1話 神と蜘蛛。懐かしきかな

 二日後


 零士は一通りの準備をしてアマテラスと対峙していた。


「空間座標はこの通りよ。もしかしたらちょっとズレちゃうかもしれないけど、大体この辺りに転移したら行けると思うわ」


 零士は「了解」と言うと神技【世界間転移】を行使する準備に入った。

 暫くして準備が整うと、アマテラスに向かって「いってきます」と言おうとして固まった。

 そこにはアマテラスの肩でぴょんぴょんと跳ねて「ご主人よ! 私も連れてけぇ!」とアピールする眷属獣の蜘蛛、シャルルの姿があった。


「……アマテラス、シャルが肩にいるの、気付いてる?」

「え?」


 じ~~~~~~~~~

 アマテラスとシャルルの目が合った!

 アマテラスの顔が歪んだ!


「キャャャャッ!」


 アマテラスの悲痛の叫びが、早朝の八神邸に響く。


「ほら、おいで、シャル。どうした?」


 そんなアマテラスを無視して、シャルルに向かって手を伸ばす零士。

 シャルルはぴょんっとアマテラスの肩から零士の掌に飛び移り、その細い右前脚でげしっげしっと掌を蹴っている。


「どうしたんだ、シャル。いつもより機嫌が悪いじゃないか。ほら、俺の目を見なさい。そうじゃないと心が読めないだろ?」


 零士の言葉を聞いたシャルルが「はっ! そうだった!」みたいな反応をする。

 零士に目を向けたシャルルは前脚でつんつんと掌をつつきながら零士の言葉を待つ。


「……俺と一緒に異世界に行きたいって?」


 右前脚で敬礼をして「その通りです!」と伝えるシャルル。

 器用な蜘蛛である。


「……一緒に来る? でも、瑠美を守ってほしいんだけどなぁ……」


 どうしても一緒に行くんですぅ! と言わんばかりに、コテンとひっくり返って脚をわしゃわしゃ動かす蜘蛛ちゃん。正しく駄々っ子の権化! しかし、いくら多芸と言えど所詮は蜘蛛! 暫くすると「……あれ? 私、これ起き上がれなくね?」と気付き、別の意味で脚をわしゃわしゃ動かし始めた! んー、かわいい!

 それを見かねた零士は左人差し指を差し出し、シャルルの補助をする。

 起き上がったシャルルは何処か疲れた様子で……というか、かなり疲れた様子でぐでーとし始めた。


「はぁ……分かった。ほら、肩に乗って」


 零士の言葉を聞いたシャルルが「えっ? いいの!? やった!」という感じでぴょーんぴょーんと跳ねてから零士の腕を伝って左肩に乗った。


「うぅ……シャルちゃん、びっくりするからあんまり私の肩に乗らないでぇ……」


 アマテラスが涙目になりながらシャルルに訴える。

 シャルルは前脚を合わせて「ごめん!」みたいなポーズを取っている。


「零士も、ちゃんと言っといてね」

「善処する。……それじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、零士。ちゃんと帰ってきてね」


 アマテラスの言葉を聞き終えると、零士が光に包まれていく。

 零士は何かを思い出したか、口を開いた。


「……ステラ。瑠美のこと、よろしくね?」

「──っ!? うんっ!」


 アマテラスの驚きと喜びの混じった顔が見えたところで零士達の周りは完全な白に包まれた。


 ☆★☆★☆


 零士達が転移した場所は目的地の遥か上空、高度約一万メートル。

 そこに、一人と一匹。いや、、呆然とし浮かんでいた。

 転移前と変わったところを言うと、何故か零士が金髪の十四歳ぐらいの裸の美少女を肩車していることであろう。


「──ッ!? ……なぁ、シャル」

「なぁーに?」

「シャル、お前は何時の間にアラクネになったんだ? いや、アラクネにしては蜘蛛要素殆どねぇけど」

「んー、今さっき?」

「そっかー、今さっきかぁ。って、んなわけあるかぁ! 俺の可愛い蜘蛛のシャルルはどこいった!? つか、なんでお前は俺の肩の上に乗ってんだよ!」

「ご主人~、だから、私がご主人の可愛い蜘蛛のシャルルなんだってばぁ」

「あぁ、そっか、お前がシャルか……って納得出来るわけないだろ! ……って言っても、俺の頭の上に眷属がいるってなってるからシャルなんだろうなぁ……。どうなってんだ、この世界。蜘蛛の概念が地球とは違うってことか……?」


 零士がブツブツと思考に耽ると肩車されていたシャルルが「取り敢えず、ご主人、大好き!」と言い放った。


「どうしたんだ? 藪から棒に」

「えっと、前まではご主人が私の心を読むか、私が身体で表現するしか大好きって伝える方法がなかったから、言葉で伝えたくなったの!」

「ああ、そういう事か」


 何処か納得したように頷くと「《フライ》」と呟き、シャルルに魔術を掛けた。

 シャルルを肩から降ろすと、シャルルはそのままふわふわと浮き続けている。


「取り敢えず、目標の確認をしよう。まず、最優先目標は邪神の殺害。次が召喚された人間の地球への帰還。であるからにして、まず初めにやるべき事は──」


 そう言うと、零士は左手を斜め上に向けた。

 零士の左掌を起点にするように、魔術式のような物が重なって出現する。


「《始原の祖とついを継ぐ神が・真名、せせらぎれいに於いて命ずる・神界よ、解放せよ》」


 零士が鍵言キーワードを紡ぎ終わると、重なり合っていた魔術式のような物が収縮し、一閃の光の槍が射出された。

 その槍はある程度進んだところでパリンと、まるで何かに邪魔されたかのように消えてしまった。


「……やっぱ、邪神の力が強くて、俺の今の神力じゃ境界の強制解放も出来ないか。んじゃ、現場判断で最優先目標を転移者の補助に変更しまーす。シャル、行くよ!」


 そんな軽い感じで零士達は人気の無い草原へ降り立った。


 ☆★☆★☆


 ここは召喚を実行した国。その国の裏路地で零士達は会話していた。

 因みに、地上に降りる途中で、シャルルが服を着ていないことを思い出し、無限格納庫インベントリから瑠美のお下がりを取り出してシャルルに着せていた。


「上から見た感じ、転移者には薄く広い洗脳が掛かってるな。一人だけ、掛かってない男子がいたけど。なぁ、シャル、あの子、排斥されると思う?」

「私ならすると思うなぁ」


 少しも考える素振りを見せず、当然のことだというように即答する。


「……蜘蛛の姿に戻って偵察スカウトってできる?」

「んー、やってみる!」


 シャルルが「むむむっ」と唸るとぼふんっという音と煙が発生し、それが晴れると元の姿に戻ったシャルルが右前脚をピシッっと掲げていた。


「喋れるか?」


 この問いには「いやいや、そんなの無理でしょ」みたいな仕草で答えた。


「そうか。ここの文化的・技術的アベレージが分からないから、向こうにいた時よりも高性能にしてあげよう!」


 零士の言葉に「んー、やたー!」と嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる蜘蛛ちゃん。相変わらず動作の一つ一つが可愛らしい!


「んー、何がいいかな。地球では隠密系統と闇討ち系統に極振りしてたけど……。取り敢えず、向こうでも世界一レベルの神経毒を使えるようにしてたけど、完全な壊死毒も使えるようにするか」


 本来、地球上に住む蜘蛛の殆どは、一般人的には無毒な物が多いという認識であるが、実際には、殆どの蜘蛛は多かれ少なかれ毒を持っており、人間を害すことが出来る程の強力な毒を持っていないものを〝無毒な蜘蛛〟。人間を害すことが出来る程の強力な毒を持っているものを〝毒蜘蛛〟として認識されるようになったのである。

 因みに、日本でもよく知られるセアカゴケグモの毒は神経毒──α-ラトロトキシンであり、これが体内に侵入すると筋痙攣、血圧の急上昇、又、虚脱状態に移行する。血清を打ち込むことによって重篤化することは殆ど無いとされている。補足として、セアカゴケグモが人間を害せるのはメスだけであり、オスはα-ラトロトキシンが無いやら牙が小さくて人間の皮膚を貫通出来ないやらと言われているが、オスについての知見が少ないので本当のところは分からない。

 セアカゴケグモは比較的大人しく穏やかな性格なので、無闇矢鱈に近付いたり、触るなどして害さない限りは襲ってこないので、良い子の皆は絶対に触らないようにしましょう! 幼少期に頭の上に蜘蛛が落ちてきて襲われたことのある私との約束だよ!


 さて、少し本編から離れているが、もう少し蜘蛛についての予備知識をば。

 と言っても完全に毒を持たない蜘蛛についてだ。

 蜘蛛の大小に問わず殆どの蜘蛛は毒を有している。しかし、ウズグモ科だけは別である。ウズグモ科は毒腺そのものを消失しており、蜘蛛では珍しい、というよりは、唯一〝完全に毒を持っていない蜘蛛〟である。

 先程、人間を害する程の強力な毒を有しているのは少ないと言ったが、毒の種類に関わらず、アナフィラキシーショックは起こすので気をつけるようにしよう! これも蜘蛛に襲われたことのある私との約束だよ!


 閑話休題


 さて、シャルルの元々の蜘蛛の種類はアダンソンハエトリ。ハエや黒光りGの幼虫をパクッとしてしまう益虫である。零士はこれを魔術でぱぱっと精神体アストラルボディごと改造して、色々な場面で使える万能蜘蛛にしてしまったのである。

 暗殺なんてお手の物。偵察のついでにサクッと殺ってきちゃうこともある。因みに、魔術の行使も朝飯前。特に、精霊に呼び掛ける系統の精霊魔術が得意である。


「……あー、そう言えば」


 いざ、改造をしようとした所で零士は何かに気が付いた。

 地面に脱ぎ捨て(?)られている服を見ながら。


「んー、まずは知識ダアトのセフィラに干渉できるようにさせるかな……。んで、無限格納庫インベントリを使えるようにして、身体の変化に合わせて服を出し入れ出来るようにするか」


 零士はサクサクと【神具】を生成していく。

 そのうちの一つが、次元の異なる隠れた〝セフィラ〟に干渉することで、生命セフィロトの樹が存在する次元とは別の次元に干渉出来るようにさせた【無限格納庫インベントリ】を内蔵し、所有者の指に合わせてサイズが自動的に調整される指輪である。

 これをシャルルの変化と同時に、無限格納庫内に服を収納出来るようにしたのである。


「次は人間形態時の武器だけど……いる?」

「あっても使えないからいらな~い!」

「あった方がいいと思うんだけどなぁ……」


 零士は渋々と承諾する。


「仕方ない。今度、何かしらの武器の使い方を教えてあげるから、武器を作るのはそれからにしようか」

「うん!」

「それじゃあ、不必要な戦闘は控えて情報収集に務めよ」

「行ってきま~す!」


 その言葉と同時に、蜘蛛形態に変化したシャルルは屋根に向かって糸を吐き、するすると登っていった。

 それを見届けた零士は宿見つける為に通りの表へと足を踏み出した。否、踏み出す前に違和感に気が付いた。

 背中にハートマークの付いた三毛猫がこちらを見ていたのだ。


「……〝姫芽ひめ〟」


 零士がその言葉を紡いだ瞬間、その三毛猫は駆け出し、零士に飛び付いた。


「おとーさん! 久しぶりにゃ!」

「姫芽、やっぱりお前だったか」

「んみゅ! おとーさんの尻拭いをする為に、一緒に巻き込まれちゃったにゃ。うちの存在は……もしかしたら、一人だけにバレてるかもしれにゃいけど……まぁ、もーまんたい、だにゃ!」


 零士の肩に飛び乗った〝姫芽〟と呼ばれた猫は、頭を彼の頬に擦り付けて目を細める。


「なぁ、姫芽。その、〝にゃ〟って言うの、何とかならない? 普通に喋れるでしょ?」

「むぅ~……おとーさんの意地悪。うちのアイデンティティやよ? チャームポイントやよ? なんの取り柄もないうちからチャームポイントを奪うなんて!」


 肩から飛び降り、猫又固有の魔術を使うと、甘栗色のボブカットの髪に猫耳が。黒色のミニスカートからは細長いしっぽが顔を覗かせていた。

 獣人姿に変身した姫芽は、身体をくねくねさせて「いやん」という感じで自らの身体を抱きしめる。


「……お前、まだその服を持ってたのか? そんなに草臥れて……」

「だっておとーさんが最後にくれたプレゼントにゃんだもん!」

「さては、お前、その口調が癖になってるな? ……ま、いっか。こっちにはシャルと一緒に来てる。今、シャルは情報収集に走ってるから、本格的に行動を開始するのは明日からだ。姫芽はこっちに来てから何日経った?」

「一日にゃ」

「てことは、向こうの一日はこっちの半日か……変わってないな……」

「え?」


 時差を計算した後に小さく呟かれた言葉を聞き取れず、思わず素で返してしまった姫芽。

 零士は彼女の頭を撫でながら「なんでもない」と言った。


「一応聞いておくけど、おすすめの宿とかある?」

「一応あるにゃ? 平民街にある【イリーナの宿】って所にゃ」

「イリーナか……。分かった、そこにしよう。今日の夜、そこに来てくれる?」

「りょーかいにゃ」

「それじゃ、シャルによろしく」

「にゃっ!」


 姫芽はその場から霞のように消えてしまった。


「……ほんと、懐かしいな、


 零士のその言葉を聞くものは、誰もいなかった。


 ☆★☆★☆


  【イリーナの宿】


 そう書かれた看板の前に、零士は佇んでいた。


「【イリーナの宿】か……。よし、入るか。お邪魔しま~す」

「はぁ~い!」


 宿の奥からぱたぱたと十六歳程の少女が顔を出す。

 似ている。

 ただそう、なんとなしに零士は思った。


「えーと、お客さま、ご宿泊ですか?」

「……あ、ああ。俺と娘の二人で泊まる。幾らするんだ?」

「はい! そうなりますとー、お食事付きで前払い一日銀貨二枚ですね! 長期滞在になるのでしたら滞在期間に応じてお安く出来ますが……?」

「そうだな、出立日が分かってないから普通料金でいいよ。余程のことがない限り、出立する日の朝までには伝えるから。……あれ? それだと、前払いにならないんじゃ……」


 零士が「んん?」と唸ると看板娘ちゃんは「ああ、大丈夫ですよ」と言った。


「そういうお客さまもよく来られるので、その場合には、その日の朝にその日の宿泊料を頂くことにしてるんです。ただし、急に出立しないといけなくなったとかで出て行かれても、一度支払ったお金は返金できないので、お気をつけください!」

「分かったよ。娘は多分、夜になってから来ると思う。もしかしたら、新しく友達を作って連れてくるかもしれないけど……」

「分かりました。じゃあ、取り敢えず、今日の分の料金をお願いしますっ」


 (銀貨……通貨は変わってるのか……? 試してみるか)


「すまないけど、この銀貨はまだ使える?」

「ええと……」


 看板娘ちゃんがまじまじと銀貨を見つめる。


「はい、まだ使えますよ? それにしても、こんな古い銀貨、まだ残ってたんですねぇ……これ、先代さま……この宿の創設者さまが生きていた頃に使われていた銀貨ですよ?」

「いや、ちょっとね。……そうだ、先代の遺影とかってある?」


 露骨に話題を変える零士。露骨過ぎて気付かれるかと思いきや、看板娘ちゃんは気が付かない!


「遺影ですか……? はい、確かにありますが……」

「じゃあ、それを持ってきてくれるかい?」

「え……いいですけど……なにをするんですか?」


 ちょっと訝しむ目で零士を見遣る看板娘ちゃん。


「それはあとのお楽しみ」


 それを聞くと渋々奥に戻り、遺影の絵を持ってくる。


「それで、なにをするんですか?」

「……その前に一つだけ。今から見ることを誰にも他言しないと誓えますか?」

「……宿屋の娘として、誰にも話さないことを誓います」

「では」


 零士は遺影の前に膝まづき、一息吐いてからこう言った。


「《第二神域解放》」


 次の瞬間、零士の背中から大きな天使の羽が伸び、彼を優しく包み込み、神々しく光り始める。


「イリーナ、約束通り……ちょっと遅れちゃったけど、戻ってきたよ。遅くなってごめんね。俺と別れた後、ちゃんと結婚して子供を産んだんだね。えらいえらい。……汝の魂に安らぎがあらんことを」


 彼は祝詞をあげると看板娘ちゃんが声を掛けてきた。


「えっと、あの、あなたは……」

「……しがない、神を殺す男さ」


 零士はそう言って銀貨二枚をテーブルに置き、宿を出ていった。


 ☆★☆★☆


 とある山の中。

 天使のような白い翼を生やした少女が居た。


「──ッ!? この感じ……皆さん、漸くです。漸く会えるんです。……待っていてくださいませ、主上様」


 少女はそう言うと翼を広げ、飛び立った。

 その後には、誰かさんに似た神力を帯びた、純白の羽が残っていたという。

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