第46話 夏の始まりと妖怪 3


 力人がビーチに行った翌日も、将義たちは坂口家に集まる。

 朝に会ったときからいやに上機嫌な様子の力人に、全員が首を傾げる。

 宿題中でもそんな様子で、宿題に手がつかないといったことはないが、よほど嬉しいことがあったのだなと思えた。

 宿題を終えて双子と陽子と仁雄がブロックスというボードゲームで遊んでいるとき、将義がなにがあったのか聞く。かすかに妖力が力人から感じられ気になったのだ。


「聞いちゃう? 仕方ないなー」

「よほど聞かせたいんだな」


 にやけながら言う力人に呆れつつ将義は返す。


「昨日ビーチに行ったじゃん? そこですっごい可愛い子に会ったんだよ。うどん屋で美味い海老天を食べてたんだけど、そこに彼女が来てね。一目見て固まった。体に電流がはしるとは言うけど、本当にそんな感じでな!」

「ようは一目惚れか」


 恥ずかしいだろうっと力人は将義の背中をばしばし叩く。


「うどんをかきこんで、思わず追いかけてた俺を振り返ったときの姿がもうね! 夏の衣装と季節から生じるさわやかさが、香稲ちゃんによくあっててな!」

「わかったから、背中をそんなに叩くな」


 常人なら痛がるくらいの勢いであり、叩いている力人も手が痛いはずだがそんな様子は微塵も見せない。


「今の兜山君の様子ならそのままの勢いで告白しちゃってそうね」


 ゲームをやりながら聞いていた陽子が言う。その様子は楽しげで、恋バナに興味があるのがわかる。


「そんな告白だなんて! 一緒にあちこち行けただけでも楽しかったのに」

「しなかったんだ。奥手なのか、楽しすぎて忘れてたのか」

「どっちかっていうと後者だった! んで夕方になってメルアドの交換をもちかけたんだけど、携帯を持ってないって言われてできなかった」

「実は迷惑に思われた?」

「迷惑なら何時間も案内してくれないと思うから、それはないと思いたい」

「まあ、そうね。ボランティア感覚だったか、すごくお人好しのどちらかだったのかもね」

「どっちでもいいからまた会いたいなぁ」


 幸せそうに溜息を吐く力人を、双子は面白そうに見ている。


「本気の恋ってやつかねぇ。あそこまで入れ込んだことないから俺にはよくわからないが」


 パーツを弄びながら仁雄が言う。


「俺も力人がここまで熱を上げたのは初めて見る。これまで遊びばかりに熱中してたからな、こいつ」

「応援してあげたいけど、住んでる場所が違うし連絡も取れないんじゃね。再会できることを祈ってあげることしかできないわ」


 陽子の番だと雪美に手を引かれて、陽子はゲームに意識をやる。仁雄もゲームに視線をやる。

 将義はニヤニヤとしている力人を見ながら、こっそり魔法を使う。術で化かされていないか確かめたが、悪質な術の痕跡はなく、ただ香稲の妖力の残滓がまとわりついていただけとわかる。

 香稲はかなりの確率で妖怪だろう。未子のように半妖の可能性もあり、人間でないのは確実だ。

 人間と人外の恋愛を将義は否定しない。なので今の力人も微笑ましく感じている。だが香稲には少し警戒心を持っている。おそらくは偶然遭遇しただけではあろうが、なにかしらの考えを持って接近した可能性もある。友人を利用されるのは業腹なので、少しばかり調べてみようと考える。なにもなければそれでよし、なにかあれば力人が悲しまない方向でかつ香稲側の被害は気にせず解決しようと思う。

 過保護かもしれないが、昔からの友人の幸せのためには自重する気はなかった。

 香稲側の最悪は、香稲の属する集団が悪事を考えていたことで壊滅し、香稲自身の記憶も書き換えられるというものだが、将義もそんな事態にはならないだろうと考えている。


 その夜は灯の二回目の治療の日で、将義は鍛錬空間で幸次と灯を待つ。

 二人は約束の時間ぴったりにやってきた。灯は以前と変わらず、将義を見ると笑顔で手を振って挨拶してくる。その一方で幸次は疲れたような表情で立っていた。

 自業自得なのだが、自分の起こした騒ぎの事後処理と仕事の忙しさで家に帰っても仕事漬けの日々だったのだ。そして近々宮内庁と陰陽寮に謝罪出張が決まっていた。出張の時間を作るためにも、仕事が増えるという状況だった。

 正直辛かったが、灯が助かったことで戻ってきた日常でもあるので、放り出したい逃げ出したいと愚痴を言う気にはなれなかった。

 暇つぶしに見物にいたマーナはその疲労具合にドン引きしていた。ちょいちょいと将義の肩を突いて聞く。


「主さん、あの人倒れそうなんだけど」

「意外とまだいけるもんだよ」


 異世界で無茶したときのことが将義の脳裏によぎる。まだ人の範疇の強さのとき連戦に次ぐ連戦でふらふらになったことがあったのだ。疲れてからが本番といった限界に挑む戦いで、異世界での嫌な思い出とは別の意味でも思い出したくない記憶だ。


「灯ちゃんが心配するだろうから、回復しようか」


 魔法を使い幸次を眠らせてごく短時間で疲労が抜けるようにする。

 眠った幸次は地面に倒れることなく、空中で横になったままになる。


「十五分くらいで起きるから、それまで話していようか。薬を使って今日までなにか異変はあったかい」


 将義のやることだからおかしなことにはならないだろうと灯は信じていて、眠った幸次を心配する素振りも見せずに、将義に意思を伝え話し始める。

 健康状態を聞いたあと、最近あったことを聞いているうちに十五分流れる。会話の流れについていけないということで途中でマーナにも読心の魔法を使うことになった。

 目を覚ました幸次は少しだけ不思議そうな顔をして、浮いていることに気付いて驚く。


「どんな状況だ!?」

「あ、起きた。疲労が激しそうだったんで十五分ほど寝かせて疲労をとったんだ」

「……そういえばずいぶんと楽になった。ありがとう」


 疲労からややぼけていた思考がはっきりとしていた。

 地面に下ろしてもらい、体を軽く動かし肉体的にも精神的にも怠さがなくなったことを再確認する。


「そちらの女性は妖怪、いや妖魔か?」

「サキュバスよ。しばらくの間世話になってるわ。あなたたちに害を与えるつもりはないから安心して」

「そうか」


 祭り会場でちらりと見たような気がしたが、まあいいかと流す。

 一行は宇宙船に入り、医療室に入る。

 将義はやることは前回と同じだと説明しつつタブレットを操作していく。前回と同じようにシャワー室が近くの部屋にできて、幸次と灯はそちらへ向かう。

 話題を探していたマーナの表情が変わる。


「あ、そうだ聞いてよっ」


 悔しげな顔になって将義の肩を揺らす。


「はいはい、なんだよ」

「百匹組手だっけ? あれが上手くいかないの! それでパゼルーに鼻で笑われるし、フィソスには心底不思議そうにされるし!」

「上手くいかないって? 強さは使う者の力量に合わせるようになってる。それで敵わないから戦い方がまずいと思うが」

「下手とか以前の問題、私の戦い方が通じないのよ! サキュバスとして技量が未熟なのは重々承知だけど、魅了が完全に成功しないの。さすがにおかしいわよ、どうなってるの!?」

「んー、ちょっと調べてみるか」


 外に出てくるとメモを残して、魔法陣のある場所へと飛ぶ。

 魔法陣に干渉し、ぱぱっとマーナの戦いの記録や設定を見ていって納得した。


「動きとか頑丈さは相手に合わせるようになってるけど、魅了とか認識操作といった方向の耐性が激高になってんな」


 これは魔法陣を作った最初の設定でそうなっていて、フィソスがそちらの術を使わないので変更しないままになっていたのだ。術が未熟なマーナではどう頑張っても耐性を抜けない仕様だった。戦い方の制限を強制されていたといっていいだろう。


「こっちのミスだな。設定を頑張れば魅了が通じるように変えたから、今後は大丈夫だろ」

「頑張れば?」

「そう、頑張れば。楽に通じたら鍛錬にならないだろう。この機会に少しくらいは苦手な術も鍛えるといいんでないかい」

「まあ、まったく通じないよりはましだけどさ。ついでだからどこが駄目だったか教えて」


 空を飛んで宇宙船に戻りつつ将義は話す。

 まとめると二つの問題点があった。一つは火力不足。もう一つは戦闘経験不足。

 マーナの戦い方は魅了が効かないと判明した時点で、射撃戦になっている。そのときに魔力を凝縮して撃ち出しているが、その凝縮率も凝縮速度も甘いのだ。だから相手の防御力で弾かれるし、避けられる。経験不足というのがここに現れている。当てるための工夫がされていないので、無駄弾を撃って疲労も早くなるし、疲れたところを攻撃されて撃沈するのだ。


「まずは魔力弾の練習からじゃないか。そのあとは相手の足を止める手段の模索。そこは魅了が通じたら大丈夫だろうけど」

「なるほどなるほど」

「魔力弾も同じものばかりじゃなくてバリエーションを持たせたいね。威力が小さいけど、多くをばらまけるタイプで足止めや相手の行動をキャンセル。魅了が効かない相手に対する手段が増える。ほかには大ダメージ用の魔力弾を常に自身のそばに浮かせて、必要なときに動かして当てられるようになるとか」


 後者はハルターンが祭り会場で使っていたようなもので、参考になるだろうと指をマーナの額に当てて記憶を送る。


「こういった感じかぁ。うんうん、実際に使っているところを知れるのはありがたいわ」

「このアドバイス以上のことは今は言えないんで、そっちで頑張って」

「進展あるだろうし満足よ! これでパゼルーを見返してやるわ」


 ぐっと拳を握って宣言する。

 パゼルーとしては将義配下の質が上がるということなので、大いに頑張ってくれと思うことだろう。

 医療室に戻るとシャワーを浴びた二人が戻ってきており、灯が靴下を脱いでベッドに座って待機していた。

 それを見て将義はタブレットを操作して薬を手にまとわせる。


「じゃ、始めるよ」


 灯は緊張したように頷く。この緊張はくすぐったさを我慢するためのものだ。

 将義の手が膝に触れて、足の指先へと動き、再びぞくぞくとしたものが背筋にはしり、灯は口を真一文字にして耐える。繰り返し動かされる手に、灯は前回と同じく涙を目の端に溜めて、顔を赤らめ、わずかに開いた唇から熱い吐息を漏らす。その様を見てマーナがエロいと漏らす。


「幼さの中に見え隠れする未成熟な色気。発せられる雰囲気は可愛さではなく、妖しげで禁忌。触れては駄目だとわかっているのに触れてしまいそうになる。そっちの趣味の男が見たら我慢できなくなっちゃうかもしれないわ」

「解説しないでいいだろう」

「思わず。これもサキュバスの性かしら。エロく見えるだけでエロではないんだけどね。お腹が満たされないし」

「そりゃそうだ。俺も灯ちゃんもその気はないんだから」


 その気があったら恩人といえども幸次は黙っていないだろう。

 足が終わり、喉も終わる。


「さて、小さくだけど声がでるはず。試しに『あー』って言ってみて」


 灯は息を吸って、もし出なかったらという恐怖を感じてそこで止まる。

 それを察して将義は大丈夫だと笑って灯の手を取る。


「薬の効果は出てる。それは魔法で調べたからきちんとわかってる。あとは灯ちゃん自身が動かないと薬は意味をなくす。体の中の不安を追い出す思いで、声を出してみよ? 君の中には不安だけじゃない勇気もあるはずさ。今日頑張るのは一歩踏み出すこと。それだけを考えて、声を出してみよう」


 励ましというのはこんな感じだろうと思いつつ声をかける。

 相手の側に立ち、相手の背を押し、相手の不安を晴らす。そんな思いの篭っていない、テンプレのような励ましではあるが、灯に踏ん切りをつけさせる効果はあったらしい。

 再び灯は息を吸って、唇を開く。


「……ぁ」


 静かな医療室で、たしかに聞こえた少女の小さく短い声。それに一番驚いたのは灯自身だ。


「ぁ、ぁ……あああああーっ」


 あを繰り返すだけだが、声を出せたことが嬉しく泣き笑いながら声を出し続ける。その灯を幸次もまた泣きつつ抱きしめた。

 これ以上は出さなくていいと将義に手で口をふさがれるまで灯は声を出していた。

 二人が泣き止み、今度は足を動かしてみる。声が大丈夫だったので、灯は躊躇うことなく右足に力を入れる。これまで全く反応しなかった足がピクリと動き止まる。左足も同じだった。いまだ歩けるような動きではないが、それでも意思に反応して動いたのだ。

 完治への確信が持てた幸次はよかったよかったと繰り返す。妻の墓前に良い報告ができると、初めて明るい気持ちで墓に行くことができそうだった。


「この調子ならあと二回で完治だな。無理に声を出したり、足を動かすと長引くから一人でリハビリなんてしないように」


 灯がこくこくと頷く。これまで話せなかったことで、つい手話やジェスチャーで応えてしまう。しばらくはこういったことが続くのだろう。


「本当にありがとうっ」


 深々と幸次は将義に頭を下げた。


「以前も言ったが、なにをもってお礼とすればいいのか」

「俺のことを話さないならそれでいい。ああ、そういや聞きたいことがあったか」

「なんだい? 答えられることならなんでも答えよう。それが裏堂会の機密でもだ」

「そんなのはいらない。明後日海に泊りがけで行くんだ。そこは会員制のビーチなんだけど、場所は」


 場所を伝えて知っているか尋ね、幸次は頷く。


「そこに用事で行った友達が妖力の残滓を体にまとわせて帰ってきた。あそこらへんに妖怪がいるのか、隠れ里でもあるのか、性質の悪い妖怪がいるのか。それを聞いてみたかった」


 もちろん自分でも調べるが、なにかここでも情報があればと聞いてみたのだ。


「ああ、あそこには隠れ里がある。同一種ではなく、多種多様な妖怪が集まっていると聞いた。あくどい妖怪がいるとは聞いたことがない。少なくとも私が裏堂会で働き出して、あそこで問題が起きたという話は聞いていない」

「それ以前の話は?」


 幸次は資料の内容を思い出すため、少し考え込む。

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