第86話 求め、侵入し、 3

 相変わらずにぎやかな里の中を、目的の居酒屋目指して歩く。オフなので完全に気を抜いて、後口と尾根も変化を解く。

 後口は二口女で後頭部に大きな口が開き、尾根はイタチの耳と尾が出ている。

 向かう先は尾根お勧めで、色々な種類の酒が置かれている店だ。外の人間に伝手があるようで、幻の酒と呼ばれるものも所有している。何度も足を運んで常連になると、たまにそれらを出してもらえるのだ。


「こんばんはー」

「いらっしゃい」


 尾根を先頭に店に入ると、一つ目入道の店主が歓迎してくれる。店内は七割ほど席が埋まっている。

 空いている席に座り、三人は壁にはられたメニューを眺める。

 尾根は芋焼酎に揚げ出し豆腐、後口は日本酒に筑前煮を女天狗の店員に頼む。


「マーナはどうする?」

「んー……白ワインとカプレーゼかな」

「ということらしい」


 注文票に書いて店員は頷く。

 すぐに酒が届き、それぞれの前に置かれる。

 まずは乾杯だとそれぞれグラスなどを持って、一口飲む。口が滑らかになり雑談していると料理も届いて、それを食べながら会話が進む。

 尾根に奥さんがいること、そろそろ子供がほしいと思っていること。それを聞いて後口が結婚したいなと言いだしたこと。人間の酒盛りとたいして変わらない光景がそこにあった。

 一杯目が終わり、さてもう一杯と店員を呼び、酒盛りは続く。

 ゆっくりとしたペースで飲んでいき、二時間ほどで三杯目を飲み終わり、さらにいくかもう終わるかと思っていたとき表が騒がしいことに三人は気づく。

 それが気になり、切り上げて外に出ようということになって会計を済ませる。

 外にいた者たちは皆空を見上げていた。


「何人も空を指差しているな」


 尾根が空を見上げ、後口とマーナも続いて見上げる。

 夜空が広がっていて、なにもないとマーナが言おうとしたとき、大きな影のようなものを見る。夜空よりも黒い、五階建て以上の団地一棟に匹敵しそうな大きさのそれが、里の上空を漂う。


「なにあれ。この里ってあんな妖怪もいるの?」


 マーナの問いかけに後口たちは首を横に振る。


「いやあんなの初めて見たわ。そもそもあれ妖怪じゃないっぽいし」

「なんだろうなあれ。妖力でも霊力でも魔力でもない。なんらかの力を発しているのはわかるが」


 多くの住人が見ていると、どこかから山神様だという声が聞こえてきた。対処に山神が出て来たのだろう。もう大丈夫だという雰囲気があちこちから放たれる。

 それが気に食わなかったのか、ただ観察を止めたのか、大きな影から力の波動が放たれる。里全体を揺らすような波動には、怒りや悲しみが含まれているように妖怪たちは思う。ただしそれは正当な感情には思えず、自分勝手な思いのように思えた。

 なんなのだろうかと思う間もなく、大きな影が山神へと動く。


 屋敷の屋根に立ち、それを見据え山神は口を開く。


「くるか。どこか懐かしい感覚もあるお前はなんなのだろうな?」


 山神が腕を振ると、木の葉や枯れ枝や小石などが山から現れて大きな影へと向かっていく。

 嵐のようなそれを大きな影は物ともせず山神に接近し、妖怪たちから思わず悲鳴が上がる。しかし山神はふわりと空中に浮いて大きな影の接触を避けた。


「こちらじゃよ」


 上空へ移動する山神を大きな影も追っていき、山神は大きな影を見据えながら精霊としての力そのものを攻撃に使用し撃ち出していく。

 山神の放った力は大きな影に触れるとその部分を散らす。しかし散った影は何事もなかったかのように元に戻る。それを見て妖怪たちは「ああー」と残念そうな声を上げる。


「これも効果がないのかの?」


 妖怪たちの声を聞きつつ、山神は再度力を放つ。避ける気がないのか、避けるまでもないのか、避ける知能がないのか。山神の力は大きな影を散らしていき、その元に戻る様子を山神はつぶさに見る。


「……効果がないわけではなさそうだ」


 大きな影が、少しだけだが小さくなっている。効果が出ていると確信し、山神は連続して力を放ち、大きな影に穴を開けていく。

 一方的な展開に妖怪たちから歓声が上がるが、山神の心中には不安が生じていた。


「完全に滅するにはわしの力では足りん。消えることを嫌がって逃げてくれることを祈るだけじゃな」


 山神の弱気を悟ったのだろうか。大きな影に動きがある。体の中心にさらに濃く黒い塊ができたのだ。それが山神に向かって光線のように放出される。


「避けるか、いや結界を破りかねん」


 自身に向かって迫る太さ二メートルを超える影に、山神は全力で迎え撃つ。

 緑に光る風を全身から放出し、影にぶつけて削っていく。

 放出された影は散らされながらも突き進み、山神にぶつかっていく。そのほとんどは散っていくが、少しだけ浸食するように山神の服の端が黒くなる。

 浸食されたことで心に湧いたイメージに戸惑いの表情を一瞬浮かべた山神は気合いを入れなおして、ぶつかってくる影に対処する。そうしてぶつけあいが終わった頃には、大きな影はどこぞへと消えていた。


「逃げてくれたか」


 ふうっと息を吐いて、屋敷の屋根に着地する。疲れ果ててゆっくりと休みたいが、そうも言っていられない。タイミングよくここに来ていたマーナを呼んで、将義に急ぎ依頼をしなければならないのだ。

 山神は手を振って生み出した風に言葉をのせてマーナに届ける。


 山神と大きな影の衝突を居酒屋の前で見上げていたマーナに山神の声が届いた。


「呼ばれた」

「誰に?」


 呟いたマーナに後口が聞く。


「山神様。主さんに依頼したいことがあるから、屋敷にきてほしいだって。行くね」

「俺は家族の様子を見てくる」

「私はマーナについていくわ。山神様が無事か気になるし」


 尾根と別れて二人は屋敷へと早足で向かう。すれ違う妖怪たちはあれがなんだったのか話し合っていた。

 マーナの隣を歩く後口は周囲を見ながら首を傾げる。同じように首を傾げている妖怪はあちこちにいる。


「どうしたの?」

「帰ってきたときより暗くなってない?」


 そうなのだろうかとマーナは思う。隠れ里に入ったときのことを思い出して、今と比べてみるがいまいち差がわからない


「わからないわ」


 そう答えたマーナに、そっかと短く返し後口は周囲を見ながら屋敷へと進む。

 屋敷に入った二人は、山神から話が通っていたため止められることなく三階の山神の部屋に入る。そこには心配してやってきた代表たちの姿もあった。

 集まった代表たちに山神は被害状況を伝え、対処に走らせる。放たれた力によって力の小さな妖怪は気絶したり、転んで怪我をした者もいたのだ。里自体は無傷だが、被害ゼロとはいかなかった。

 指示を出す山神の服の端はいまだ黒いままだ。


「よく来てくれた。ゆっくりと歓迎できる状況ではないのでな。すぐに話に入らせてもらう」


 少しばかり急いた様子の山神に、マーナたちは大変なことが起きているのかと考えた。


「伝えたように将義に依頼をしたい。内容はこの里に振りまかれた陰気の浄化」

「それは山神様がやっておられることでは? よそものにやらせることではないかと」


 代表の一人が聞く。

 陰気は悪い影響を及ぼす力だ。妖怪にとっては必ずしもマイナスになる力ではないが、浴び続けると攻撃的な性格になったりして里の治安が乱れる。そのため山神が定期的に浄化して陰気の量を減らしている。


「そうじゃ。いつもはわしがやっているが、今回は将義に頼むしかない。さきほどの戦いで力を使いすぎて浄化ができんのだ」

「力が回復するまで浄化を待つということでは駄目なのですか」

「そう悠長なことを言っていられん。陰気の量が浄化を行う目安となる基準を大きく超えておる。里の者たちも異変を感じているようじゃ」

「里が暗くなった気がしましたが、それでしょうか」


 後口が聞き、山神が頷く。


「もともと妖怪は陰の存在。陰気に耐性があったり、力とできる。しかし多すぎるのはいかん。皆も里が大きく荒れるのは望んでおらんだろう?」


 代表たちは頷く。適度に賑やかな現状を気に入っている者たちばかりなのだ。荒れることを望んでなどいない。


「だから早く浄化してしまいたいのだ。そしてそれができるのは神か将義だ。神に頼むにしても時間がある程度かかる。将義ならばわしが真剣に頼めばすぐに来てくれるだろうしな」

「その者と山神様が親しいことは聞いておりますが、里の浄化を行えるだけの力量はあるのでしょうか」

「ある。それこそお湯を沸かし、茶を入れるよりも短くすませるだろうさ」


 だろう?と山神はマーナに問う。マーナは頷いて「主さんの力量は把握できていないけど、広い空間を一人で問題なく支えているからやれると思う」と話そうとしたができなかった。魔法による制限にひかかったのだ。

 話そうとして口をもごもごさせるマーナに不思議そうな視線が注がれた。


「詳細は話せないようになっているから、それにひっかかったのじゃな?」


 山神の確認にマーナはこくこくと頷く。


「マーナほどの力量を持つ妖魔に制限をかけたり、わしに力を注いで山に活気を戻したことからそこらの能力者を超える力量を持つことは理解できるじゃろ。どちらも実際にお前たち自身で見て聞いたことだ。否定することはできん」

「それはそうですな」


 若干納得いっていない様子ではあるが、事実だと代表たちは認める。


「ですが以前の功績や今回の件で、この里に件の人間が影響力を持ち、運営に口をはさんできやしないかと心配なのですが。ここは人外の地、人間はあくまでも客という立場です」


 山神がなにか言う前に後口がそれはないと否定した。理由を問うように後口に視線が向く。


「山神様に力を注いだとき、仕事が終わったあと町の案内をしようかと言ったのですが、興味ない様子で断られました。祠へと一緒に歩いているときも、住民の暮らしに関心を向けている様子もなかったです。ついでに言うとあのときの報酬もこっちに預けたままで受け取りに来る様子がなくて、本当に関心がないのだと思わされています」

「それはなんというか複雑だな」


 山神を助けたことが報酬を受け取るまでもない軽いことと考えられているようで、あのとき対策を求めて動いていた自分たちが嘲られるているように感じられた。悔しさや怒りが胸に生じる。

 そのまま暗い考えに向かいそうになったとき、山神が柏手を打つ。その音と発せられた力に、代表たちは我に返る。


「陰気の影響を受けておったように見えたから軽く払ったがどうだ」

「たしかに陰気の影響があるようです」


 あのまま暗い考えに向かったら、同胞や人間相手にとんでもない対応をしかねなかった。さっさと陰気を払った方が良いと考える。


「うむ。マーナよ、皆の理解が得られたようじゃから将義を呼んでもらいたい」

「わかりました。少しばかり時間をいただけますか」


 山神が頷き、マーナは隠れ里から出るため里の入り口に向かう。


 ◇


 授業の復習を終えて、まとめサイトでも見ようかと将義がスマートフォンを持ったとき、マーナからテレパシーが届く。

 山神からの依頼があったこと、その内容を聞いて、代表たちがそろっているところに行くのは面倒だなと思った将義は、隠れ里には行くが山神の自室には行かないで対処することに決めた。

 それをマーナに伝える。


『え、それっていいのかな』

「陰気が減ればいいんだから、わざわざ会う必要もないだろ。テレパシーで山神には連絡を取るから大丈夫さ、きっと」


 本当に大丈夫だろうかと思いつつマーナはテレパシーを切る。

 将義は分身を置いて、鍛錬空間に入ってそこから隠れ里の上空に空間を繋げる。


「たしかに暗い空気が漂ってるな」


 肌に感じられるものが、以前のものとは違う。粘性を持っているような不快なものに感じられる。

 姿を隠したままま近くの建物の屋根に下りて、陰気を立てた右の人差し指の先に集めつつ山神にテレパシーを送る。


「陰気減らしだしたからストップかけてくんない?」

『こっちにこんでやり始めたのか』

「だってそっち人が何人かいるだろ。やいのやいの言われるの面倒だし」

『お前に渡すものがあるからこっちに来ぬか』

「えー」

『えーではない。人払いするから来い。あっちに関連する話なのだ』

「あっちって、まさか異世界?」

『そうだ。どうも今回のこれはあっちに関連しておるようでな。このまま放置すればお前さんのところに異世界から送りこまれたものの干渉があるぞ』

「じゃあ陰気集める終わるまでに人払いよろしく」

『わかった。ちなみに陰気はもっと減らしていいぞ。今の五倍くらいか』


 あいよと返しテレパシーを切る。

 陰気の収集速度を上げると急速に、隠れ里の中の空気が変わっていく。湿気が減っていくような感じだろうか? カラッとした空気が里を包む。

 一分ほどでゴルフボールほどの黒い球体が指先にできて、それを将義は圧縮し小石のような見かけへと封印する。光も反射しない真っ黒な物体は、人間に与えると一発で妖怪か妖魔に変質させることができるだろう。妖怪でも増大した力を暴走させるはめになる。

 それをポケットにいれて、山神の自室に入る。部屋には山神しかおらず、マーナと代表たちは部屋の外に気配がある。


「回収終わったよ。これどうする?」

「ありがとう。こっちはいらないから、そっちで処分を頼む」


 倉庫に入れておくことにして、陰気の塊を影に落とす。


「それで渡すものって?」


 頷いた山神は服の黒くなった部分を破り、テーブルに置く。


「こっちはそっちの陰気と違い、こちらの世界の陰気と混ざっていないものじゃ。これを探ればなぜ向こうからこのようなものが送られてきたのかわかるかもしれん」

「そもそもなんで向こうからのものってわかるんだ?」

「感じ取れた力が向こうのものとかぎりなく近い。それと勇者を求める声が聞こえたのだ。おまえも少しだけそれを受け入れれば感じ取れるはずじゃ」


 向こうのものなど関わりにたくもないといった表情で将義は破かれた服に人差し指を置く。しかしここで力を認識すれば、あとで同じものを簡単に探れるようになるのだ。


〈勇者様助けてっ。助けほしい。助けてくれ。早く助けろ! どうして助けないんだ! お前がやるべきことだろ!〉


 聞こえてきたものに思わず将義は指を放す。助けを求める声が耳に残り、不快という表情を隠さない。この布を燃やしてしまいたいという衝動が湧き起こる。


「あーっ嫌なものを聞いた」

「お主にとってはそうだろうな」


 山神にとっても自分勝手に思える声だった。魔王軍と戦った将義をいないものとして扱って、なにがあったかまた将義のような存在を求める。仮に助けに行くことができても、ここを放置してまで行くことはないと思えた。

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