魔導の器と武器を持たぬ騎士

夕凪和泉

第一章

第1話『魔法と魔導』

 満ちていたのは静寂だった。灰色の壁と天井に囲まれた、大学の実験室。隣接する部屋から、ガラス窓越しに二人の男女が視線を送る中、年若い女性が刀型の“なにか”を腰に構えている。膝を軽く曲げ、片足を一歩踏み出した姿は、さながら居合い抜きでもしようかという出で立ちだ。


 その瞳はじっと閉じられていて、実験室を満たす空気と同じく、静けさをたたえていた。まるで、風が吹かぬ海。凪いだ水面。微動だにせずに、彼女――天戸あまと愛里咲ありさはその時を待つ。


 真っ白なシャツの下で、豊かな胸がゆっくり膨らんだ。

 次の瞬間。マイク越しの声が響く。


「それじゃあそろそろ始めようか。花邑はなむら、合図を頼むよ」

「わかりました、いづみさん」


 花邑と呼ばれた若い男が表情を引き締めた。その隣では、女性准教授である飛良ひらいづみが、不敵な笑みを浮かべながら腕組みをしている。

 飛良研究室に所属する学生、花邑和也は一つ深呼吸をすると、マイクに向かって口を開いた。


「天戸さん、準備はいい?」

「ええ。いつでも始めてもらって構いません」


 瞳を閉じたまま言葉を返す愛里咲。彼女の周囲には、円を描くようにして人型の模型が並んでいる。愛里咲との距離は、それぞれおよそ五メートル。マネキンのように見えるそれらもまた、直立不動で実験の開始を待っていた。


 灰色の実験室に、緊張が混じりの和也の声が届く。


「五秒前。四、三、二、一……ガナーズドライブ試作機動作実験、スタート!」


 刹那。愛里咲の目が見開かれた。床を蹴ると同時に、刀型のデバイスを“抜き放つ”。


「ガナーズドライブ、起動!」


 叫びながら、一目散に正面の模型へと駆けていき、その途中でデバイスを上段に振りかぶった。淀みのないスムーズな動きだった。しかも速い。ものの数秒で、愛里咲は最初の相手にダメージを与えんとする。


「やあああああああぁぁっ!!」


 気迫とともに振り下ろされたデバイス。目標の模型には掠りもしなさそうな距離だが、これでいいのだ。光を纏った刀から、衝撃が波となって飛び出していく。


 間髪入れず、ズドォンという音とともに人型模型が倒れ伏した。その様子を確認した愛里咲は、すぐさま次の目標をロックオンする。


 返す刀で放たれた衝撃波は、愛里咲から見て左隣の模型をなぎ倒すべく宙を駆けた。遠目からは、袈裟懸けと逆袈裟で次々と斬り伏せたように見えたかもしれない。しかし、愛里咲が操っているのは真剣ではなく、それを模したデバイス。安全に配慮した素材でできており、自身に殺傷能力はない。


「出力――セカンド!」


 代わりに、使用者である愛里咲の命によって衝撃波を生じさせることができる。現代日本において『魔導科学』と呼ばれる技術。その粋を集めて開発が進められている、ガナーズドライブの試作一号機だった。


「次、五時の方向! いきます!」


 言うやいなや素早く身体を反転させ、愛里咲が駆け出す。動かない的相手とはいえ、流れるように鮮やかな動きだった。加速したそのスピードをぶつけるかのごとく、デバイスを横薙ぎに振るう。


 発生した空気の塊は、数メートル先の目標を的確に撃ち抜いた。当然ながらなんの抵抗もできず、勢い良く後ろに倒れる人型。愛里咲はと言うと、既にその隣の人形に目線を移していた。


 実験室の壁や床、天井は特殊な材質で出来ている。一見すると普通のコンクリートだが、対魔導エネルギー性を持つ素材が使用されており、耐震性も高い。万一ドライブが暴走しても、被害を最小限に食い止めるためだ。


 さらに言えば、ガナーズドライブは最新式デバイスだが、試験機故に扱いが難しく魔導エネルギーを制御しきれないことが多かった。


 ――これまでは。


「さすが天戸だねぇ。すっかり自分のデバイスとして扱っている。私が実験した時とは大違いだよ」

「いづみさんは面白半分で振り回すからですよ。一応壁とかにはダメージがいかないと言われてますけど、このドライブは未知数な部分が多いわけで」

「わかってるわかってる。さすがにもう、あんな事はしないよ。そもそも、あの逸材を前にしたら私の出番なんて未来永劫来ないさ」


 研究室の担当教官であるいづみ、そして先輩の和也が視線を向ける先。期待の逸材は、息も切らさず叫ぶ。


「出力レベル、サードに引き上げます!」


 力強い宣言に続いて、デバイスの刀身がさらに輝きを増した。愛里咲は腰を落とし、刃先が床に着く程低く構えた。視線の先には次なるターゲット。間合いを図っているのか、それとも脳内で実戦を想定しているのか、静止したままの時間が一秒二秒とすぎていく。


 隣室で見守る和也がゴクリと喉を鳴らした瞬間だった。まるで短距離走のスタートのように、愛里咲の身体が飛び出していく。瞬く間に縮まる、人型との距離。


「はああああああぁぁぁぁぁっっ!!」


 次の瞬間には愛里咲の一撃が決まっているだろうと、和也もいづみも思った。しかし。


「あっ……」


 愛里咲の手が振り抜かれようとしたまさにその刹那。デバイスは急速に光を失っていった。


「…………出力レベル、ゼロになりました」

「うん、こっちでも把握した。データの解析には少し時間かかるから、戻ってきてもらっていいかな、天戸さん。人型はそのままにしておいて大丈夫だから」

「わかりました。天戸愛里咲、実験を終了しモニター室に向かいます」


 冷静な様子で受け答えをする愛里咲。汗の浮かんだ顔は、艶かしさよりも凛々しい雰囲気を漂わせている。


「ふぅむ。今回こそは上手くいくと思ったんだがねぇ。途中までは挙動も安定していたし」


 言葉とは反対に、さして残念がるでもない口調でいづみは言った。マイクのスイッチを切ってあるので、愛里咲には聞こえていないが。


「解析結果が出ないと詳しいことは言えませんけど、多分俺の設計ミスです。エネルギー回路あたりが怪しいんじゃないかと」

「ドライブ自体の強度に問題がないことは、これまでの事前実験で実証されてるからね。確かにそうかもしれない。ただ、だとすると対処が難しそうだ。ふふふっ」

「実際に回路組むのが俺だからって、楽しそうに笑わないでくださいよ……」


 溜息をつきながら和也は、模型回収用のボタンを押した。愛里咲によって倒された人型が、両手を支えにして立ち上がる。動きだけ見れば本物の人間のようだ。

 この模型にも魔導科学の技術が応用されており、今回は使っていないが、指定したターゲットへの攻撃行動を取る『戦闘モード』も備わっている。

 魔法のようで魔法ではない。科学による擬似的な魔法現象の発現。それが魔導科学なのであった。


 事の発端は、今から五十年ほど前に遡る。高度経済成長真っ只中の日本に突如、異世界の軍隊が出現した。外国ではなく異世界。黒船も真っ青なその襲来っぷりに、当時の日本国民は大層驚いたことだろう。


 ブラウグラーナ王国。


 魔法国家であるこの国の者たちは、見知らぬ服装で、聞き及ばぬ呪文を唱え。そして、周囲一帯を瞬く間に焼け野原にしたという。


 このまま日本全土へ侵攻かと思われたが、ブラウグラーナ軍は一日も待たずに撤退の道を選んだ。いや、それは戦略上意味のある撤退だったのだろう。なにせ、数名の日本人を連れ去っていったのだから。


 真意は侵略者たちにしかわからない。だが、日本が少なくない被害を受けたことは間違いない事実と言えよう。

 物的被害に加え、人的被害。いつまた襲われるか知れぬ恐怖。ブラウグラーナは、竜巻のように現れ、確かな爪痕を残して消えていったのだ。


 頭を抱えたのは日本だけではない。各地に軍を駐留させていたアメリカもまた、危機感を募らせる結果となった。

 いくら一日足らずで消え去ったとはいえだ。当時既に地球上で最強の軍事力を誇っていた世界の審判国が、為す術もなかったのだから。

 同じような事態を二度と繰り返してはならない。かくして、魔法への対抗手段を講じる運びとなったわけである。


 しかし日本やアメリカのみならず地球人は魔法などさっぱり。原理もわからない。ではどうしたか。


 魔法がなければ科学を使えばいいじゃないか!


 かくして、魔法を模した技術の開発・発展へと舵を切った日本。資金等の援助を米国が行うことで前提条件をクリアし、およそ五十年掛けて研究されてきたのが――


「戻りました。実験お疲れ様です、飛良先生、花邑さん」


 天戸愛里咲が抱えている『ガナーズドライブ』を含む、魔導科学だった。


「天戸さんこそお疲れ様。俺たちはただ見てるだけだったけど、実際にドライブを使う天戸さんは大変だったでしょ?」

「いえ。最新式といっても、普段使用しているドライブの進化系、つまり延長ですから。根本的な扱い方は変わりません」


 愛里咲は涼しげな声で事もなげに言い放った。過信でも嫌味でもなく、これが彼女の実力なのだ。

 魔導科学の肝となっているのが、『ドライブ』と呼ばれる大小様々なデバイス。ドライブを使用することで、魔法に近い現象を引き起こせるのだった。

 愛里咲はドライブ制御技術に優れており、通常なら四年次に配属される研究室に、二年生にして所属を果たしている。


「いやぁ、実に頼もしいね。天戸がウチに来てくれて、ほんっとうに良かったよ」


 腕組みをしながら、ウンウンと頷く担当教官。年の頃は二十代後半だが、時に老成しているような、時に無邪気な側面を見せる不思議な女性だった。


「ありがとうございます。ですけど、今回の実験ではお役に立つことができませんでしたので、まだまだです」

「いやまあ、そのあたりは君一人の責任じゃあないさ。私たちみんなの課題だ」

「ですけど……」

「いづみさんの言うとおりだよ」


 データ解析がせわしなく行われている画面から顔を外し、和也が口を挟む。


「天戸さんがどうこうっていう話じゃない。そもそも、元を辿ればドライブの設計をした俺の責任が大きいわけだし」


「先程の感じでは、エネルギー循環に問題はなかったと思います。出力が低下したのは、使用者である私の落ち度です」


 頑なな物言いだった。喧嘩腰というわけではなく、しかし他者を近づけさせない静かな迫力がある。


「責任の所在は、はっきりさせておくべきではないでしょうか」

「それは確かにそうなんだけど……」


 一方の和也は言葉に窮してしまう。


「ドライブの性能を私が引き出しきれなかった。今回の結論はこれだと思うのですが」

「うーん。なんって言ったらいいのかな。間違ってはない、間違ってはないんだ。でもなぁ」


 和也は再びモニターに目を移す。書き出されているデータは、確かに愛里咲の言い分を裏付けていた。


 魔導エネルギーの循環機構に異常なし。


 ドライブには、マテリアルと呼称される“核”が埋め込まれている。このマテリアルが魔導エネルギーを発生させることで、ドライブをドライブ足らしめるというわけだ。

 エネルギーの流れが正常であるのなら、刀を模した愛里咲の相棒が出力低下など起こすはずがない。本来は。


「研究全体の課題というのは、正しいと思います。けど、最も大きな原因を探して定義しなければ、解決への道は遠いのでは?」

「まあ……うん。仰ることはごもっとも。よくわかるよ」

「そのわりには歯切れが悪いですね、花邑さん」

「はははは……」


 和也は苦笑を返すしかなかった。この二人、決して仲が悪いのではない。ただ、反りが合わないのだ。お互いの言い分を認めてはいるものの、納得できるかどうかは別問題ということだった。


「まあまあ。花邑も天戸もそのへんにしておこうじゃないか。ほら、データ解析もあらかた終了したようだし、研究室に戻る準備だよ」

「……はい」


 担当教官であるいづみが間に立つと、愛里咲も矛を収めるしかなかったようだ。もっとも、いづみの言動には相手の毒気を抜く作用があるのも確かだが。

 魔法が存在しない世の中において、いづみの持つその特性は一種の魔力と呼んで差し支えがないのかもしれなかった。

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