第143話 クロコマの着物
俺達の祝言に公家が来るとなって、それ以来親父は慌ただしくあちこちを駆け回るようになった。
どうやら公家に見せても恥ずかしくねぇ祝言に……夫婦に仕立てようとしているらしく、俺達の了解を取らないまま好き勝手にやっているようだ。
そもそも俺達の祝言となれば吉宗様が……天下の徳川の大将軍様がやってくる訳で、そっちの方で騒ぐべきだと思う訳だが、かしこき辺りと繋がっているお公家様となると、またそれはそれで別の何かがあるようだ。
まぁ、親父が何かをするといっても、酒や料理、着物なんかを用意する程度のもんで、その真面目過ぎる性格からして面倒なこともしねぇはずなので、好きにやらせておくことにした。
跡継ぎって訳じゃぁないが、それでも長男の祝言となれば思う所があるのだろうし、たまには親父に花を持たせてやっても良いだろう。
そんな親父と同じようにポチ達の両親もまた同じように動いていて……シャロンの方も家族関係で何かあるようで、ポチ達はどうやらそんな家族のことを放っておけないらしく、忙しくしていて、それとネイもネイで何やら忙しいようで……そういう訳で俺は、久しぶりに一人での外出と洒落込んでいた。
江戸城へと続く大街道に出て、秋空の下を絶え間なく行き交う人々を眺め……景気が良いからか人数が多く、そのほとんどが良い笑顔を浮かべていて、そこらの店先で行われている値引き交渉なんかに至っても一切の棘がなく、明るく楽しい声と言葉に満ちていて……人が多すぎるせいで舞い飛んでいる埃さえもが踊っているかのようだった。
一揆だとかの騒ぎなんてどこ吹く風、そんなことにかかずらうよりも目の前の好景気だと言わんばかりの、そんな光景をぼんやりと眺めていると……大街道の向こうから特徴的な黒毛が、天下の往来をのっしのっしと大股で歩いてくる。
「おう、狼月ではないか!」
歩いてきたと思ったら仰々しい仕草で片手を上げて、そんな声をかけてきたのはすっかりと見慣れたコボルトのクロコマで……いつのまに仕立てたのか、金糸と銀糸でギラギラの、鯛の刺繍なんかがしてある厚手の着物の袖を振り回しながら上げた手を振り回してくる。
「おう……クロコマ。
少し見ねぇうちに、なんていうか……趣味悪くなったなぁ」
そんなクロコマに対し俺がそんな声を返すとクロコマは、鼻筋にシワを寄せて歯を剥き出しにしてから……振り回していた袖を見やって言葉を返してくる。
「そんなに似合わないかのう? この着物……」
「いや、似合う似合わねぇって話じゃねぇっつうか……。
よくもまぁそんなぎんぎらの、阿漕な商人が着ているような着物を着られるよな。
見た目もアレだがそれ……相当重いだろ?」
「うむ、嘘かと思う程に重くてワシも驚いておる。
とはいえ同郷の出の者がわざわざワシのためにと仕立ててくれたものだからのう、無下にする訳にもいかんだろう?」
「んん? なんだ、自分で注文したもんじゃなくて、貰いもんなのか、それ。
そしてお前の同郷ってぇと……コボルト保育園の出ってことか?」
コボルト保育園はその名の通り、親の手から一時離れての保育をする場所で、孤児院ではねぇんだが……実際には孤児や、孤児同然といった感じで親から縁を切られちまったもんが結構な数、入園している。
詳しい事情を聞いたことはねぇが、クロコマもそういった出のコボルトのようで、園長がわざわざ俺達にクロコマのことを紹介したのは、クロコマのことを気遣ってのことだったらしい。
そしてそんなクロコマが同郷と呼ぶということは、この馬鹿に派手な着物を仕立てたやつも保育園の出であるようで……ぎんぎらなのはクロコマではなく、そいつの趣味ってことか。
なんてことを俺が考えているとクロコマは、着物の袖やら裾やらを見やりながら言葉を返してくる。
「昔馴染というか幼馴染というか、そんなのがいてな、最近のワシらの活躍を聞きつけてわざわざ用意してくれたらしいんだがのう……うぅむ、やはりあれか、ワシの黒い毛には派手過ぎて合わんか」
「……いや、毛の色の問題っつうかなんつうかなぁ、仮にポチやシャロンが着ても似合わねぇんじゃねぇかなぁ。
さっきも言った通りそいつは阿漕な商売をして稼いだ商人が、金にあかせて作った自慢のための一着、って感じがするな」
「む、むう、そうか。
江戸城に登城し、上様にもお会いした同郷の星なんだからこのくらいの着物は着て欲しいとか言って渡されたんだがのう……。
そうなるとあまり着ない方が良いかのう」
「い、いや、まぁ、そういう想いが込められてるってなると……どうなんだろうな。
もうちょいとこう、地味目に調整してもらうというか、生地はそのままに仕立て直してもらっても良いんじゃねぇかな。
ちなみにそれ、値の方はいくらくらいしたんだ?」
着物ってぇのはそれだけで値の張るものだ。
だからこそ普通は新品なんかには手を出さず、人からもらったもんの縫い糸を一旦解き、生地を綺麗に洗い直し、糊を塗り直し……自分の体に合わせて仕立て直すのが普通というか当たり前のことだったりする。。
そんな着物に金糸や銀糸を使ったり、こんなにも精密な……今にも動き出して海に飛び込みそうな鯛の刺繍をしたりしたなら、値は更に更に上がり、とんでもないことになっているはずだ。
今のクロコマの財布事情ならそんな着物でも買おうと思えば買えるのだろうが、そうだとしても躊躇するような値段のはずで、そんなことを考えての俺の言葉に対しクロコマは、なんともあっけらかんとした態度で軽い言葉を返してくる。
「いやいや、これは貰い物でな、一銭も払ってはおらんぞ。
奉公先の仕立屋の主人から、よく働いてくれたからと貰った布や糸を貯めに貯め込んで、そうやって仕上げたのがこの一着らしいのだ」
「……。
その同郷のやつってのは、女か?」
クロコマの言葉を受けて俺は、間髪入れずにそんな言葉を返す。
「ん? よく分かったのう……いや、仕立屋に奉公に言っていると聞けばそう思うのが普通か。
中々器量の良い黒茶毛のコボルトでな、子供の頃から器用で、よくワシらの服の手入れをしてくれて―――」
するとクロコマはそんな昔話をし始めて……俺はその話に耳を貸しながら、どうしたもんかなと頭をがしがしと掻く。
色恋沙汰に疎い俺だが、流石に今回ばかりは分かる。
奉公先で頑張って、主人から認められて貰った布や糸をこんなにもふんだんに使って仕立てて、それを金も取らずに譲って……。
この着物に一体どれだけの想いが込められているのか。
その想いがどうしたってこんなにもぎんぎらになっちまったのか。
あるいはこんな着物が似合うような金持ちになって欲しいというような想いを込めたのだろうか?
そうして自分を迎えに来て欲しいとでも思っているのか……。
事情も聞かずに似合わねぇと言ってしまったせいで、どうにも居心地の悪い気分に包まれることになった俺は、そんな風に頭を掻きに掻いてから……そうしてからもうしょうがねぇとの開き直りをして、クロコマへと真剣な……力を込めた視線を送り、言葉をかける。
「おう、クロコマ。
今からその子がいるって奉公先にお邪魔するとしようぜ。
そんでもって礼をしてだな、ついでにこう……これから寒い季節になることだし、その着物に似合う薄羽織かエルフ式の外套でも仕立ててもらうとしようぜ。
よく似合う薄羽織か外套かで上手く包み込めば、きっと良い具合に出来上がるはずさ」
するとクロコマが首を傾げながらも、俺がそう言うならそうしてみるのも良いかと、そんなことを言ってくれて……そうしてその子が働いているという仕立屋がある方向へと足を向けて……そうして着物を自慢するかのように、この着物をよく見てくれと主張しているかのように、のっしのっしと足を進めるのだった。
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