第67話 新学期で新たな厄 1

 カーテンが閉じられた薄暗い部屋の中に、カーテンの隙間から日差しが差し込む。

 その体には大きすぎるベッドで寝ていた少女の閉じられていた瞳が開く。

 身を起して、ベッドから降りた彼女はカーテンを開いて、窓を開けてひやりとした空気を感じながら、良く晴れた空を見る

 寝室の開いた扉の向こうから、かすかに漂ってくる朝食の匂いにつられるように、薄い黄色のパジャマ姿で部屋を出る。

 パタパタとスリッパを鳴らして、リビングに入ると焼けたベーコンの匂いがはっきりと感じられた。

 リビングに入った少女は、キッチンに足を向ける。


「おはよう、パパ」


 取り戻した声で挨拶する彼女に、にこやかに挨拶が返ってくる。


「おはよう、灯」


 娘が二本の足でしっかりと立っていること、声が出せること。それらを何度でも見て聞けて嬉しく思える幸次。

 笑顔の幸次に、灯も笑顔を返す。

 夏休みから大内家で繰り返されたことであり、今後も繰り返されるだろう朝の光景だ。

 ベーコンエッグに、トースト、ジャム、野菜たっぷりスープがテーブルに並ぶ。

 それらを食べていく娘に、笑みを向けて幸次も食べ始める。

 ある程度食べ終わって灯が幸次に話しかける。


「パパ、今日もおそいの?」

「遅くなるだろうね。以前のやらかしで仕事が多いうえに、忙しくなる事件が起きてるから。灯には寂しくさせるな。それに加賀さんも連日頼んでしまっている。それが仕事とはいえ、休みなく頼むのも悪い」


 加賀からすれば、一年ずっとというわけではないし、連日とはいえせいぜい四時間弱ほどの仕事で高い給料をもらえているので、問題はなかった。灯がわがまま放題ならばきつい仕事だったかもしれないが、食事の好き嫌いを言うくらいで無茶は言ってこない。

 最近は足が治った灯が自分で風呂に入れたりできるようになり、もっと楽になっている。むしろ以前と同じ給料のままでいいのだろうかと思っているくらいだった。


「早くかえれるようになるといいね」

「ああ、さっさと事件が解決してほしいね」

「お兄さんならあっというまにかいけつできるのかな?」

「できるだろうね。でもこちら側の仕事に関わる気がないからね。頼むわけにはいかないよ」


 そうだねと頷いて、灯はマグカップに入っていたスープを飲み干す。


「ごちそうさまでした」

「うん」


 椅子から降りて身支度を整えに行く娘の姿を見ながら、幸次も朝食を終えて食器をまとめて、流し台に移動する。

 ささっと洗い物をすませて、幸次も身支度を整える。

 クリーニングから帰ってきたばかりのスーツを着てリビングに戻ると、私立小学校の制服を着てランドセルを背負った灯が母親の写真にいってきますと告げているところだった。


「車とかに気をつけるんだぞ」

「うん! いってきます」


 学校に行くのが楽しいと小走りで玄関へと向かう灯。靴底が少しだけすり減った靴を履いて、もう一度いってきますと言ってから家を出る。

 幸次は灯のためにバリアフリーの私立小学校を探し、その近くに家を買った。そのため徒歩で向かえるのだ。

 家から出て五分ほどでクラスメイトの後ろ姿をみつけて、ドキドキしながら近づく。


「おはようっ」


 聞き覚えのない声に挨拶されたその少女は振り返り、灯を見て驚きで声をなくす。


「え? え? えええええええ!?」


 驚きが収まることのない少女に周囲の注目が集まる。それに気づいて恥ずかしさから顔を赤くして、いまだ信じられないという顔で灯を見る。


「足っ声っ」

「うん。なつやすみのあいだに治ったんだ。かけっこもできるし、うたもうたえる」


 ニコニコとした灯に少女はよかったねと喜びを共有するかのように笑顔になった。

 友達と一緒に教室に入ると、やはり驚きが教室に広がる。夏休み中に治ったことを知って驚いた灯の友人は、驚くのは当然と頷いていた。

 事前に連絡を受けていた担任も、なんの問題もなくなった灯を見て、少し驚いたように固まってから教壇に立つ。出席をとっていき、灯から元気よく返事があったことで、本当に治ったのだなと実感を得た。

 灯は皆と一緒に始業式に出て、皆と一緒にホームルームを受けて、皆と一緒に掃除をしていく。一学期は車椅子でやっていたことが、新鮮でたまらない。

 そんな楽しい気分のまま、帰りのホームルームが終わり、友達と遊ぶ約束をして家に帰る。途中でコンビニによって昼食を買う。誰もいない家で私服に着替えて、サンドイッチなどを食べると友達と遊ぶために家を出る。

 思いっきり駆け回って、汗だくになった灯は友達と別れて家に帰る。

 首に下げた鍵を鍵穴に入れると、鍵は開いていた。玄関を開くと加賀の靴があった。

 ただいまと言いながらリビングに入る。


「おかえりなさい、灯ちゃん」


 四十歳半ばの女がエプロン姿で返事をする。力いっぱい遊んできたという様子の灯に優しげな視線を向ける。

 

「今日もたくさん遊んで汗をかいたでしょ? お風呂沸かしてあるから入ってきちゃいなさい」

「うんっ」


 加賀は灯が風呂に入っている間に、朝に幸次が干した洗濯物にアイロンをかけてたたみ、夕食の準備を始める。

 冷しゃぶと素揚げ野菜の味噌汁を作っているうちに灯が風呂から上がり、短パンとTシャツという部屋着でリビングに入ってきてテレビをつける。

 調理しながら加賀は今日あったことを聞いていく。幸次に渡す日報のようなものに書くためだ。

 灯はクラスメイトに驚かれたことを話し、加賀は驚くだろうなと思う。加賀自身も治り始めた灯を見たとき驚いたのだ。

 幸次から少し聞けた話では、手術といった大きなことをせずに治療が進んでいるようで、それもまた驚きだった。そのような治療が実在するのだろうかと思ったが、実際に治って元気になった灯がいる。医学はここまで進歩したのだなと思うことにして灯が元気になったことを喜ぶことにしたのだった。


「できたわ。食べましょう」


 夕食が完成し、テーブルに並べる。

 灯と加賀は一緒にいただきますと手を合わせて食べ始める。

 体を動かすようになったおかげで最近の灯は食べる量が増えた。以前は小食気味だったので、むしろ食べる量が増えて加賀は安心している。空腹がよいスパイスとなったのか、好き嫌いも減った。

 夕食を終えて、食器も洗い終えると午後七時を過ぎる。加賀はルーズリーフに日報を書いて、テーブルの端に置く。

 家に帰るためのバスが八時にあるので、それまで灯と一緒に過ごす。


「それじゃあ灯ちゃん、玄関の鍵をきちんと閉めるのよ?」

「うん。加賀さん、またね」

「ええ、おやすみなさい」


 灯は玄関まで加賀を見送り、玄関を閉めて鍵もかける。ほかの場所の戸締りは加賀がきちんとやっている。

 灯はまたテレビを見て、九時を過ぎるとあくびをして、そろそろ寝ようとテレビを消した。

 部屋着からパジャマに着替え、明日の学校の準備も終えて、幸次と一緒に使っているベッドに入る。そしてすぐに寝息を立て始めた。

 一時間ほどして、幸次が帰ってくる。寝室に直行した幸次は、寝ている灯に微笑みを向けて、口の動きだけでおやすみと告げた。

 周囲と同じ日常を送れるようになった灯の一日はこうして終わる。灯も幸次もこのままの日常が続くと思っている。


 ◇


 夏休みが終わり、将義は新学年の始まりと同じように楽しみだという雰囲気を隠さずにいた。

 今朝も美味しい朝食を食べて、学校に向かうには少し早いのでニュースを見て時間を潰す。


『八月中ごろに起きた惨殺事件の新情報が入ってきました。犯人はいまだ捕まらず、東へと逃亡を続けている模様。警察も交通機関と主要道路に人員を配置していましたが、それらを通らず逃亡していることから、自動二輪車での移動をしているのではないかとみられています』


 この事件は盆のすぐあとに起きた事件だ。刀傷と思われる死体が岡山で発見され、その後京都でも似たような死体が発見され、同一人物の犯行だと考えられている。その後も似たような死体が見つかっており、いまだ捕まえられていない警察にクレームを入れる者もいるらしい。


「怖い話だ。早く捕まってほしいものだが」


 永義が言い、そうねと食器を洗っている織江が同意する。


「いまどき刀で傷害事件とか珍しい」

「いやたまに聞く話だぞ。二年くらい前に新聞で見た記憶がある」


 珍しいといった将義に、永義が以前見た記事について話す。

 そんなことがと頷く将義から視線を外した永義は時計を見て立ち上がる。将義もそろそろでるかと立ち上がり、一緒に家を出た。

 同じ道を歩く中学生や高校生はもう少し休みがほしかったという顔で歩いている者がほとんどだ。

 周囲の人間に元気だなと思われつつ将義は教室に入る。先に来ていたクラスメイトたちからおはようと声をかけられ、それに返して机に鞄を置く。今日提出分の宿題を机に入れていると、どよんとした表情の力人が教室に入ってきた。


「どうしたよ?」

「宿題が」

「は? 海水浴前に大部分片付けたろ。あれだけ時間あって終わらなかったのか?」

「少しずつやってはいたんだ。でもバイトやら香稲さんに会いに行くのやらで小論文が一つ終わらなかった」


 夏休みに入ったくらいまでは順調だった息子が宿題を一つだけとはいえ残したことで、力人の両親は呆れていた。

 ガミガミと叱るのではなく、朝食を食べながら諭すように説教されたことがテンションが低い原因だった。

 好きな人ができたことは力人の両親も知っていて、夢中になれることはいいことだと言っていた。しかし最低限やることはやってから夢中なことに手をつけなければ、どちらも中途半端で終わる。惚れている相手もきっと呆れるだろうという言葉が心に突き刺さったのだった。


「宿題はきちんとやれって言ったろ。そんなんじゃ香稲さんに呆れられると思うぞ」

「両親にもそれ言われたから、これ以上は勘弁してくれ」


 力人は机に突っ伏す。すぐに起きて、少しでも進めようとメモ用紙を取り出し粗筋を頭を悩ませ書き込んでいく。

 そんな力人を眺めていると仁雄も教室に入ってきた。


「おはよー。力人、どうしたんだ?」

「宿題一つ間に合わなかったんだってさ」

「だから俺も将義もちゃんとやれっていっただろうに。どうせやりたいことに集中しすぎたんだろ」

「うっせ。今後は気を付けますぅー」

「回収は明日だし、今日一日がんばれよー」


 おーうと力なく返事してメモ用紙に集中する力人。

 力人を見ながら、将義と仁雄は双子が好きそうなボードゲームについて話していく。夏休みの始めに皆で遊んだことで、ボードゲームが趣味になったらしい。好んだ系統のゲームを購入するか、新規開拓を目指すか話す。その会話に陽子も混ざってきた。将義が仁雄と遊んでいないときも、陽子は仁雄の家に行っていたのだ。双子の好みも把握していた。

 力人は聞こえてきたその会話に集中力が乱されて、ペンを置く。


「いくつかボードゲームあげるから、その会話止め! 気になって作業が進まねえっ」

「集中力なさすぎだろう。あともらうわけにはいかねえよ」

「今後もバイトとかで遊ぶ時間削れそうだし、遊んでくれそうな子に渡した方が有意義だ。俺も譲り受けたものもあるしな」

「そういうことならありがたくもらうけど、バイトに集中しすぎるなよ?」

「俺もそうしたいんだけどなぁ」


 陰陽寮のサポート要員として目をつけられていて、仕事を回されるのだ。陰陽寮の見立てでは将来的に香稲のいる隠れ里の担当になる。こちら側で働くことになるなら、仕事に慣れる意味でも、どんどん雑務を投げようという考えだ。

 話しているうちにクラスメイトもそろう。疲れた様子の琴莉が机に突っ伏していて、友人に大丈夫かと声をかけられている。

 チャイムが鳴って朝のホームルームのため大助がやってくる。


「おはよう。皆元気に登校しているようでなによりだ。今日から新学期、休み気分を引きずらずに行こう。二学期は文化祭があるぞなにをやりたいか今から考えておくといいかもしれないな。さて今日の予定は」


 挨拶ののちにスケジュールを話していく。今日は始業式と掃除とホームルームで終わりだ。

 それをこなして解散になり、将義は家に帰る。仁雄は文化祭委員の集まりがあるということで学校に残り、力人は小論文を片付けるため家に帰った。

 昼食を食べて、やることがない将義は鍛錬空間に向かう。空間の改造やユニから送られてきた植物の世話でもしようと思ったのだ。

 もらった種は三種類、苗は一種類。まだまだ送る書かれた手紙と一緒に送られてきた。

 苗は山の開いているスペースに植えて、鳥や虫避けの魔法を使って保護している。栗に近い実がなるようだが、成長促進の魔法などは使わないため採取は何年も先になるだろう。

 種の方は屋敷そばに新たに花壇を作って植えた。こちらも苗と同じ魔法を使っている。同種の色違いの花を咲かせるそうで、詳細は咲いてからのお楽しみと知らされていない。手入れが楽なように一年草だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る