第95話:北の大地の天才

『札幌国際、初回から動いてきました! 今宮君を立ち直らせまいとバントではなく初球からヒットエンドランを敢行! しかし失敗に終わってしまいました』


『貴重なランナーを失ったのは痛いですね。このアウトで今宮君も落ち着くと思います』


『そうですね。いきなりヒットを許してエンドランを決められたら一気にピンチになりますからね。ところで吉瀬さん。今宮君が投げた球は一体何だったんでしょう? チェンジアップともスプリットとも違うように見えましたが』


『おそらく……最近プロ野球、メジャーリーグでも流行しているスプリットチェンジという球種でしょう。左打者の外へと曲がりながら鋭く沈むので左打者は苦労すると思います。さらに今宮君の場合はそこにスプリットも含めた多彩な変化球がありますからね。低めの球は全部捨てるくらいの気持ちでいかないとバッテリーの思うつぼになりますね』


 晴斗の変化球に空振りしてエンドランを失敗してしまった二番バッターの杉谷健介すぎやけんすけだがその顔には笑顔があった。彼は純粋に夏を騒がせた令和の怪物投手と対戦できるこの瞬間を楽しんでいた。


 あの夏。テレビ越しに晴斗の投球を観戦していた杉谷は一瞬で心を奪われた。150キロに迫る直球、多彩な変化球。それらを自在に操る制球力。高校生の中にプロが混じっているのではないかと錯覚するほどの完成度に惚れないはずがない。そんな憧れの選手と対戦できる機会がこうも早く訪れるなんて。


 ランナーがいなくなったのでセットポジションで投げる必要はないのだが。晴斗はそのままセットポジションから大きくゆっくり足を上げて二球目を投げた。


 スバンッ―――


 雨の中その雫を斬り裂きながら唸るような速球が杉谷の身体近くに構えていたキャッチャーミットに突き刺さる。杉谷はわざとらしく両手を上げて少しのけ反ったが判定は―――



「ストラ―――イク!ツー!」


「ははは……すっげぇ……」


 テレビで聞いた以上の迫力ある音。実物を見て初めて分かる芸術品のようなストレート。一度間近で見たらその美しい軌道が目に焼き付いて離れない。加えて初球の変化球と寸分変わらぬ腕の振り。わずかの隙を見出すことも難しい完成された投球フォームに杉谷は思わず声に出して笑った。


 だが杉谷にも意地がある。簡単に三振に終わるわけにはいかない。ぎゅっとグリップを握りしめて、狙いをコースに絞ることにした。タイミングを変化球に合わせつつストライクゾーンに来たボールは全てカット。甘いコースにきた球を確実に打ち返す。


「すぅ……ふぅ……」


 晴斗もまた集中する。内角のストレートに対応することが出来ていない。とすればこのバッターの苦手と得意なコースが推測することが出来る。投手である晴斗が気付いているということは当然のことながら間近で見ている日下部も気付いている。


 二人が出した結論は変化球。コースは外。


 杉谷は反応する。外角は彼の得意なコースでわずかに高く浮いているので打ちごろ。ストライクゾーンにも掠っている可能性があり、状況は0ボール2ストライクと追い込まれている以上振りにいく必要がある。


 この判断をコンマの間に下し。杉谷はレフト方向に流すようにボールをしっかりと身体まで呼び込んでからバットを出す。捉えた、そう確信した瞬間。ベースの手前から白球の進行は遅くなり、いつまで経っても向かってこない。加えて外側に逃げていくのも見えた。


「……っあ……!」


 スイングを止めることはできずそのまま振り切り。晴斗の投じたボールは日下部のグラブにしっかりと収まった。主審が右手を大きく上げる。


「ストラ―――イク! バッターアウトッ!」


 晴斗が投げたのは初球と同じスプリットチェンジ。内角に速球を見せて対応できなかったことから得意ゾーンを外と分析し、ギリギリのゾーンからボールに逃げながら落ちていくこの変化球を選んだ。これを見送った場合はもう一度アウトコースに今度はストレートを投げるつもりだったのだが、見事にかかってくれた。


「ツーアウト! ツーアウト!」


『三番。ファースト、太田君』


 日下部の声と選手のコールが重なる。


「気を付けろよ、幸太郎。あの落ちる球、相当キレるからな」


「……大丈夫っす。二球見ることができたので対応できるっす」


 杉谷とすれ違いざまに言葉を交わしてから、彼と同じ左打席に立つのは高校生とは思えない巨漢。札幌国際の情報をあまり知らない晴斗達だが、そんな彼らでも知っているほどの要注意人物。それがこの男、太田幸太郎おおたこうたろうである。老け顔だが晴斗達と同じ新二年生である。


 体躯に似合うどっしりとした構え。何を狙っているのかわからない不愛想な表情。技術で遠くに飛ばす悠岐とは違い、見た目通りのパワーで多少差し込まれても強引にスタンドまで運ぶタイプの打者。投手からすれば一番面倒なタイプ。


 軽く息を吐きながら晴斗は日下部からのサインを待つ。


 ―――さて、この大柄くんをどうやって抑えるかだが―――


 日下部は工藤監督が伝手で用意してくれた札幌国際高校の秋季大会決勝の試合をこの日のために何度も観た。そこでこの太田を如何にして抑えるかを考えた。出た結論は太田もまた晴斗や悠岐と同じ天才の部類だということだ。


 映像の中での太田はとにかく豪快なスイングをする男だ。来た球全てをホームランにしてやる、そんな気概さえ感じるほど。だからと言って三振かホームランの二択の選手ではなく、追い込まれればコンパクトに振ることもできる柔軟性もある。


 スイングスピードは悠岐以上。変化球のタイミングで直球がきて振り遅れたとしてもパワーで外野の頭を越える打球を放つパワー。真芯で捉えればどこまで飛んでいくのではないかと思えるほどの高校生離れした飛距離。試合の中で一度波に乗ったら止まらなくなる。打てない時はとことん打てないムラの激しいタイプ。


 だからこそ波に乗らせず一日大人しくしてもらうためにもきっちりと抑える。日下部は慎重にサインを選んで提示して、それに晴斗も頷き、投球動作に移る。


 対する太田の考えは至って単純。来た球を叩く。余計なことはあまり考えず、ストレートに照準を合わせて変化球が来たらレフトに流し打つ。


 小さく足を上げて目一杯のテイクバック。パワーは生まれるが引き過ぎれば振り遅れの原因となるが太田にとっては関係ない。とにかく遠くに飛ばすことだけを考える。


 だが。そんな太田であっても晴斗が投じたボールをはじき返すことはできなかった。正しくは反応すらできなかった。


「ストラ―――イク!」


 内角高め。杉谷と違ってのけ反ることはなかったが厳しいコースに変わりはない。ボールになってもいいというある種の見せ球。この一球の軌道を太田の頭に刻み込むことと審判のストライク判定の高さを見極めるのが日下部の狙い。


「クソッ……!」


 太田の口から出た悪態に日下部は内心でほくそ笑む。内角を意識させてからの二球目。考える時間は与えない。強気に攻められたことで頭に血が上っていると見越して緩いカーブ。


「―――くぅっ!?」


 胸元に投げ込まれたことで熱くなった太田はカーブにタイミングが全く合わずに大きく空振りをする。思った以上に簡単に追い込むことが出来たが、その分日下部は仕留めるためにより慎重になった。油断すれば一振りで決められる。手負いの獣と同じで荒削りな天才ほど何をしでかすかわからない。


 日下部がはじき出した答えはシンプル。三球勝負で杉谷の再現。晴斗はそのサインに驚くが、札幌国際の攻撃の要を大人しくさせるには最適と判断して首を縦に振る。息の合ったやりとりは野手陣にリズムを生み、打者は落ち着く暇がない。特に晴斗の場合は簡単にストライクを取っていくのでテンポいいので効果も高い。


 そして三球目。投じられたのは初球と同じ内角高め。速い、遅い、速い、の単純な緩急の組み立てだが20キロ以上の速度差があれば関係ない。仕留めた、と日下部は確信した。だが―――


「―――っおらぁっ!」


 北の大地の巨漢の天才は反応した。腕を窮屈に畳みながらも身体の前で確実にボールを捉えて強引に振り切った。甲高い金属音が鳴り響き、白球が高々と曇天を舞う。


 ―――あれを打つのか!?―――


 驚愕し、日下部はマスクを外しながらその打球を追う。晴斗もまた振り向いてその行方を見守る。太田は確かな手ごたえを感じながら全力で走り出す。


 白球はセンター方向。フェンス近くまで飛んでいき―――


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