砂とピアスの降る庭

砂村かいり

パンダと風船

 失恋してぐちゃぐちゃに泣くにはデパートの屋上と、私の中では昔から決まっている。


 ささやかなジューススタンドや、それに並ぶ親子連れ、子どもたちに風船を配るパンダの着ぐるみ。

 幼い頃からほとんど変わらないこの中堅デパートの屋上は、いつだって私を童心に返してくれる。

 秋らしい鱗雲うろこぐもが広がる空の下、東京郊外をパノラマで見下ろしながら、私は硬質なフェンスにつかまってじゃあじゃあ涙を流した。

 なんだ、あんな男。

 正式に付き合っているつもりはなかった、ってなんなんだ。

 あんなに私を好きに扱ったくせに。プレゼントだって受け取ったくせに。夜中だろうが正月だろうが呼びつけてセックスしまくったくせに。

 ふざけんなよ。ふざけんな。死ねっ。


 とんとん。

 いきなり肩を叩かれて、びくりとなった。

 泣き腫らした顔を無防備に振り向けると、パンダの着ぐるみの人が立っていた。

 たくさんの風船の紐を束ねた左手からオレンジ色のひとつを取り、こちらに差しだしている。

 子どもたちのためのものなのに、意表を突かれて反射的に受け取ってしまった。

 パンダは古風なガッツポーズをしてみせると、風船の束を揺らめかせながら持ち場へ戻っていった。

 束の間泣くことを忘れた頬に秋風が吹いて、そこに髪の毛がひとすじぺたりと貼りついた。

 頭の上で、オレンジの風船がゆらゆら揺れていた。


 冬の入り口が見えてきた。

 単純だけど、あれから髪型もメイクも香水も変えて、多少なりとも生まれ変わった気分を得ることができた。

 自分を雑に扱う人のことは、大切に思わなくていい。そんな自明のことに気づくのに時間がかかっただけだと思えるようになった。


 珍しく早起きに成功して、いつもより2本も早い通勤電車に乗った。

 新しいコートに身を包んで吊り革につかまっていると、ふと視線を感じた。

 目の前に座っている若い男の子――と言っても私と同い年くらいだろう――が、じっとわたしを見上げている。まるで私の顔の中に何かを探し求めるように。


 え、なに? 誰? 少なくとも知り合いじゃないし。

 困惑し、目線を合わせたり逸らしたりと挙動不審になっているうちに、次の停車駅が近づいて電車が減速を始めた。他の乗客たちが一斉に降りる気配を見せる。

 男の子も膝の上の鞄を抱え直して立ち上がった。

 とんとん。

 私の脇をすり抜けて扉に向かいながら、彼は私の肩を叩いた。

 驚く私の視界の中で扉は閉まり、電車がゆるやかに動きだす。

 ホームに立ってこちらを見ていた男の子は、古風なガッツポーズをしてみせた。

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