第69話 新学期で新たな厄 3
主要道路から離れた道を一人の男が大荷物を背負って、キャリーカートを引いて歩く。鍛えてあるのか荷物を苦にした様子はない。
肩に届くくらいの髪を白紐で縛り、若干よれた衣服に身を包んでいる。荷物からキャンプ用品がちらりと見えていて、これからキャンプなのかとすれちがう人は思う。その視線に気づいた男はにこやかに礼をして、すれちがった人も礼を返して通り過ぎていく。
よくよく男の目を見れば、笑みは表情だけとわかっただろう。
すれ違った人から視線を真正面に戻した男は、遠くに小さな商店街をみつけると、そちらに足を向ける。
「こんにちは、ささみと豚バラブロックを」
「いらっしゃい。兄さん大荷物だねー」
朗らかな肉屋の主が手早く肉をビニール袋につめながら聞く。
「これから有給を使って趣味のキャンプをやろうと思いまして、整備されていないところで一人のんびりと過ごすのが好きなのですよ」
近くに小さな山があり、そこでやるのかと肉屋の主は考え頷く。
「へー、町の喧騒を離れて静かにってか。なかなかの趣味じゃないか。しかし最近殺人のニュースが世間を騒がせている。気をつけなよ。一人でいたら嬉々として襲ってくるかもしれない」
「携帯は持っていますし、友人にどこに行くのかも知らせてあります。あとは犯罪ブザーやスプレーなんかも」
「それなりの準備はしてるんだね。いいことだと思うよ。ほい、ささみと豚バラブロック」
「ありがとうござます」
礼を言った男は近くの八百屋でも野菜を購入し、買ったものをキャリーカートに載せて商店街から去っていく。
そんな少しだけ珍しい男のことを商店街の者たちはすぐに忘れて、商売に精を出す。
山に入った男はキャンプに適した場所を探して、小川のそばに小型テントを張っていく。石で簡易なかまどを作って、拾った小枝を近くに置く。
荷物から衣服や下着を取り出し、小川でざぶざぶと洗っていく。生態系など気にせず洗剤も使う姿からはキャンプを趣味としているようには思えなかった。洗濯物を干して、男は自分自身も洗い、ジャージとTシャツを着ると荷物から折り畳み式の長い警棒を取り出して振り回し始める。
地面は小石や凹凸があり安定性にかけるが、警棒を振る姿にブレはなく、かなりの腕を持つとわかる。
汗が流れ出るのも気にせずに男は熱心、いや熱心という言葉では表せきれないほど真剣に鍛錬を行っていく。たまに水分補給をして日中にやると決めた鍛錬を終えて、男は食事の準備に移る。
キャンプのマナーに気を付ける様子はないが、キャンプ自体には慣れているようで手早く米を炊く準備を進め、串に野菜と肉を突き刺して遠火でかまどの火にあてる。
パチパチと燃えている枝が爆ぜる音を聞いているうちに日は傾き始め、木々に遮られて男のいる場所は薄暗くなっていく。
食事ができて、バランスのみを考えた毎食同じメニューを飽きた様子もなくかきこんでいく。今の男にはそのような食生活は気にならないのだった。体を壊さないよう栄養にだけは気をつけて、それで体が動くならば味は二の次だった。
腹が満たされ、男はマッサージを行い疲労を抜いていく。そのまま一時間座ったまま動かず、完全に日が落ちて立ち上がる。
着ているものを脱いで、荷物から剣道着を取り出し、着ていく。その道着は日中にみれば全体に赤黒いなにかが付着した跡が見られるだろう。
道着の端には男の名前が縫い込まれている。和明と縫い込まれた名前は、椿たちが能力者殺し候補とみなした男の名前だ。
テントの支柱と一緒にしていた脇差ほどの長さの刀を取り出し、鞘から抜く。よく手入れされている刃はたき火を反射し怪しく煌めく。
「ええいっ」
両手で持った刀を気合いとともに振り下ろす。刃は鋼色の軌跡を残し、ざんっと空気を切り裂く。
そのまま何度か繰り返し、和明の表情に笑みが浮かぶ。商店街で浮かべたものではなく、狂気を感じさせる男本来の笑みだ。
「くくく、やはり人を斬れば得られるものはある。肉と骨を断つ感覚は想像していたものと段違いだった」
和明は人間を斬った感触を思い出す。邪魔な服とその下にある柔らかな肉、硬い骨、臓器。飛び散った血と体液の温かさと匂い。斬られた者が遺した悲鳴と表情。それらは鮮明に記憶に残っている。
欠片も忘れる気はない。それらは自身をより高みへと押し上げてくれるものだ。
忘れることは斬られた者への裏切りになると本気で思っていた。
「剣術使いは人を斬ってようやく一人前。当たり前のことだというのに、それを忘れた者が多いこと」
思い出すのはいくつか顔を出していた道場の人間たちだ。彼らも趣味以上の熱意をもって刀を振っていたが、それでも剣に生きる覚悟はなかった。むしろ人生に必要のないものと割り切って、刀を手にしていた。
その姿と考えは和明にとって怠慢と思えるあり方だった。自身よりも才がある者もいたが、その人物も怠慢をよしとして刀を振るう。
誰かを殺すための術を習得し、しかし使わずに鍛錬のみを重ねる。なんのために鍛錬をしているのか、和明には理解できなかった。そう強く思い出したのはいつからだったか。
しかしそれを口に出すことはなかった。周囲とは違うものの考え方ということのみは理解していて、ばれてしまえば刀を取り上げられるだけではなく、監視もされると想像できたからだ。
他人とずれていることは理解しているが、それをおかしいとは思わないのが和明だ。
「習得したものは使うが当然。ゆえに人斬りの技法を収めた俺が人を斬るのも当然」
それを口に出した和明に、刀はなにか言いたげに光を反射した。
和明は気づかない。刀は刀、己が人を斬るための道具でしかないと考える和明は道具の意思を必要としていない。
夜が更けて、明かりもつけずに和明は抜き身の刀を手に動き出す。腕が鈍らないよう野生の動物を探し求める。そして山中に絶命の声が響いた。
血と脂にまみれた刀の手入れをしながら和明は次の獲物を考える。
「若者は斬った、老人も斬った。斬りたいと思った人間を斬ってきた。腕を上げるためにはもっと斬らねば、これまで斬ったことのない対象を斬らねば。では次は……子供だな」
元の輝きを取り戻した刀を和明は欲に輝く瞳で見る。斬りたい斬りたい斬りたい。斬殺欲、それだけが心を占めて獲物を求める。
「次の町に斬りたい子供がいればいいなぁ」
暗闇の中に、異常な願いの声が消えていった。
◇
日本の表と裏を騒がす殺人が最初に起こって、半月以上の時間が流れる。
九州で似たような殺人が行われ、警察や陰陽寮や裏堂会は犯人がそちらに行ったのかと考えたが、すぐに捕まった犯人の証言から模倣犯と判明する。
世間はいまなお捕まらない犯人にもだが、その模倣した犯人にも厳しい目を向ける。両者に死刑を望む声も上がるくらいに、世間は憤りをもっている。ただしその憤りは犯人を目の前にしても糾弾できるほどに強いものではない。安全なところにいるからこそ言えるものだった。
将義はそれらを気にせず、新学期を楽しんでいた。
学校でも怖いという声や許せるものではないという声は上がっていたが、テレビを通しての情報ということもあり、まだ遠い地での出来事という雰囲気だった。
琴莉や力人や大助、それに一年生の半妖くらいだろうか、危険というものは案外近くあり、気楽に構えることができるものではないと考えているのは。
授業が終わり、将義は仁雄と学校で雑談してから帰る。力人は陰陽寮支部に雑務で呼ばれているため急いで帰っていった。琴莉も呼ばれているため一緒だ。
家に帰った将義は、宿題や復習をすませていく。そうしているうちに父親が帰ってきて、夕食に呼ばれる。
いつもの夕食光景で、世間の騒がしさから切り離されたような穏やかな時間が夕食後も流れる。九時を過ぎて部屋に戻ってもまったりとした時間は続いた。
しかしそれが破るように未子からテレパシーが届いた。
『聞こえてる?』
急いたような声音で未子が話しかけてくる。
(聞こえてるよ。なに?)
『そっちに灯ちゃん行ってないよね?』
(ないよ。特に呼ぶ用事はないし)
『そう、だよね。灯ちゃんがいないんだって。警報装置が作動して、家に連絡を入れてもでないって』
将義はちらりと壁にかけられた時計に視線を向ける。長針と短針がそろそろ九時半を示そうとしていた。
(この時間帯なら寝ててもおかしくないと思う)
『大内さんもそう思ったらしいけど、警備会社に行ってもらったら誰もいなかったって。ベビーシッターに聞いてみたら八時前まではきちんと家にいたらしいし』
(……誘拐?)
かもしれないと心配そうに未子が答えた。誘拐でなくともちょっとした買い物でコンビニに行って事故にあった可能性もあった。
(たしか灯ちゃんはスマホを持ってたろ。GPS機能をつけてそうだけど)
『反応がないって。スマホに連絡を入れても繋がらないって大内さんが言っていたわ。警察にも動いてもらっているけど、今ところ見つかったっていう連絡もないらしい』
それでこっちに連絡がきたのかと将義は察する。取れる手段がなくなり、最後の手段として未子に連絡を取り、未子からここへ。
(探してくれっていう依頼?)
『うん。私からもお願い! やっと普通の暮らしができるようになったのに、また厄介ごとに巻き込まれたかもしれないなんて』
(そこは同意するよ。探すから切る)
『ありがとう! いろいろと終わったら連絡を入れてほしい』
安心したい気持ちは理解できるので、了承しテレパシーを切る。
隠蔽の魔法を使ったあとに、いくつか魔法を使っていく。分身を家に置いて、上空に移動、灯の反応を探って広範囲に探査の魔法を使う。反応があった場所に遠視を行う。
「まじか」
意表を突かれたような声が漏れる。話題の事件に巻き込まれているとは思っていなかったのだ。
将義が見たものは、山中にいる男と灯だ。男は椿たちが探している東殿和明だ。
枝につるされたランタンに照らされ、パジャマ姿の灯は地面に座り込んで泣いている。パジャマの胸辺りが斜めに切り裂かれ、胸に一筋の傷ができて血がにじんでいる。縛られている様子はないが、恐怖で動けなくなっているのだろう、逃げる様子はない。
灯から七メートルほど離れたところで、男は正座して目を閉じている。足の上に抜き身の刀を置いていて、なにやら精神統一しているようだった。男からは高い霊力を感じないが、刀からは力と意思を感じる。その意思は男の精神を乱すようにぶつけられていた。
だがその邪魔を受けても心を落ち着かせることができたのか、目に正気ではない澱んだ光を宿し立ち上がる。刀を手に、灯へと足を踏み出す。
距離を詰められることに灯がビクリと体を揺らし、とてもゆっくりと後ずさる。
「見てる場合じゃねえな」
一瞬で超高速状態に移行し山を目指す。五秒とかからず、なんの衝撃も風もおこさず枝葉を揺らすことなく、将義は灯のそばに降り立つ。
いつものように姿を消したり、変装はしていない。灯の不安を晴らすためだ。
「何者だ?」
和明の誰何を無視して、将義はあっさりと背を向けしゃがみ込む。
その背を和明は斬ろうと思えば斬れたはずだ。しかし動かず見定めるように視線を注ぐ。
「迎えにきたよ」
「あ、あっああああああ!」
安堵できるように表情を和らげたり、声音を優しいものへと変えてはいないが、それでも灯にとっては十分に安堵できるものだった。
誰かすぐに理解した灯が、力いっぱい将義に抱きついた。恐怖と安堵がごちゃまぜになった泣き声が大きく周囲に響く。
「お前も斬ればさらに腕があがる。二人も斬れるとは、今宵はついている」
強いのか弱いのか力量が読み取れず、さっさと諦めた和明はそう言いながら踏み込み上段から将義めがけて振り下ろした。
将義はそれに気づいていたが、無視して抱きついている灯を落ち着かせるため背中を軽く叩いている。
刀は振り切られた。和明は目を見張る。刃が当たった感触はあったものの斬った感触がなかった。相手の髪の毛も服も、傷一つついていない。軟らかいのか硬いのか、それすらもわからない感触が刀を通して伝わってきたのみだ。
「妙な術を使う」
和明は術で防がれたと判断した。あらかじめ術を使っていたから、こうもあっさり背を向けたのだと。
今もまだ獲物をあやして、こちらを向かないことでよほど術に自身があるのだと考えた。
将義は術など使っていない、使うまでもない。格が違うのだ。魔法を使わずとも肉体のみならず衣服も、その身に秘めた魔力の影響を受けて強化されているのだ。力ある刀といえども人間が振るうのならば将義にかすり傷を与えることも不可能だ。
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