中世編
第7話 王朝歴???
砂時計から生じた空間に吸い込まれたとき、タウラはリーシャの腕を掴んでいたはずだ。その感覚がぼんやりと薄れ、全身が脱力した状態で宙に漂っている。幸い、意識はある。
ここはいったい。
まるで見覚えのない場所にいる。空の蒼とも水の碧とも似つかない群青の空間の中を漂っている。魚になった気分で水中にいるような感覚とでもいうのだろうか。居心地は悪くない。他の魚や、岩や藻も何もない場所ではあるが。時折、白い煙のようなたなびきがタウラの横を流れていった。触れてみようにも身体は動かなかった。
リーシャはどこにいる?
気配は近くに感じる。が、姿は見えない。荷馬車の台車に仰向けになって揺られるように上を見ているだけだ。はて、上を向いているのかも怪しい。立ったまま前に進んでいるのかもしれない。波の上を漂っているみたいだ。
やがてタウラの視界の先に別の景色が見えてきた。導かれるようにそこに向かっている。群青の世界が終わりを告げ、タウラは草原の上に放り出されていた。
タウラとリーシャは同時に草原に降り立っていた。お互いに見合う。
「……わたしたち、生きているみたいね」
陽の光に目を細めながらリーシャが言った。群青の空間からは出られたようだ。さっきまでいたところは何だったのだ。タウラにとって初めて見る場所だった。世界中を旅しているカイルなら知っていたかもしれない。尋ねてみようにも友の姿はここにはない。
「トーラス、どこにいるの」
王国騎士を呼ぶ声は草原を通り抜ける風に消された。まわりには人っ子ひとりいない。砂時計の渦に巻き込まれたのはタウラとリーシャだけのようだ。二人の持つレリーフとペンダントが光っていたことも関係しているのだろうか。晴れやかな青空に純白の雲がところどころ泳いでいる。気持ちのいい風が吹いていた。
二人の背後には砂時計が悠然と鎮座している。ここにあるのは砂時計だけだった。高い塀も、城もない。
「たしか、砂時計が歪んだように見えたと思ったら、変な場所を漂って。さっきまで
お城にいたはずよね」リーシャの表情が曇る。
「やっぱり言い伝えは本当だったのかも。あまり信じたくないんだけど」
タウラはリーシャを見た。
「グラジオスに残された文献によると、砂時計に触れると不吉なことが起こると言われているの」
不吉なこと?
「詳細は書かれていなくて、だからどんなことが起こるかは知りません。だれも試したことがないのだから。だれの目にも触れられないように砂時計は厳重に管理をしていたの。だれかさんが庭に侵入しなければ、こんなことにはならなかったのにね」
ちくりと刺すような目を向けた。リーシャを巻き込んでしまったことは申し訳なく思ったが、今回の件にリーシャは無関係なのだ。面倒ごとに首を突っ込まなければよかったのに。
「なんですか、納得できないって顔をしていますが」
タウラは首を横に振った。
「どこに来ちゃったのかしら。これから王国祭があるのに」
唇を噛んでいる。王女としての務めがてんこ盛りなのだろう。だがそんなことを言っている場合ではない。王国祭を行う城がないのだから。砂時計があるのに保管しているはずの城がない。そんな状況を理解しろと言う方が無茶だ。それでもリーシャの悩んでいる時間はわずかで、すぐに顔を上げた。
「なんとかしてここがどこなのか調べないと。王国祭は国の大事な行事なのです。席を空けるわけにはいかないの。あなたにも協力してもらいますよ。あそこで争っていたからこんなことになったのだから」
有無を言わせない口調だった。これが王女の貫禄というやつだろうか。否はこちらにあると疑いもしない。または自分を鼓舞するようにも聞こえた。
タウラにしてもここがどこだか知りたい。カイルとトーラスを残してしまっている。一対一では分が悪すぎる。カイルが捕まってしまう前に、あの場所に戻らなければ。
剣を立て従順を誓おうとしたが、トーラスに折られていたので、姿勢を正し、右拳を胸にあて、王女様へ敬意を示した。
「ご協力感謝します。あれ、あなた首に怪我してる」
そういえば。いましがた斬られたところだった。不可解な出来事が立て続けに起きたせいで自分が血を流していることを忘れていた。そこまで深く斬られていない。止血をすればじきに止まる。タウラが止血をしようとする前に、リーシャは自分の膝下まである服を裂いた。
「じっとしてて、血を止めるから」
裂いた布をさらに縦に半分にして、タウラの首にあてがった。リーシャの顔が近づく。白くきめこまやかな肌だった。少しでも動いたら肌に触れてしまいそうだ。呼吸を抑えてじっとしている間、リーシャは手馴れた手つきでタウラの首に服の切れ端を巻いていく。
「貧血でも起こして倒れられたら困ります。救急治療の訓練は受けているの。王女の務めとしていちおうね」
手当てされている間、タウラは少しの痛みも感じなかった。いい腕をしている。
「はい、できた」とリーシャはタウラの肩を叩いた。タウラは頭を下げる。顔を上げたらリーシャはタウラから視線を外さないでいた。
「あなた、本当にタウラ・ヴィンスなの?」
しっかりとうなずく。
「声は出せないの? レリーフの呪いのせいで?」
これにもうなずく。呪いを解くために砂時計に触れる必要があった。そう説明したかったがタウラにはできない。それに砂時計には触れたのではないか。いや、あれは飲みこまれたのであって触れたとはいわないか。どちらにせよタウラの声は戻っていない。
「一年前、闘技場であなたが意識を失ってから、お父様は街全体に戒厳令を敷かれたの。このことは他言無用だ。わたしにもそれだけだった。それから、あのときの王国騎士の試験について話す人はいなくなりました。タウラ・ヴィンスは王国騎士を辞退したということはトーラスから訊いたの。理由は彼も知らなかったようだけれど」
リーシャは一呼吸入れる。
「だからわたしは一人で調べることにしたの。レリーフが原因なら、何らかの形で国が拘っている可能性が大きいでしょうし。でも国の蔵書を隅々まで調べてみても、レリーフが人の意識を奪うことについて有力な手がかりになるものはなかった。この国の歴史、主に戦争ですが、あと砂時計のことについて書かれているものがほとんどでした」
南の国の奇術が手がかりになるとカイルは言っていた。それについて書き残されていないのであれば、グラジオスは奇術とは無縁ということか。今、砂時計は歪んでいない。野晒しで置かれている。
どうしてだろう。それでもまわりに何もないこの状態の方が収まりどころがよく見えた。
「ねえちょっと。この砂時計、砂の量が増えていませんか?」
たしかに、ついさっきグラジオス城で見た砂時計の砂の量はあとわずかだった。
「砂時計の存在理由は完全には解明されていません。それでも、少しずつ真相には近づいている。これは星の寿命を示すもの。砂がすべて下に落ちたとき、この星の生命が終わると言われているの。星の終わりがどういうものか、そこまではまだ判っていない」
そんな事実があったのか。さっきまで、あとわずかだった砂の量に、それはそれで心配になるが、今は量が増えたかもしれないということが問題だ。リーシャに言わせればこれはつまり星の寿命が伸びているのだそうだ。
「もしかして、わたしたち過去にきちゃったのかも」
突拍子もないことを言うなとタウラは思った。砂時計の量が増えただけで時代を越えたと判断するのは安直すぎやしないか。砂時計は悠久の庭で見たときと同じように古びて見える。
「わたしだっておかしなことを言っているのはわかってるわよ。でもあのとき空間が歪んでいたのを、あなたも見たでしょ」
感情的になってリーシャは答えた。歪んだ空間が生み出した尋常ではない引力によって吸い込まれた。同時にタウラのレリーフとリーシャのペンダントが光っていた。砂時計に反応していたのか。いまは何ともない。
もしや、これなら砂時計に触れられるかも。そう思った矢先、タウラの背に尖ったものがあてられていた。短剣だ。
「触ってはいけませんよ。また問題を起こす気ですか」
読まれていた。それよりも驚いたのが、リーシャの剣の当て方だ。少しでも動けば肌を貫かれる。そういう殺気をにじませて剣を持っている。
「護身のために習っていたのです。少しは様になっているでしょう」
歴史といい救護といい勉強熱心な王女様だ。タウラは両手を上げ、触るのは断念しましたという仕草を見せた。とにかくここにいても埒が明かない。
「少し歩いてみよう」と平原の先を指差しリーシャを促した。町があればそこで話を訊けばいい。問題はどの方角に進むかである。
「たしか昔のグラジオス城はもっと南にあったはず。そっちに向かってみましょう」
過去に飛ばされた説は有効らしい。とはいえタウラにあてはなかったので、王女様の仰せのままに南に進路を決めた。
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