけ。君は違うだろうけどね」
俺は彼と話すと疑問しか出てこないことに気づいた。嫌な感じはしないのにモヤモヤとした疑問だった。何一つ解決しないまま、俺は日々を過ごさなければいけなかった。彼は彼の知っていることを教えてくれていたが、何一つ教えてくれなかった。
そんなこんなで花瓶の話題が彼から出てから1ヵ月が経とうとしていた。そんなある日だった。
Bが自殺した。
体育でみんなが教室から出ていた時に教室で首を吊った。体育の途中で腹痛を装い、教室に戻っていたのだ。
遺書は彼の鞄の中から出てきた。警察も来て大騒ぎになったよ。あ、君らも聞いたことあるかもね、S県の話だし。と、言うのもこれ、新聞に載ったから、全国的なやつに。
話を戻すと、Bの自殺の原因はよくある話、いじめだった。犯人は———まあ、クラスの中にいた。Bは誰とも関わりを持たなかったんじゃない、持てなかったんだ。その、犯人のせいでね。なんなら、クラスにはBと関わってはいけない、みたいな空気があったのさ。だから誰も話しかけないし、関わりを断とうとしていた。
こんなんだから、その後のクラスの雰囲気は最悪さ。俺らがBを殺したようなものだって、そんな雰囲気。なんなら何人か転校していった。不登校になったやつもいる。鬱になって、高校へ行かないやつだっていた。……ああ、A達?死んだよ、数ヶ月後に。そいつらも自殺……なんだろうな、多分。
まあ、ついでだから言うけど、俺はBのいじめを知っていた。Bの置かれた状況も、その雰囲気もよーく知っていた。でも、Bを助けなかったのは理由がある。簡単な話、度胸がなかった。最初は、Bに言ったんだぜ?「大丈夫か」って。そんで俺は無謀な正義感だけはあったから「先生に言おう。そしてやめてもらおう」って言ったんだ。そしたら、Bに止められた。
「……大丈夫だから。気にしないで」
……今思えば、無理した表情だったな。今でも思う。もっと何かが出来たはずだ、って。それと同時に、何もできなかっただろう、とも思う。
そのあと、1日後か2日後くらいだったよ、彼が突然、俺に花瓶の話をしだしたんだ。こんな大変な時なのに、花瓶の話をするのか。もう笑ったよ。なんせ、俺は花瓶なんて見ていない。見えていないのに、俺にその話をするんだ。
「今、彼らは前見た花瓶とは違う物が見えているはずだ。なんなら、聞いてみると良い」
彼の言葉だ。彼の言った、最後の花瓶についての話だった。
なんでかはわからないけれども、俺は彼の言う通り、AとB以外のやつに聞いてまわったのさ。そしたらみんな、悉く同じ答えをしたよ。寸分の狂いの無い、完全に一致した答え。
『罅だらけの燻んだ花瓶』
彼と同じ花瓶。花は無い。これは彼も言ったことだった。『花が消えた』
その時だった。
ふとした瞬間、俺は花瓶を見たんだ。
あれは確かに花瓶だった。いや、花瓶じゃない、でも、花瓶だったんだ。きっと、あれは花瓶なんて呼べないのだろう。俺もその瞬間は気付けなかった。でも、今思うと、あれは確かに花瓶だった。
俺は見た。教卓の上から、風に乗って飛んでいく砂のようなものを。
———ってな感じの話さ。……え?そのあと彼はどうなったって?……知りたい?そうか、なら、はい、名刺。彼は今、探偵やってんだよ。ついでに、大学で教授もね。……まあ、わかるだろ?今の話聞いてたら。彼———先生は、普通の人なら見えない物が見える。そして、それを個人によって姿形は違えど、同じ物を他の人にも見せられる。例えば、そう、俺たちが見ていた花瓶とかね。
Fin
花瓶の話 Fluoroid @No_9-Sentences
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