第88話 英気を養って


 コボルト屋のある空き地へと向かう途中……後一つ曲がり角を曲がれば到着という所で、あの時に堪能したコボルト料理のあの香りがふんわりと漂ってくる。


 コボルトクルミ麺を油でごわっと揚げたコボルト揚げに、その麺を野菜や肉やらととろとろになるまで煮込んだコボルト煮込み。


 そのどちらも驚く程に美味いもんで、思い出すだけでよだれが出てきてしまい……期待に胸を躍らせながら最後の曲がり角を曲がると、あの空き地が見えてきて、以前とは全く別物の凄まじいまでの活気に賑わうコボルト屋の光景が視界に入り込む。


 倍近くに増えた長机は全て満員、立ち食いまで出ているような有様で……料理場もうんと増えていて、そこで次々に料理が作られては物凄い勢いで客の口の中へと消えていく。


「おいおい、大した盛況ぶりじゃないか?」


 その光景を見て俺がそう呟くと、足元のポチとシャロンが当然とばかりにうんうんと頷き……初めてコボルト屋に来ることになったクロコマが、感心したと言わんばかりの声を上げる。


「ははぁ、こいつは大したもんだのう。

 店員のほとんどがコボルトで、コボルト料理を振る舞ってこの盛況……いやはや、流石大江戸は違うのう」


「いや、お前も生まれは江戸の保育園出身なんだろう?

 京で修行してたってだけで……何をそんな余所者みてぇなことを言ってんだよ」


 クロコマの言葉に俺がそう返すと、クロコマは片眉をくいと上げて言葉を返してくる。


「そうは言うがお江戸で暮らしていたのは本当に幼い頃だけだったからのう。

 それから京に行って修行をして……帰ってきたのはつい最近。

 京、というか五畿内の辺りはお江戸ほどコボルトを受け入れてはおらんからのう……こんな光景を見られるのはやはりこのお江戸だけのことよ。

 ……帰ってきてよかったとしみじみ思ってしまうのう」


 そう言って何処か遠くの方を見るクロコマを見て……俺もまた遠くを、五畿内の方を見て思いを馳せる。


 江戸で暮らしていると忘れかけてしまうが、コボルトは元々よそ者、それも国が違うとか海の向こうとかでは済まねぇ、違う世界の住人だ。


 違う世界の連中を受け入れるとなれば反発があるのは当然で……綱吉様の時代にはそれは大層な騒動があったそうだ。


 コボルト、エルフ、ドワーフを受け入れられない連中、元々綱吉様と敵対していた連中、ただ便乗して騒ぎたい連中が団結して面倒事を起こして、綱吉様とコボルトとエルフとドワーフが手を組んでそれらに対抗した。


 コボルトの鼻が間者を見つけて、敵対勢力との密会を見抜き、その耳が動揺の際の心の鼓動を聞き分け。

 エルフの魔法が様々な、仏の御業のような出来事を引き起こし、その薬学が様々な病を遠ざけ、多くの者を苦しめていた伝染病を払い除け。

 ドワーフの鍛冶があらゆる武器防具、道具をより強固で便利なものへと改良し、全く新しい物や技術を産み出し。


 そうした彼らの活躍によって様々な利益がもたらされ……それを独占出来た綱吉様の勢力はより強固となり、敵対勢力は一気に弱体化し、壊滅することになった。


 そうして今の世がある訳だが……敵対勢力が壊滅したからといって、全ての人の心がコボルト達という存在を受け入れた訳じゃぁねぇ。


 それがたとえこの世界の住人であっても、たとえば俺であっても、ただ余所者ってだけで受け入れたくねぇって連中はそこら中にいるもんだ。

 そんな連中が見るからに姿形の違うコボルト達を見ればどう反応するかは……自明の理というやつだろう。


 コボルトクルミを毎日のように食べるし、エルフの魔法の成果を当たり前のように感受するし、その薬学による当然のように恩恵も受け入れるし、ドワーフ製の道具も便利に使うが……それはそれとしてよそ者は嫌いだって連中は、今の世になってもそこら中に存在している。


 全く道理に合わねぇし、馬鹿馬鹿しいし、ろくでもない話だが……人の感情ってやつぁそういうもんだからなぁ。


 長く泰平が続いている日の本であっても、それは至って普通のこと……この大江戸が特別も特別、別世界って言っても良い程で……流石は徳川様のお膝元だけあるってことなんだろうなぁ。


「……だがまぁ、これからだこれから。

 このコボルト屋のようにコボルトが頑張って新しい道を作り出すことも増えていくんだろうし、お前達がダンジョンで活躍したらその噂だってそこら中を駆け巡ることだろう。

 ……そういった新しい流れってのはどうやったって止まるもんじゃぁねぇしなぁ、古い考えは全部その流れで押し流しちまえば良いんだ。

 とりあえずは、あの大猪鬼だ、あれを俺らの手で討って、その後コボルト達であの穴蔵を探索して……なんか成果を上げれば五畿内の方でも話題になって、コボルトを見る目が少しは変わるはずさ」


 と、俺がそう言うとクロコマは、言われるでもないとばかりに小さく笑って、尻尾をふさりと左右に振る。


 それを受けて俺が頷いていると……以前言葉を交わした割烹着姿、長白毛のおっさんコボルトが俺達に気付いて……そしてポチの顔に気付いて、ぴょんぴょんと調理場で跳ねて何やら声を上げて、俺達のことをその手……というか全身で招いてくる。


 それに従っておっさんコボルトの方へと足を進めると、調理場の裏、店員達の休憩所に席を作ってくれて、そこへ俺達を案内してくれる。


「おうおう、さすがはコボルト達の期待を一身に背負うポチ様は違うねぇ。

 特等席でご招待って訳だ」


 その席へ足を進めながら俺がそんな言葉を漏らすと、シャロンは小さく笑い、クロコマは大きく笑い……ポチは自慢げに顎をくいと上げてその尻尾を激しく振るう。


 そうして特等席へと腰を下ろした俺達は迷惑にならねぇように手早く注文を済ませて……届いたコボルト揚げとコボルト煮込みを腹がいっぱいになるまで楽しみ……大猪鬼狩りのための英気をたっぷりと腹の奥底に溜め込むのだった。


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