第38話 ぼくは祥子の王子様なんだよ――あははははは。姫、お城へ帰りましょう
今日は、ベルンを経由してジュネーブへ移動だ。
昨日の疲れがでたらしい。電車に乗ると、子供二人に加えて、大人たちも寝息を立て始めた。ハイシーズンを過ぎてすいた車内だったから、通路の向かいの席に陣取って、カメラで昨日撮った写真をチェックしだした。
ぼくと向かいあわせの席に、ヨーロッパの品のよいおばあさん然とした人がやってきてすわった。
「日本から来たのですか?」
「そうです。これからジュネーブに行って、一泊したら帰ります」
「スイスを楽しめましたか?」
「昨日はぼくがいないときにトラブルがあったみたいですけど、結局何ごともなくて、知り合いにも会えたのでよかったです」
通路の向こうにいるみんなを目で示した。おばあさんはうなづいた。
「いま見ていたのは写真ですね。仕事で?」
「はい」
「日本の人は、外国の風景が好きですね。わたしは日本の風景を見たいと思います」
「はい、ぼくも日本の風景を撮ってヨーロッパの人たちに見てもらいたいです」
おばあさんは上品に笑った。
「あの、おばあさんは写真に関わってる人なんですか?」
「わたしもカメラマンだったのです。いまは、人の作品を見てばっかり。賞の審査員なんか引き受けたりして」
「そうですか。審査員はいつごろからですか?」
「去年からです」
「いい写真が見られるから、それも楽しいですね」
「すこし寂しくなります」
ぼくは、目の前のおばあさんに、はじめてスイスにきたときに会ったおばあさんを重ねて見ていた。あのときのおばあさんが、ぼくが賞に応募したときに審査員で、ぼくの写真を選んでくれて、いま目の前にいるなんてことがあったらミラクルだと思うけど、それはちがった。ぼくが賞に応募したのは、もう五年も六年もまえのことだ。あのころと比べれば英語が上達していて、今はいいたいことが言えたと思う。
名刺がないから、カメラバッグからメモをだしてメールアドレスだけ交換した。
ジュネーブもやっぱり湖の町だ。レマン湖という三日月型の湖のとんがったところにある。有名な「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の歌詞に出てくる湖だ。歌詞の中ではジュネーブ湖となっているけど。舞台になった町はモントルー。ジュネーブの対岸にあたる。できたら行ってみたいけど、今回は子供がいるから無理かな。子供にディープ・パープルといってもわからないからなー。
「お城はどこかしら?」
「お城があるの?」
「イチゴちゃんもお城見たい?」
「うん。見る」
カナはジュネーブに来れば城があると思っていた。佐々木さんのガイドブックによる事前調査で、レマン湖畔のニヨンという町に行かないと城はないとわかっている。城が見られるといってしまったので、今日はとにかくニヨンに行かねばならない。
「お城は、船に乗って行くんだよ」
「カボチャの?」
違うよと言いそうになったけど、これは試練だ。
「カボチャの船がいいの?」
「そうよ?」
「わたくしが用意いたしましょう」
これでいいのかな。乙女というのはわからん。
「楽しみだわ」
ホテルに荷物を置いて出かける。沙希さんはジュネーブの旧市街を撮影してから追いかけてくることになった。
オフィスで船のチケットを買って船着き場に行くと、フェリーが停泊していた。なかなか立派だ。湖が大きいから当たり前だけど。
「これが、カボチャの船」
「かっこいいだろう」
「こんな大きいカボチャあるわけないじゃない」
「いやいや、カボチャの馬車だって、あるわけないでしょってくらい大きいじゃないか。魔法で大きくなったんだよ」
「そんな都合のいい魔法があるかしら?」
「あるんだろうね、ぼくは魔法使いじゃないから知らないけど」
「カズキが魔法でカボチャの船を用意したんじゃなくて?」
「あれ?そういう設定?」
「設定ってなによ?」
カナの逆鱗に触れたらしい。祥子みたいに目を細めて視線で斬りつけてくる。小さいけど女の子だ。ぼくはどうしたらいいんだ。
「ぼくは王子様だから、魔法使いに頼んでカボチャの船を用意してもらったんだよ」
「カズキが王子様?どこが?」
「ぼくは祥子の王子様なんだよ。ねっ」
「そうね」
祥子が手を差し伸べる。ぼくは膝を折り、手をとって甲にキスする。
「さあ、行きましょうお姫さま」
キスした手をそのまま握って、もう片方の手でカナの手を握る。祥子がイチゴちゃんの手を握る。
「あははははは。姫、お城へ帰りましょう」
「そうしましょう、王子様。おほほほほほほ」
ふたりの娘はあきれたのか、だまって手をひかれて船に乗った。佐々木さんにアホなところを見られるのは、すこし恥ずかしかった。
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