ラノベのご高説は凡庸に屈さねばならない
ライトノベルはじめ大衆向けエンタメでは、若者なのに大衆社会の産物と距離をとっている人物がたまに登場する。
彼らは大人向けの文化や言説を愛好し、同輩には大衆蔑視の発言をする。
大人だったら、貫禄ある人物といえるだろう。
だが、若者にすぎない彼らは敗北する。
大衆社会を生きる明るい同輩が商売流儀で仲良くしようと言うのを、本気で仲良くなろうとしていると思ってしまう。
相手は価値観を変える気がないのに、自分に妥協していると思い込んでしまう。
大衆文化の定石を知らないがゆえ、エンタメですら可能なありふれた表現を高尚と勘違いしてしまう。
明るい民の表面だけの敬語に騙され、彼らは一方的に妥協(向こうはもちろん価値観の変更を伴う妥協など決してやらない)してしまう。
頼みとする親世代には、世間に染まれと裏切られる。
それが彼らに与えられる立ち位置だ。
さとり世代のエンタメは悟っていない。
最初は大衆社会の欲望を惹起する原理を見抜いて悟りの境地に達していても、最後には大衆社会の陳腐な産物を消費してしまうのが、こうしたエンタメのお約束だ。
最後に悟りを開く場面を肯定できなくて、何がさとり世代だろう。
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