劣欲に溺れる
辻野深由
これは青春の1ページ。結末を描くために必要な行為。
はじめから終わりまで、ほんの一瞬だった。
灼けるような夕日の橙を塗りつぶす赤が、古びた木製の床に止めどなく広がっていく。
――本当に、これでよかったのだろうか。
両手にまとわりついた鉄の匂いに、頭がくらくらする。うまく、思考がまとまらない。
こうなることを望んでいたはずだ。こうなるように仕向けたのは他ならぬ自分で、この結末を覚悟していたはずなのに。
状況をうまく飲み込めないでいる。
後悔、なんて感情が湧き上がってくる。
これでいい。これでいいはずだ。なにも間違ってはいない。こうしなければいけなかったのだ。いまさら、やってしまった、だなんて気持ちはあり得ない。
必死にそう思い込むことで、込み上げてくる負の感情を無理やり胃の中へ押し込める。
床に倒れ伏したそいつの脇腹に刺さっている刃物の柄を震える両手で掴み、ゆっくりと引き抜く。
小さな噴水のように漏れ出した新たな鮮血が、黒い制服に溶けていく。生死の入り交じった嗚咽と呼吸が立ち篭める。
誰かに助けを求めようとするそいつの声は、けれど口元から吹きこぼれる赤に吸われて、締めきられたこの空間の外へは響かない。次第に動かなくなっていく様は、糸に操られる傀儡が、その生命線である糸から少しずつ丁寧に切り離されていくようだった。
残酷なまでの生々しさに、吐き気を覚え、頽れながらも、その視線を死体になろうとしている身体に注ぎ続ける。
見取ってやらなければならない。最期まで側に寄り添って、その顔に張り付いた驚愕と絶望を脳裏に焼き付けなければならない。
自分を見つめ返す瞳は、いつまでもこちらに向けられていた。限界まで開いた眼孔に宿る感情を聞き出したかったが、それはもう叶いそうにない。
けれど、それでいい。
聞いてしまえば、永劫に囚われてしまう。その束縛は不要だ。
凶器を手に立ち上がり、次第に虫の息になっていく彼を見下ろす。
後悔はない。そう思い込むと、今度は胸がすく心地がした。腹の底で膿んだ澱が、目の前でこぼれていく命とともに消えていくような清々しさが去来する。
だから、これでいいはずなのだ。
そう思い込もうとすればするほど、胸のあたりが強く圧迫される。
それが安堵からくるものなのか、後悔からくるものなのかは、自分でもわからなかった。
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