第160話 奇襲


 いじけ黒毛玉こと、クロコマの愚痴を聞いたりしながら先へと進み……そろそろダンジョンの最奥が見えてくる頃か? と、今までの経験からそんなことを思うくらいの深さへと到達すると……その予想通りに広い空間のような場所が前方に現れる。


 見た目としてはだだっ広い沼地といった様子で、礫などを投げて確認した感じでは、かなり広い部屋というか空間となっていて……天井や床、壁や部屋の中央辺りに礫を適当に、何度も何度も投げてみても魔物が現れず……俺達はしばしの間どうしたものかと、お互いの目を見合いながら頭を悩ませる。


 普段であればこれだけの空間に出ればすぐに魔物が姿を見せるのだが……魔物は現れず、いつもの扉も現れず……部屋の入口でどうするかを悩みに悩み……とりあえず十分に警戒をしながら、陣形を組みながら部屋の中へと入ってみるかと足を進める。


 慎重にゆっくりと足を進め、一歩二歩、三歩四歩、五歩……と足を進めた所で、思わずといった感じで俺の口から言葉が漏れる。


「……嫌な予感がするな」


 それは何か根拠だとか理由があっての言葉ではなかった。


 ただただなんとなく、としか言えない直感によって発せられたもので、直後ポチがその鼻を突き出しすんすんと鳴らし……鋭く大きな声を張り上げる。


「退きましょう!!」


 それを受けてまずクロコマとシャロンが入り口の方へと駆け戻り、ポチとコボルトがそれに続き、俺とボグは盾を構えながら周囲を警戒し、ポチ達が安全に逃げられるようにと、焦らずゆっくり……部屋の中央へと視線を向けたまま後ずさりをしていく。


 すると部屋の壁から……見えない壁があるはずのそこから、太く長い蔓が現れて、俺達のことを殴ってやろうと大きく振るわれる。


「壁から出てきやがった!?」


 その蔓を盾で受けた俺は……今までに感じたことのない手の痺れに顔を歪めながらそんな声を上げる。


 ダンジョンの壁は目に見えないものだ。

 森のダンジョンなら森が、平野なら平野が、沼地なら沼地が、その先にもずっと、果て無く続いていて……目に見えないが触ることは出来て、ガラスのようだが驚く程に硬く、破壊や通り抜けることは不可能だという、そういう存在……だったはずだ。


 初めてダンジョンに潜った時、その壁や天井からの奇襲があるかもしれねぇと警戒していたが、それから今日まで一度も奇襲をされたことなんてなかったのだが……まさかのまさか、ここで壁抜け奇襲を仕掛けてくる魔物が現れるとは度肝を抜かれちまったなぁ。


「っつーか、本体は一体どこに居やがるんだよ!!」


 続けて俺はそんな声を上げる。


 そんな声を上げたくなるのも当然のことで……今俺達を攻撃している蔓は、壁の辺りから唐突に生えていて……その本体の姿がどこにも見当たらなかったのだ。


 壁は目に見えない、その向こうにも沼地の光景はずっと続いている。


 壁の向こうに魔物が居て、壁の向こうから攻撃しているなら、壁の向こうに魔物の姿があるべきなんだが……壁の向こうには何もいねぇ、気配すらしねぇ、ただただ蔓が壁の辺りから生えているだけで……一体何がどうなっているやら訳が分からねぇ。


「狼月さん、ひとまず廊下に、こっちに来てください!!」


 退避が完了したのか、後方からポチの声が聞こえてくる。


 それを受けて俺とボグは足早に交代し……盾を構えたまま、蔓の攻撃を受けながら交代し、部屋を出てポチ達が待機している廊下へと至る。


 するとなんとも不思議なことに蔓はまるで俺達を見失ったかのように唐突に攻撃を止めて……それからうろうろと、俺達を探しているのか、部屋の中を這い回り始める。


 まるで蛇が獲物を探しているかのようにうぞうぞと、床を壁を天井を這い回り……そんな風にしばらくの間、俺達のことを探したなら、壁の向こうからずるりと今までの化け物蕾よりも大きい、大化け物蕾といった感じの魔物が現れる。


「なんっ……だ、あの野郎っ……!?

 何も無い空間から現れやがったぞ……!?

 壁の向こうはただ沼地があるだけで、何も居なかったはずなのにずるりと……!?

 ダンジョンの壁ってのはガラスのように向こうの光景を透けさせてる訳じゃねぇのか!?

 あの壁の向こうには全く違う光景が広がってやがるのか!?」


 その光景を見て……尚も盾を構えたまま俺がそんな声を上げると、俺の足元で顎を撫でて「ふぅーむ」なんて声を上げていたポチが、言葉を返してくる。


「狼月さん、落ち着いてください。

 今見た光景だけでそう決めつけるのは早計です。

 そもそも今の現象……ダンジョンが引き起こしているのか、それともあの魔物が引き起こしているのかが謎なのですから。

 ダンジョンの特性でそうなったのか、それとも魔物が透明化という不思議な力を持っていた可能性もある訳で……現状結論を出すことは出来ません。

 あるいは……今この瞬間、あの魔物があんな風に壁からずるりと『生まれ出た』可能性もあり得ます。

 ダンジョンに魔物がどうやって現れるのか、どうやって生み出されているのかは謎ですが……壁や天井からああして生み出されていても不思議ではないでしょう。

 ……今回の件で、壁からの奇襲があり得るとなったことは確かに厄介ですが、それもこのダンジョンの、この部屋だけのことかもしれませんし……情報が無い現状、あれこれと決めつけるのは止めておきましょう」


「お、おう、そうだな……」


 ポチの至って冷静な、淡々とした言葉を受けてひとまず俺がそう返すと、ポチはこくりと頷いて……魔物の様子を観察し始める。


 魔物は未だに獲物を探しているらしく、部屋中を蠢き回っていて……時折俺達がいる廊下のすぐ側、つまりは俺達の目の前までやってくるのだが……俺達に気付くことは全くなく、その蔓でもって本体である蕾を器用に引っ張り、引きずり、蠢き続ける。


「……まるであのドアの向こうの魔物のような動きをしますね。

 部屋に入ればこちらを認識するけども、部屋を一歩出たなら何があってもこちらに気付かない……。

 近くに来たタイミングであえて魔力を強く練り上げてみたんですが、全くの無反応とは……。

 ……んー、狼月さん、礫が余っているのなら、あれに向かって投げつけてみてくださいよ」


 そんな大化け物蕾を見てポチはそんなことを言ってきて……俺はあんまり手出しをしたくねぇなぁと乗り気ではなかったものの、調査のためだと割り切って、礫を取り出し拳の中に握り込み……そうしてから拳を振り上げ、部屋の中を蠢きまわる大化け物蕾へと投げつける。


 すると蕾は大化け物蕾にばしんっと当たる……が、礫には魔力が込められねぇからか、化け物蕾は流し針を刺された時と同様に、それに気付かず反応も示さない。


「……では、クロコマさん、何か符術を……弾力でも何でも良いので、符術をアレに向けて展開してくれませんか?」


 そんな結果を見てポチは更にそんなことを言って……渋々と言った様子で俺の足元へと進み出てきたクロコマは、俺の盾に隠れながらちょこちょこと盾から顔を出し、大化け物蕾の様子を見やり……そうしてから符術用の符を一枚取り出して、それを床へと……魔力を込めながら貼り付けるのだった。

 

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