夢の恋人
捨石 帰一
第1話
夢の恋人
宇宙は閉じているのか、開いているのか。
ガモフはビックバン宇宙論を唱え、ハッブルは宇宙が膨張していることを発見した…けれど、本当のところは分からない。
運命もそう…
運命の女神は、閉じた揺りかごの中で俺たちに昼寝させているのか、それとも茶碗の舟に箸の櫂一つ持たせて激流にほっぽり込んでくれたんだか、そいつもやっぱり分からない。
神秘主義者に言わせると、過去、現在、未来の出来事、世界中の人間の一生を事細かに記録した何か得体の知れないシロモンが、宇宙のどっかのに大事に保管されてるという…けれど、そいつにアクセスしなけりゃ、それはないも同然だ。
たぶん、俺はアクセスしない。万一そういうものがあったとしてもね。となれば、俺の未来は取りあえず誰かに決められちゃあいないということになる。ちがうかい?
うちの納戸には、得体の知れない女の絵がしまってある。子供だった頃、今は死んじまったじいさんが、年に一度、家中の人間に号令をかけて、そのどでかい絵を裏庭に運び出させて、陰干しだか何だかさせていたのを覚えている。うちは、戦国の世まで遡れる由緒ある生粋の日本人の家系のはずなんだが(といっても、「生粋の日本人」なんてのがいやしないのも分かっちゃいるんだけど)、その絵の女は、どこの国の民族衣装ともつかない、けったいな服を着て、涼しげに笑っていやがった。それが、俺のひいひいひい…まあ,とにかく随分と大昔の「大ばあさん」なんだという。
一度、試しに、近所の寺…これもまた随分と古い寺なんだが、そこに納められている我が家の家系図を辿ってみたことがある。すると、その大ばあさんのところには「女」とだけ書いてあるじゃないか。で、そこから前、つまり「女」の父親、母親のところには、なんにも書いちゃあいない。一方、大ばあさんの旦那のとこには「桐原太春」とある。まあ、古い時代にゃ、家系図に女の名前が書いてないってのは、割とあることのようだったけど。もっとも、その「太春」さんとこから前にしても、ちぎれちゃったらしくて、切り張りしたように変色した紙が貼付けてあるもんだから、数世代分読めなくなってたりもしたんだけどね。
その、ただの「女」の肖像画が、どうして後生大事に取ってあるんだか、それについちゃあ、誰も教えてはくれなかった。まあ、知らなかったんだろう、死んじまったじいさん以外は。もしかしたら、じいさんも知らなかったのかもしれないけど。
あの日、どういう訳か、俺は、あの女の絵が妙に気にかかっていた。
じいさんが死んでから、ずっと納戸にしまいっぱなしの絵。たぶん、忘れちまってたんだろう。みんな自分のことで忙しかったからな。
暑い日だった。俺は一人で納戸から絵を引っ張り出した。汗だくだった。おかげでお気に入りのシャツをだめにしちまった。
暑い、本当に暑い日だったもんだから、素手で持ったその絵の端の紙が、手のひらの汗ではげちまった。
じいさん、怒るだろうな。じいさん、いつも真冬のとことん乾燥した日本晴れの日に、この絵、引っ張り出してたもんな。
今となっちゃ、どうでもいいけど。
俺は、しげしげと眺めたね。美人なんだか、すましてやんだか。やっぱり涼しげな顔をして笑ってやがる。
俺はなんだか、懐かしいような、悲しいような、心の宝箱ん中を覗き込んだような妙な気分になって困ったね。もっとも、そんな気分になることは、絵を引っ張り出す前から分かってたような、そんな気もしてたんだけどね。
一方で、なんか、今までえらく大切に隠しておかなければならなかったものが、本当は、みんなに見せびらかして、胸張って自慢していいもんだったってことに気がついた…俺たちは、実はじいさんに騙されてたんじゃないか、そんな感じもしてたんだな。おかしなことにね。
その日、俺は、暑い中、馬鹿みたいに、ずーっとその絵を眺めてたんだ。炎天下でさ。 気がついたら、目眩して倒れてたよ。
そして、声が聞こえたんだな。なんかよく分からないけど。
それは、俺を動かそうとするなんかだったな。
なんだったんだろう。
なんだったんだろうな。
そこで、俺は気がついたんだ…さっきめくれあがった絵の紙の下に書かれた文字にさ。
それから十年たった。
俺は、宇宙開発なんたらいう長ったらしい名前の国の外郭で偉そうなことをやっていた。
それは、絵の下から出てきた文字が、今まで知られていなかった推進方法の演算式の解釈を綴ったものだったんだからなんだな。それも漢文でさ。
俺は、たまたま論語なんぞを子どもの頃からじいさんに小うるさく読まされ続けていたおかげで、いやでも漢文の素養がついていた。で、その演算式の内容がすっかり理解できたもんだから、そいつをちょいと学会誌なんぞに書いたところが、一躍時代の寵児、航空推進技術の俊英なんてことになっちまった。
まあ、それで、こうして立派な職にもありつけた。…俺はじいさんに踊らされてたんだな、やっぱり。
昔は鉛筆ロケット一つやっと飛ばしていたうちの財団も、この時は、「恒星間往還プロジェクト」なんてのをぶち上げるまでに舞い上がってた。笑うよね。得体の知れない余所の太陽系目指して宇宙船飛ばしちまおうっていうんだから。
えらいたくさん金もかかってた。出どこは知らない。いろんな思惑がからんで、いろんな奴らが…中にはあまり友達になりたくないようなのもいたろうけど、いろんな所が金を出してたらしい。世の中そんなもんだ。どうでもいいことには、えらい金が流れ込むのに、本当にいる所には誰も金を出さない。
それでいいと思う。
だから俺たち楽しいんだ。怒ったり、笑ったり、ちょっとのことで無性に嬉しくなったり、感動したりしてさ。
まあ、とにかく、遙か彼方の銀河のお星さん目掛けて、船飛ばすことになったわけだ。
飛行は順調だったよ。
もちろん俺は乗ったさ。こんな面白いチャンス逃す手があるかい。
でもまあ、普通は乗んないよな。いきなり本番なんだからさ。
ライカ犬もチンパンジーも、もちろんガガーリンもジョン・グレンもすっとばして、いきなり星の彼方だ。
本番一回きりでとてつもない金がかかったもんだからさ。練習はなし。
数式ではオールグリーン。
俺たちは、無事に生きてこの地球に戻ってくる。
同じ時間軸の上に。
そういうこと。
が、そうはいかなかったな。
気がつくと、
そう、気がつくと…俺たちは、宇宙の彼方へ投げ出されてたんだ、今までのことを、きれいさっぱり忘れ去って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます