第15話 悪魔と超人と怒髪天 1
未子に鍵を渡した週の日曜日、将義は鍛錬空間に向かおうとしていた。
未子が猫と会いたいというので、用事もなかった将義は午前中に勉強を終わらせて、午後から待ち合わせしたのだ。
昼食を食べ終えて、のんびりしていると未子からテレパシーが届き、すでに鍛錬空間に入っているということで、将義も向かうことにする。
すぐそばに現れた将義に未子は笑みを向ける。待ちきれないという興奮が周囲に発せられていた。
「こんにちは! 楽しみです猫ちゃん!」
「はいはい、こんにちは。フィソスは……向こうにいるみたいだから行こう」
さっと気配を探り、湖方面にいることを確認してから将義は歩き出す。
未子はその隣に並んで上機嫌そうに歩く。
「フィソスっていうの?」
「そーだよ。花のフィソステギアからとった。花言葉があの子に合ってたからね」
花言葉はなんだったかと首を捻る未子に将義が教える。
次に猫の容姿を聞かれ、それにも将義は答えていき、ほかにもフィソスの事情を話すことになる。
フィソスに起きたことや経立猿の行いに、未子が悲しみと怒りを抱いていると湖が見えてきた。
草が揺れる音が聞こえてきて、フィソスが姿を見せる。
『あるじ』
「フィソスちゃん! なんて可愛いらしいっ」
フィソスを見たとたん表情がだらしなく崩れた未子が走り寄る。興奮しているのだろう、顔も先程より赤らんで息も荒い。美少女に区分けされる未子だが、今の表情はとても誰かに見せられないものになっている。
その未子から距離をとるフィソス。
「なんで!?」
『あるじ、この怖いのなに?』
「びゃっ!?」
未子から目を離さず警戒した様子で、フィソスは将義に尋ねる。
怖いのと言われた未子はショックで固まった。
「ここの使用許可を出した人間。名前は唐谷未子。ここにお前がいるって聞いて会いたいってことで案内してきたんだ」
『たんれんするの?』
「いや、しない。お前は鍛錬の方はどうだ? 鍛えろって急かすつもりはないけど、衰えるのもちょっと困るぞ」
『一日に三かいくらいかげとたたかってる』
「それならいいや。強さ以外の方の鍛錬はどうなってる?」
『すこしだけ空をとべるようになったり、すこしだけすがたを消せるようになった』
「がんばってるな。えらいえらい」
話しながら近寄ってきたフィソスの背を撫でる。
気持ちよさげにしていたフィソスは、視線を下に向けて続ける。
『でも化けるのがむずかしい』
「変化の術も覚えようとしてるんだな。どんなふうに失敗するんだ?」
『あやふや。きちんとした形をとらない。どんなふうに化けたいのかわかってないからっておしえられた』
将義が一度やってみてと言おうとしたとき未子が我に返った。
「怖いってなに!?」
「いや、あの表情と雰囲気は怖がられて当然だと思うけど」
「友達にも言われたことあるけど、猫が好きって気持ちがあふれてるんだよ! どこかの誰かも言ってた。動物には愛を持って接すれば応えてくれると」
「実際に猫はあなたの愛に応えてくれましたか?」
将義はフィソスを抱き上げながら聞く。
「……全部逃げていった」
将義を恨めしそうに見た後、未子は項垂れつつ答える。
「どの猫も怖がったという証拠だよね」
「はい。どうすれば猫に触れると思う? 人に慣れてそうな猫カフェの猫たちも逃げてったんだけど」
「心落ち着かせて、興奮せずゆっくりと接することじゃないかな」
「猫を前にして興奮するなって無理にきまってる。だって猫なんだよ? 毛むくじゃらで、ふわふわで、スッとしてて、しなやかで、柔らかい。仕草もチャーミングでキュート。猫のことを考えていたら、抱きしめたくなってきた! ふわふわさらさらもこもこ? あれ? 今私猫触ってなかった? 幻? そんな今の感触がただの想像だったの? 誰か私に猫を、逃げていかない猫をお願い。子猫のあざとさ、大人の猫の気まぐれさ、老いた猫のふてぶしさ。どれもいいの、最高なの!」
まだ猫のことを熱く語ろうとしていた未子を将義は軽く頭部を叩いて止める。
「猫のことが好きなことはわかった。よーくわかった。でもやっぱり興奮しすぎ」
「はうぅ。私は猫と一生触れ合えないの?」
「……精神制御法を試してみる?」
おそらくこれでいけるかもと提案してみた将義を、未子は期待のこもった目で見る。
「それは猫と触れ合えるようになるの?」
「猫と触れ合うためのものじゃないけどね。本来は戦闘時や不意の事態に落ち着いて行動するためのもの。猫と触れ合うときに心を制御して平静を保ち、家に帰ったら触れ合ったときのことを思い出して思う存分楽しめばいいんじゃないと思ったわけだ」
「触れられるのならお願いしますっ教えてください!」
未子は土下座も厭わないという勢いで深々と頭を下げる。
「早速始めるから頭を上げて。うん、上げたね。とりあえず説明から始める。精神制御法は魔法じゃなくて技術。事前に様々なことに慣れておいて、心を落ち着かせる癖を身に着けるといった感じ。あとは戦闘時に、その精神性を発揮できるように心の在り方を切り替えられるようにする。二重人格とまではいかないけど、日常生活用と戦闘用の自分を作り上げる」
召喚されたばかりの頃は、将義もこういったことができずに精神的疲労が大きかった。その疲労を癒してくれたのが周囲の人間だった。励ましといった触れ合いで信用や信頼を積み重ねていったが、強くなるとそれらが崩れていったのだ。
嫌なことを思い出した将義は軽く頭を振る。
「どうしたの?」
「なんでもない。いきなり平静な状態でいろってのも難しいかもしれないから、一度魔法で落ち着いた状態ってのを経験してもらうよ。『平静』」
魔法を使った将義は、未子の前にフィソスを持っていく。
フィソスを見た未子は、先程の興奮ぶりが嘘のように静かなままフィソスの頭に手を伸ばし、一度撫でて手を離す。
「『解除』。どう平静な状態というのが実感できただろ」
「な、撫でることができた! しばらくこの手は洗わないでおこうか!?」
将義に返事せず、未子は感動に打ち震え、フィソスに触れた手を抱きしめる。瞼の端には涙がにじんでいた。
その未子のでこに将義は極小威力の魔力弾を飛ばす。
「話を聞け」
「あだっ!? ごめんなさい」
「平静ってどんな感じかわかった?」
「うん。言葉にするのは難しいけど、心を押し殺すんじゃなくて、好きなものを好きと言える状態で穏やかにある。悟りの境地というのはあんな感じなのかな」
「どうなんだろうね。俺は悟りというのはどんなのかわからないし。とにかくあの状態を猫と触れ合うときの自分として作り上げる」
「ちょっと思ったんだけど、あの魔法で十分なんじゃ?」
未子の言葉に将義は溜息を吐く。
たしかに魔法で十分だが、また困ったときに魔法でお願いと頼られるのも面倒なのだ。魔法でなくとも解決できることも魔法に頼ることにもなりかねない。それは避けたい。なによりやはりめんどくさい。
そういった考えを秘めて、別の理由で未子を動かすことにする。
「失望したよ。お前の猫への思いはその程度だったんだな」
「ふぇ!?」
口調だけではなく、将義の表情も呆れたという感情をよくわかるほどに表していて、突然そのような感想を向けられ未子は意表を突かれる。
「たしかに魔法でやればいい。だけど自分自身の努力で結果を掴みとらず、誰かによって手軽に行われることで満足するなど呆れ果てる。そんな性根を猫も感じ取って、近寄りもしなんだろうさ。ああ、もしかして努力できないから魔法に頼ろうという発想がでたのか」
「馬鹿にしないでもらおう! 魔法に頼らずとも猫に私の思いを届かせてみせるともっ」
将義の煽りに乗せられて未子は気合十分といった様子を見せる。
「どんな試練でもどんとこい!」
「よく言った。準備するから少し待って」
将義は周囲を見て、フィソスが過ごすのに邪魔になりそうにない場所を探す。あそこらへんでいいかなと見当をつける。
「『陣』『暗闇』『幻惑』『継続』」
将義たちから数十メートル離れたところに、学校の教室より少し大きな闇のドームが出現した。
「あの中に入って、まずは恐怖とかに慣れてもらう。お化け屋敷みたいなものだよ。こけて擦り傷ができるかもしれないけど、その程度の怪我くらいしかいない。ついでに今恐怖を感じている自分は別の自分と思いながら特訓すると、切り替えの練習にもなるはず」
「わかった! やったるぞー!」
気合いを漲らせたまま未子は闇のドームに走っていく。
未子が闇のドームに入ってすぐに「ギャーッ!?」という悲鳴が聞こえてきた。
「これでむこうは片付いた。次はフィソスについてだ」
将義はフィソスを地面に下ろし、話しかける。
『ボク?』
「そう。変化の術が上手くいかないって話だったろ。一度変化してみてくれるか」
『わかった』
フィソスの姿がぶれて、人のようで人でないそのような存在が将義の目の前に現れる。
年齢は十歳たらず。黒髪で、日本的な顔立ちを目指したのだろうかと思える、そんな少女が裸で立っていた。
裸なのも問題あるが、そもそも問題として目や手の大きさが左右で違い、腕の長さも違う。膝から下は猫のものだった。ついでに髪も常に長さが変わっている。
第三者が見たら、裸だと注意する前に化け物と叫んで逃げていく。そんな容姿だった。
「これは駄目だしされるわな。術を解いて」
またフィソスの姿がぶれて、元の猫に戻った。
「まずは変化したときに服を着るようにしないとな。裸は目立つ。次からは服のことも意識できるか?」
『むずかしい』
「そっか」
フィソスの返答を聞いて、将義は影から一枚の黒い布を取り出す。
この布は狭間に漂っていたもので、かなり頑丈という以外はおかしなところのないものだ。
それに将義は魔法を使って、半袖ワンピースとサンダルを作る。女の子が着るのだからと腰の後ろにリボンもあしらってみた。
出来上がったワンピースとサンダルにさらに魔法をかけて、一本の黒リボンへと変える。
「苦しかったら言うんだぞ」
フィソスの首に、リボンを結ぶ。
フィソスはリボンが少し気になったようだが、苦しさはないようで不満を漏らすことはなかった。
「これは変化の術を使ったときに、自動的に服とサンダルを身に着けてくれるってものだ。これなら術を使ったときに服のことを意識しないでいい」
『ありがとう』
「うん。んで次は変化したときに参考になるような姿を見せる。『幻像』」
失敗変化したフィソスの姿を元に、違和感をなくした姿の幻を近くに出現させる。与えたワンピースを着ていて、顎辺りまである黒髪おかっぱで幼女に近い見た目という座敷わらしをイメージさせる容姿だ。着物だったらまんま座敷童だっただろう。
フィソスはそれをじっと見たあと、その周囲を回り十分に観察すると、変化の術を使う。
『できたかな?』
口からは言葉になっていない声がでており、それと翻訳の魔法で発せられた声が重なっている。
人間に変化したフィソスはその場でくるりと回る。回転にあわせて髪とスカートの裾がふわりと広がった。
「できてるよ。次はあれを見ないで、その姿になれるようにしよう」
『ん』
フィソスはまだ術を解かず、この姿のまま動いてみようと足を動かす。
「おっと」
二本足での移動というのは勝手が違うのか、一歩目から不安定で、二歩目でぐらりとしたフィソスを将義が支える。
「体に慣れたいのか?」
こくこくと頷いたフィソスに、将義は付き合うことにする。
フィソスの前に出した両手を将義が持ち、そのままゆっくりと歩くのを補助する。
フィソスの歩行訓練や運動を行っている間も、遠くから未子の悲鳴は聞こえていて、それを主従は気にせず練習に励む。
一時間ほど経つと、フィソスは歩く走る跳ねる程度ならば少々ぎこちないながらもできるようになっていた。
「休憩ー」
叫び過ぎて声がかすれかけた未子が近寄ってくる。怪我はしていないようだが、体力を多く使ったようでふらふらとしていた。
将義は魔法で土をベンチと長テーブルの形に変えて、未子を座らせる。そして影からコップと皿と魔法の鏡を取り出すと、鏡を使ってホットミルクとクッキーを生みだす。
「フィソス、こっちおいで」
ぴょーんぴょーんと跳ねていたフィソスを呼ぶ将義。人間として飲み食いすることに慣れさせようと思ったのだ。
小走りで近寄ってきた少女を見て、未子が首を傾げた。
「フィソス、ちゃん?」
「変化の術で人間としての形態をとっているフィソスだ」
「そ、そんなあの可愛らしい姿が人間なんかに変わったの!?」
「そう反応するのかー」
あそこまでの猫好きなら当然の反応かもしれないと将義は思い直す。
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