第97話:脅威のサブマリン

 明秀高校の先頭打者には秋の練習試合から変わらず主将の日下部が座っている。捕手としての配球を読む力、粘り強い打撃スタイル。それでいて甘い球は逃さない長打にする必打能力も兼ね備えている。中軸を打てる力はあるが、工藤監督はあえて一番に起用している。


「初回から確実に点を取る。そのために俺に求められていることは確実に塁に出ること」


 バッターボックスに向かいながら日下部は念仏のように唱える。一番に何より優先して求められること。それが出塁だ。打率もそうだが出塁率を重視される。つまりヒットでなくても四球でも、とにかく塁に出ることだ。


 次点は相手ピッチャーの調子を見極めること。ストレートの球威、変化球の精度、軸となる球種、等々を伺うことで一試合を通してのプランを練る。


 この二つを高い次元でこなすことが出来るので工藤監督は日下部を一番に起用し、日下部もまたその役割を誰よりも理解している。


「プレイッ!」


 審判が右手を上げてコールする。


 この一打席目。日下部は映像で確認したこのアンダースロー投手の軌道をとにかく頭に叩き込むことを第一優先に定めた。役割的には当然出塁したが、この投手―――牧田―――のような球速のある下手投げは経験したことがない。ならここは割り切って様子見に徹する。


 珍しい大きく振りかぶり、足を上げる。そして晴斗とは異なり深く上体を沈みこませながら右腕を地面スレスレまで下げてから腰を思い切り捻りながらその腕を振り上げる。


「―――っつ!?」


 直球が日下部の顔面近くまでの高さまで浮き上がってくる。見たこともない軌道、いつも晴斗の速球を受けていながら速いと感じる異様なストレート。内心で冷や汗をかく。バックスクリーンに表示された球速は135キロ。


「これは……苦戦しそうだな」


 ベンチから声援を送っていた晴斗も思わず呟くほどに、雪国のエースのボールは力があった。打席に立っている日下部の横顔しか見えないが動揺していることが伺える。だが隣にいる親友の顔には相変わらず笑みが浮かんでいた。


「……楽しそうだな、悠岐」


「もちろんだとも。アンダースローのピッチャーと対戦なんて早々ないし、ましてやあんな速い球を投げる人は数えるほどしかいないからな!」


 どこぞの戦闘民族だよと思わず晴斗は苦笑いするが、いつでも自信満々の悠岐が居てくれるから安心して投げることが出来る。それに口だけではなく必ず結果を残す。


「ボ―――ル!」


 悠岐と少し会話をしている間に日下部のカウントは進んでいて、1ボール2ストライクになっていた。三球目は外に逃げていくカーブだった。完全なボールゾーンから曲がり始めたので日下部も余裕をもって見極めることが出来た。


 しかし。追い込まれた2球のストレートは全く手が出なかった。初球の浮きあがるボールの次は外角低めにコントロールされた。ボールが手から放たれた瞬間にミットに収まったような錯覚する。


 そして四球目。真ん中寄りの甘い球。日下部は反応して打ちに行くが―――


 ―――ボールが、来ない!?


 ストレートのように見えたそのボールはベースの遙か手前で急激にブレーキがかかり、いつまでたってもやって来ない。それがチェンジアップと気付いた時にはすでに手遅れ。日下部のバットは空を切った。


「ストラ―――イク! バッターアウトッ!」


 マウンドを一瞥し、日下部はベンチに引き下がる。その途中、ネクストサークルに向かう悠岐に感じたことを伝えた。


「気を付けろよ、悠岐。ストレートは想像以上に手元で浮き上がってくる。低めの伸びもいい。カーブよりチェンジアップの方が今日は精度が高そうだ」


「なるほど。チェンジアップ、結構ブレーキ効いていそうですね?」


「あぁ。腕の振りもストレートと変わらないから見分けがつかない。一度浮き上がってから沈むから相当厄介なピッチャーだ。あと―――」


「ストライクツ―――!」


 耳打ちをしている間に牧田はポンポンとリズムよく投げ込んで、あっという間に二番の野村―――セカンドを守る右打ちの新三年生―――をストレート二球で追い込んでいた。


「―――見ての通りテンポが早い。打席で悩んでいる暇はないから気を付けろよ」


「わかりました。そこも含めて、僕が何とかしてきます」


 二人の会話が終わってから二球後。野村はアウトコースのストレートに手が出ず見逃し三振に倒れた。明秀高校の得点パターンが崩されて、2アウトランナー無しで三番バッターの結城を打席に向かえる。


『さぁ! 昨年の夏に甲子園で鮮烈なデビューを果たした明秀高校の二人目の天才が満を持してバッターボックスに向かいます!』


『夏に4試合で4本のホームランを打ちましたからね。アンダースローの牧田君相手にどんな打撃を見せてくれるのか、非常に楽しみです』


 実況と解説が盛り上がるのも無理はない。雨の中、甲子園に詰め掛けている観客も、テレビの前にいる高校野球ファンも、誰もが坂本悠岐と言う天才バッターに恋い焦がれている。


 近年の高校野球は投高打低の印象がある。それは打者の育成の難しさがあるが、遠くに飛ばすには技術だけではなく才能の必要となるからだ。ましてや広い甲子園球場のスタンドまで軽々運ぶ小柄の打者となれば視線をくぎ付けにするのも当然。


 そしてそれはなにも野球ファンだけにとどまらない。プロ野球関係者もまた、坂本悠岐の才能の大きさにすでに熱視線を送っている。


 左打席に悠然と立った天才バッターに対して、マウンド上の牧田は獰猛な笑みを浮かべていた。彗星の如く登場した小さな大打者との対戦を待ち望んでいた。この感覚は晴斗と対戦することを熱望した杉谷の感覚と同じものだ。


 牧田は同じ野球人として悠岐に惚れている。そんな彼を抑えることができれば自分はさらに上にいける。その確信があった。


 だからこそ。牧田はどんなことがあろうとも、このバッターから逃げるということはしない。全力で、強気に攻める。


 悠岐は対戦投手の決め球を打つ癖がある。それは一打席目に顕著に見られる。牧田の決め球はシンカー。左バッターには外に逃げながら緩やかに落ちていくので特に有効だが、おそらく通用しないと牧田は思っている。アンダースローが故にどうしても速度が落ちるので見極められるか踏み込んでレフトスタンドに運ばれる。


 だからこそ牧田はストレートで攻める。浮き上がる軌道で内角高めへの直球を初球から投げ込む。悠岐はそれに身体をわずかにのけ反らせるだけ。


「ボ―――ル!」


 マウンドに殺気を込めた視線を向ける悠岐。笑みを返す牧田。これが天才の闘志にガソリンをぶちまけることとなる。


「……あんなにゃろ」


 ギリっとグリップを握りしめながら舌なめずりをする悠岐。打ち気に燃える彼に向けた牧田の二球目はまたしても同じコース、同じ球種。


 ―――舐めるなっ!


 しかし。このバッター相手に連続して同じことを続けるのは悪手だ。しかもボールになってもいいように厳しく投げた初球と違い、二球目はストライクゾーンに投げようとわずかに低く来ている。


 強振したバットが白球を捉える。矢のような打球が一塁側に飛ぶがガシャンと派手な音と立ててネットにぶつかる。判定はファール。これは牧田の想定内。いくら悠岐が天才でもあのコースのボールをフェアゾーンに運ぶのは至難の業。加えて自分のようなアンダースローの投手との対戦は初めてのはず。軌道を頭に刻み込む前に三球目の投球動作に入る。


 ストレートを内角に二球。ここで外に逃げるシンカーないしは変化球が来ると予想してタイミングを修正してくるはず。牧田はそう睨んでキャッチャーからのサインに首を振って投じるのはアウトコースへの、またしてもストレート。


「ストラ―――イク!ツー!」


 予想通り。悠岐はタイミングが合わずにピクリと身体こそ動いたがバットは出せずに見逃した。考える時間は与えない。サイン交換を素早く済ませて四球目。


 1ボール2ストライクという投手有利のカウント。いい加減変化球が来ると思っているだろうと考える。もちろん悠岐が相手でなければ素直に変化球―――日下部に投じたようなチェンジアップ―――を投げるところだが天才相手には通用しない。


 だからこそ。牧田が選んだのはこの対戦で三度目となるインコース高めの真っ直ぐ。


「―――っくぅ!?」


 逆を突かれた悠岐はとっさにカットで逃げようとバットを止めるが、無常にボールはボテボテの当たりでピッチャーの正面に飛んだ。それを牧田が雨の中、軽快な動きで捌いて一塁へと送球する。


「アウト!」


 令和の小さな大打者と雪国が生んだサブマリンの初対決は牧田に軍配が上がった。


 いまだ雨は止まず。


 試合は序盤を終えて0 対 0のまま4回を迎える。

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