虹を見にいこう 第4話『真夏の太陽と海とアイスキャンディ』
なか
Chap.4-1
「ねえ、一緒に行きましょうよ~、海!」
夕飯も食べ終わってリラックスモードに突入したウィークデイの夜。
リビングのソファーにふんぞり返って足裏マッサージ機に足を乗せたリリコさんは、僕の誘いにチラと目を向けただけで、すぐ気がなさそうに目をそらした。
テレビから流れる天気予報は「次の週末は気持ちの良い真夏日になるでしょう」と告げている。三日前に今年の梅雨がようやく明けたと宣言されたばかりだ。いよいよ夏も本番じゃないですか。
「嫌よ、海なんて面倒くさい。なんでわざわざ好きこのんで、あんな砂まみれになる場所にいかなきゃいけないの? だいたい海水ってベタベタするのが嫌なのよねえ。サラッとしたプールの清潔感? 都会感っていうのかしら。洗練された感じがあたしはいいわ。海って野蛮よね」
リリコさんは実にツレナイ態度だ。
「でも、ホラ、
台知久海岸。そう、そこは魅惑のパラダイス。幻のエルドラド。誘惑のエクスタシー……というのは行ったことのない僕の勝手なイメージなのだが。台知久海岸は、様々な条件が重なり、ゲイたちが自然と集まるようになった、いわゆるゲイビーチと呼ばれる場所だ。
リリコさんが呆れたように肩をすくめる。
「そんなすぐカレシが見つかるんだったら、もうとっくに一人で台知久海岸に通い詰めてるわ。一平は行ったことがないから興味津々なんだろうけどね。たいしたことないわよ、あんなところ。一部のナルシストたちが自分の裸体を見せびらかすために集まった掃きだまりみたいなところなんだから」
「そんなリア充に向かって、あてつけるような文句を言ってもしょうがないですよ」
そう言う僕をリリコさんがキッと睨んだ。
「だいたい一緒に行きたいとか言って、どうせ運転手がわりなんでしょ?」
ギクッとする。日本でも屈指と言われるゲイビーチに行ってみたい。梅雨も明け、みんなで海に行こうかとタカさんに誘われて小躍りしたのだけど、タカさんが車を出してくれる条件は、途中交替のできる運転手をもう一人確保することだった。
台知久海岸は都心からけっこう離れている。海で遊んだうえに、行きも帰りもずっと一人で運転するのは確かに辛いだろう。僕も免許を持っている。が、もう何年もペーパーでとても人様を乗せて運転する自信なんてない。チャビやユウキは免許すら持っていない。都内で生活をしていると電車でどこでも行けてしまうので、車がなくても何とかなってしまうんだよなあ。こうなると仕事で運転をすることもあるリリコ様頼みなのであった。
「どう? リリコ姐さん説得できた?」
風呂上りのユウキが濡れた髪をタオルでくしゃくしゃとしながらリビングに入って来た。
「うーん、難攻中」
スウェット生地の半パンに湯上りのTシャツ姿で、エアコンの前で涼み出したユウキに助けを求める。そのTシャツに描かれたイラストはこんがり焼きあがった餃子で、相変わらずのセンスだが、大事な話がそれてしまうので今晩は触れないでおく。
「リリコ姐さんにとって何も利点ないもんねえ。朝早いから、週末なのに前の日は飲みにいけなくなっちゃうし、海だから女装もしていけない」
「わかってるじゃない」
澄ました声で応えるリリコさん。足裏マッサージ機の刺激に気持ち良さそうに目を閉じてしまった。
「ちょっと、ユウキ~、それじゃ説得になってないだろ」
「まあまあ『急いてはことを仕損じる』っていうでしょ」
ユウキのセリフにリリコさんが片目だけ開けた。
「やだ、どうしたの? ユウキがそんな難しい言葉を使うなんて。台風が来るんじゃないかしら」
「そんなあ」
情けない声が漏れてしまう。本番の夏は始まったばかりなのに、台風なんて来てもらっては困る。
「フフフ……」
リリコさんのからかいにも動じず、ユウキが不適な笑みを浮かべた。ネットの情報や検索能力は高いユウキだが、『犬も歩けば棒にあたる』レベル以上の
リリコさんは缶チューハイに口をつけながら、
「なーんかユウキに余裕があるのムカつくわね。何考えてるのよ?」
と眉を寄せた。
「ここはひとつ、交換条件といきませんか、姐さん」
「交換条件?」
頭のてっぺんから抜けるような声を出したリリコさんにユウキが近寄り、何やらごにょごにょと耳打ちをした。途端、リリコさんの瞳に怪しい光が灯る。
「あら、それ面白そうじゃない。その約束、ぜったい守ってくれるんでしょうね」
「いざとなったら、二人がかりで説得すれば大丈夫」
説得?
「そうね。いざとなったら、拉致して、はがい絞めにすればいいか」
拉致? はがい絞め?
「そういうわけで、運転、お願いできますか?」
「いいわ、運転してあげる」
ユウキのお願いをあっけなくリリコさんが承諾したので、拍子抜けしてしまう。
「ユウキ、リリコさんといったい何を約束したんだよ?」
近づき、わき腹をつつく。
「ん、まあちょっとね~」
曖昧な笑みを浮かべるユウキ。嫌な予感がする。それもとてつもなく嫌な予感だ。
「おい、なんだよ。言えってば。どうせ僕も巻き込まれてるんだろ?」
「今はまだ言えない。でも、みんなが幸せになることだから。ね、リリコ姐さん?」
「そうね」
とリリコさんは口の端を吊り上げた。
「ちょっと、いったい何ですか! 僕はやらないですよ、何だかわからないですけど!」
僕の叫びを無視して、リリコさんは「そうと決まったら」とリビングの引き戸を開け放ち、和室の押入れに首を突っ込んでゴソゴソと何かを探し始めた。
「一昨年買ったのがあるはずなのよ、水着。結局使ってないけど」
押入れから突き出した両足は既に魅惑のマーメイドといった感じ。
「チャビはどうすんの? あんたも行く?」
押入れからひょいと顔を戻して、エアコン前のビーズクッションを陣取っているチャビにリリコさんが声をかけた。
「うーん……ボクはなんか体調悪いから遠慮しとく」
「チャビまた風邪ひいちゃったのか」
僕の問いに、チャビが首を傾ける。ビーズクッションに寝転んだまま胸の前に構えた携帯ゲーム機をもてあそぶ。
「前のがまだ治ってないのかなあ」
先日、停電騒ぎの後にも熱を出していた。
「ゲームばっかやってないで、ちょっとは外に出て身体も動かさないとダメだよ」
毎日のように家に閉じこもってゲームをしながら、スナック菓子を食う生活をしていれば、体調も崩しやすくなるだろう。チャビは年中、風邪をひいている印象がある。
ユウキが急に音を立ててテーブルの椅子に腰を下ろした。
「それ、ウソだよね。行きたくないならハッキリ言えばいいじゃん。せっかくテンション上げたのに。ああ、なんかシラケるなあ」
その声に苛立ちが混ざっている。
「ボク、ウソなんかついてないよ。本当に体調が悪いんだもん」
チャビにしては珍しいハッキリとした反論だった。険悪なムードの二人の間に「まあまあ」と割って入った。ユウキとチャビはあまり仲が良ろしくない。最近、特に悪化したような気がする。僕とユウキもよくケンカをするけど、チャビとユウキの言い合いは……ケンカにもなっていないというか。ユウキが一方的に、チャビへの嫌悪感を叩きつける感じだ。チャビがユウキとの合部屋に戻らず、ほとんどリビングで過ごしているのは、そのせいもあるのかもしれない。
ユウキはチャビの生活態度が気に食わないのだろう。ろくに仕事もせず、フリーターなのかどうかもよくわからない。好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。家賃や食費はどうしているのか。ゲームばかりして自堕落な生活を送るチャビのことをユウキが快く思っていないのは確かだった。
「チャビには何かお土産を買って来てあげるよ」
何とか取り繕おうと声をかける。押入れの中から水着を発見したリリコさんが、ヨイショと姿勢を戻した。
「そうね、ちょうどいいか。タカの車、五人はちょっとキツイものね。留守番よろしく頼むわ」
そう言って場を収めてくれる。
ユウキはまだ何か言いたそうにしたけど、
「リリコさんとの約束……後でちゃんと教えてくれよ? 何企んでるのかわからないけど」
と椅子に座るユウキの頭を背後から肘でグリグリすると、諦めたように「わかったよ」と肩の力を抜いた。
Chap.4-2へ続く
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